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地域楽集館だより

地域楽集館はみんなが楽しく集まり楽しさも集まる大人の遊び場として2003年に開設しました。そこからの情報の発信いたします

頼れるのは杖と椅子の背もたれ?

2018-05-16 08:00:55 | 日記
 わが楽集館には多くのおひとりさまが遊びに来てくれます。横のつながりを広めるために、「おひとりさまのネットワーク」システムを作り、「ちょい悩み事相談」をみんなで考えます。特に、男手のない場合、電気の故障、庭木の手入れ、家族問題では、子供の離婚問題、相続問題、家族関係の不和など、医者や不動産屋さんの紹介など、たきにわたっています。

 男性からは妻を亡くした寂しさから、女性の友達がほしいなども出てきます。物理的なことは、すぐに手配ができますが、心の問題は、やはり、その人だけの答えが必要で、大方は、自分の心で答えを用意しているようです。日ぐすり、寝ぐすり、食いぐすりもあるよ・月日が解決してくれるよと。また、ひとに頼らない。頼るのは、転ばぬ先の杖、寄りかかるとすればそれは椅子の背もたれ。

 日々の暮らしで不平不満はつきもの。「幸せのハードルを下げて」自分流の生き方、楽しみ方、一人遊びのできる趣味を持とうよと。いづれ誰もおひとりさまになるのだから。


終ぞ行く道とはかねて知りかどを昨日今日とはおもわざりしを

2018-05-09 07:20:22 | 日記
 五月晴れ、薫風さわやか空の青、2月に脳梗塞で倒れ、総合病院のICUで闘病中の友人が亡くなりました。両ひざに人工関節をつけて、私のところで健康体操をやっていました。最初は椅子に座って、それから自分で寝返りをし、座ってできるようになったのですが、腰痛が起きて整形外科に通院するからとやめました。
 
 意識が戻って、これから転院してリハビリを始めるという矢先の訃報でした。75歳は後期高齢者。私も今年そこに仲間入りするものとして、いつどうなっても仕方がない年なのだと思いつつも、今日の元気を明日も明後日も、あと四、五年と欲もあります。

 妻を見送るご主人は83歳とか。心なしか小さく見えました。

五月晴れ、新緑から濃緑へ文化の森で森林浴

2018-05-06 08:26:08 | 日記
 5月5日は文字通り子供の日、周囲には鯉のぼりも子供の姿も映っていません。宇都宮文化の森の美術館の野外ステージでは、子供フェスタが毎年開かれています、同じ境遇にある毬子さんに電話をすると、夫の洋服の整理をしていて、着慣れた低シャツを見て、涙ぽろぽろだったの、こんな時の電話がどんなに嬉しいか」とやってきました。コンビニで、小さなパックに入った味噌あん入りの柏餅を買って待っていました。今から文化の森の散策に行こうと誘って、リュックを背負って歩き出しました。五月晴れ、風爽やかに気分も晴れて、森林浴をしながら、よもやま話をしながら。

 家に帰って、毬子さんお手製のパンをいただき、コーヒーブレイク、柏餅をほおばり、大人の休日を楽しみました。

どっかーんと異常な音に出て見れば我が家の壁に車が激突

2018-04-29 10:43:40 | 日記
4月23日午後14:13分ごろ、リビングで本を読んでいた時「ドッガーン」という音がしました。地震?交通事故、何かが落下?玄関に向かうと、あれ?うちが被害そのもの。土台の一部が壊れ、飛び出しているのです。表に出て見たら見慣れた車が壁に突き刺さって居ます。

 運転していた本人は茫然自失。声をかけ、まず、コップに水を一杯差し出す。すぐ事後処理開始。まづ110番、次に保険会社への連絡。そこからレッカー車とレンタカーの手配。リフォーム会社への連絡。30分以内に続々来てくれ、この情報社会の凄さを実感しました。ここでも、やっぱり、ブレーキ、アクセルの踏み間違い。年齢に関係ないらしい。ボーとしているか、考え込みか。保険で修理することで決着はしたものの、他人事とは思えない緊張感が漂う。
 
 一番心配は彼女の立ち直り。今まで通りまた遊びに来てくれること。

自分学び自分育てはエンドレス

2018-04-22 06:30:34 | 日記
 短歌木立4月号の巻頭言の依頼を頼まれ「自分学び自分育てはエンドレス」と題して投稿いたしました。会員の方より好評をいただき、私の友人や楽集館の皆様にもご披露しています。

「地域楽集館」は皆が楽しく集まり、楽しさも集まるという趣旨で、2003年に夫と二人三脚で高齢者遊び場、学びの場としてオープンいたしました。
当時は人生80年の時代、高齢者が元気であることがそれぞれ個人だけでなく、社会的国家的ロスを少なくできるという確信がありました。
その原点は父が丁度私の年齢の頃に「お前を大学に行かせられなくて済まなかった」と涙を見せたことにありました。
 
 高校卒業後、日本交通公社(現JTB)に就職してからも経済的自立亡くして精神的自立なしと、仕事も結婚も子育てもと欲張ってきました。子供たちが自立した時に私に残された仕事は大学進学という夢の実現でした。

 幸い、宇都宮大学、一橋大学大学院と足を伸ばし、還暦を迎えるときに、学んだことを社会にどう還元するか、それが「楽集館」の設立でした。中略
2015年に最大の理解者であった夫を亡くし、その思いを短歌にしたためていたころに、新聞社の選者であり木立の主宰者、栃木県短歌会会長をして活躍しているクラスメートの出会いがありました。

、新たな目的を持って、共通縁で繋がっている人たちが、自分自身を高め、健康になってゆく姿を見ながら、学ぶことの楽しさ、ひととの触れ合いの大切さを感じています。

 この先の余命は計り知れませんが。「これでいい。これが阿久津ワールドなのだ」と一人ごちています。