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エジプト文明と「ピラミッド」

2023-10-15 19:23:00 | 世界史

【ピラミッド】 

 エジプトのピラミッドが作られたのは、日本の縄文時代の頃です。ピラミッドは、漢字では「金字塔」と書きます。金字塔とは「偉大な作品や事業」という意味です。ピラミッドは、全体的に四角錐で、横から見ると三角形、上から見ると四角形というきわめて幾何学的な形をしていました。立方体の石が積み重ねられた階段状の外観は、王が天に昇る「階段」や「太陽光の表現」ではないかとされています。ピラミッドは、エジプト人にとっての宗教的なシンボルでした。作られた理由には「王墓説」や「公共事業説」があります。

 【王墓説】

 ピラミッドは、王の墓であるという説が一般的ですが、異論もあります。その根拠の一つが、ミイラが見つかってないピラミッドがあることです。ただし、それは盗掘された可能性もあります。ピラミッドを墓だとしたのは、約2000年後にエジプトを訪れた古代ギリシャの歴史家ヘロドトスです。ヘロドトスは、ピラミッドが奴隷によって作られたともしています。しかし、本当に奴隷によって作られたかどうかは分かっていません。エジプトは、官僚主義的な中央集権国家でしたが、人種差別はなかったとされています。労働者は、手厚く保護され、報酬もありました。

 【公共事業説】 

 公共事業説とは、ピラミッドの建設が、失業対策の公共事業だったとするものです。作業に参加した労働者は、失業した農民だったとされています。彼らには、報酬として食糧やワインが支給されました。ピラミッドとは、エジプト人の英智の結晶だったとされています。専門的な知識を持った技術者と専属の労働者によって作られていたからです。公共事業説では、ピラミッドは、国民が一丸となって作る国家的な事業だとされています。

 【麦の文明】 

 エジプト文明は、麦によって支えられていました。小麦は、パンやビールの原材料となるものです。エジプト人は、植物を商業的規模で生産した最初の農耕民族だったとされています。それを可能にしたのが、ナイル川流域の肥沃な土壌です。エジプト人は、よく平焼きパンを食べていました。そのパンを「ガレット」と言います。ガレットは、労働者の給料でもありました。 同じく給料として支払われたのがビールです。エジプトでは、ビールは、安全な水分でした。日本のように水が綺麗ではなく、飲用水が少なかったからです。ビールは、栄養価が高く、エジプトでは薬とされていました。その他、水分補給を目的として栽培されていたものにスイカがあります。パンやビールの他に、ニンニクやタマネギも労働者の報酬でした。ニンニクやタマネギには、殺菌作用があります。そこから、魔除けの効果があるとされました。

 【死生観】 

 宗教とは、その地域の生産手段と無関係に生まれるわけでありません。穀物の死と復活のサイクルは、エジプト人の死生観に影響を与えました。エジプト人の死生観では、死者は再生します。そのために作られたのがミイラです。エジプトの王は、太陽神ラーの子とされています。そのため、沈んでは昇る太陽の化身でした。王は、死後も旅「航海」を続け、再び地上に現れるとされています。エジプトでは、死後の国は、巨大な海のようなものだと考えられていました。そのために、王墓に埋葬したのが「太陽の船」です。太陽の船は、実用的なものではなく、死んだ王の魂を運ぶものだとされています。そうした死と再生というエジプトの死生観を象徴をした生物が「スカラベ」という昆虫です。