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鯱城学園29期地域A

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10月歩こう会(堀川沿いウォーキング)

2022年10月18日 | 歩こう会

令和4年10月12日(水)金山総合駅南口に16名集まりました。金山駅までは、普段慣れているコースなので、前回のようにドジ踏む人はいませんでした。

天気予報では曇りとのことでしたが、結構日差しがあり青空も出て、歩いていると暑いくらいの日よりでした。

早速伏見通りを横断して堀川沿いに向かいます。

堀川沿いに出ました。

今日は、堀川沿いウォーキングとのことですが、稲葉さんからいただいたパンフレットによると、堀川沿いには歴史的な橋や建造物、新しいビルや通りなどが入り組んでなかなか興味深い散策になりそうです。

まずは「堀川七橋」。皆さんご存知の通り堀川は、名古屋城下と熱田の海を結ぶ運河として徳川家康の命で慶長15年、福島正則により開削されました。七つの橋が架けられ、五条橋、中橋、天満橋、納屋橋、日置橋、古渡橋、尾頭橋は、「堀川七橋」と呼ばれました。

尾頭橋です。尾頭橋というと、JRAとか最中とか坂種病院とかOさんの家とか、いろいろと思い浮かびますが、橋そのものを見たのは初めてでした。

この辺りが城下の最南端であったそうです。佐屋街道にかけられた橋だそうです。

まもなくJR東海道線、中央線、名鉄本線のガードをくぐりました。下から見るのは初めてです。

次は「古渡橋」古く鎌倉時代の幹線道路・小栗街道にかけられた橋だそうです。

きれいに整備されています。

山王通り沿いの山王橋です。かつての名鉄中日球場前駅(現山王駅)と東別院の間にあります。

山王橋を横切り少し進むと、立派な構造物が見えてきました。「松重閘門」です。

松重閘門は、堀川と水位の異なる中川運河を結ぶために昭和5年に建設された閘門です。昭和51年以降現在は使われていませんが、閘搭が美しい姿をとどめ、名古屋市の有形文化財に指定されています。

ここでしばしの休憩です。

次に堀川七橋の一つ「日置橋」です。

江戸時代の日置橋は、桜と桃の名所で、茶屋などが店を構えて花見の船も繰り出すなど賑ったそうです。後から作られたであろう黄色の歩道橋の方が目立ちますね。

次は、大須通りにかかる岩井橋です。東に行けば西大須のスケートリンク、かつての大須球場です。西に向かうと、中川運河を渡ります。

洲崎橋に気づかず、新洲崎橋を横断して「洲崎神社」にお参りしました。

頭上に高速道路が走り目の前は広い道路が走るこんな場所にうっそうとした木立に囲まれた「洲崎神社」が現れました。

縁結びの神の石。火の神様、商売繁盛の神様等さまざまな神様が祀られています。

木挽町通りを歩いていると道路の向かいにコメダコーヒーが見えました。堀川沿いの駐車場と両方を見ると、昔の思い出がフラッシュバック!!!

お客様訪問していた途中に、チョイと一服した場所ではありませんか。数十年前の記憶がよみがえりました。(余韻に浸っており写真を撮り損ねました。)

そうこうしている間に一行は道路を渡るではありませんか。そこには、数年前にできたTERASSE NAYABASHIが。トイレタイムのようでした。

TERASSE NAYABASHIの前の堀川沿いには、堀川を開削した福島正則の像がありました。

この辺りは「納屋橋」を中心として、きれいに整備されています。この場所から堀川クルーズ船も発着しています。

最終地点に近づきました。予定では、天満橋、中橋、五条橋と行く予定でしたが、今日はここまで。

桜通り「桜橋」で稲葉さんのご挨拶です。

この後、昼食をどこにしようか迷いましたが、先ほどのTERASSE NAYABASHIに戻りフードコートで、思い思いのお昼をいただきました。

稲葉さん、今日も楽しい散策をありがとうございました。

 

 

 

 

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