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地域楽集館だより

地域楽集館はみんなが楽しく集まり楽しさも集まる大人の遊び場として2003年に開設しました。そこからの情報の発信いたします

寝たきり老人にならないために

2018-06-08 03:37:21 | 日記

 6月7日の朝10時。卓球の集まりの開口一番「昨日のためして合点みました?」「うんうん見た見た」「阿久津さんは16年前からそれをやっているんだよね」「休憩時間には車座になって、お茶を飲み、持ち寄りの料理に舌包みとその作り方を聞き、政治社会の話をし、まさにこにゅみけーしょんの場だよね。」「ここの会員でよかった、そして健康づくりと一石三鳥かも」「目的縁で友達もでき、食事会も増えてね」
健康麻雀は頭と指と手と口を使い、カラオケは声をだして内臓のリハビリと認知症予防、論語塾では温故知新で人の生き方を学び、いいことばかりと褒めてくれます。

 でも、来る人はそれでいいけど、人集め、しかも高齢者の遊び場ですから本当は大変です、夫が生前良き言ってました「ここに来る人は暇つぶしに来るのだから、休みが多い、やめていくなど、愚痴を言っていたら始まらない、それを承知で、来た人に楽しんでもらうのが楽・集・館だろう」


自分の身体は自分が手入れしよう

2018-06-03 06:49:18 | 日記
  老年は自分で幸福を発見できるかどうか。幸福とは”それなりに”健康で、友達がいて、暮らしに必要なお金があることと覚えたり。他人がくれることことやしてもらうことを期待しない。安易に医者に行って薬をもらうこともしてもらうこともはいります。
 
 2003年に楽集館を始めて、最初の講座が「健康体操」でした。自彊術とヨガを組み込んだ体操で、伊藤恵子先生を講師に迎え今も続いております。
6月1日に20名の参加者でランチをしました。当時からではメンバーも変わり、日頃は背中と足の裏を見せる場面が多いので、なかなか顔と名前が一致しません。新参加者も4名は入りいい機会となり、自己紹介を兼ねて体操の効用や楽しさを語ってもらいました。

 高齢になると3歩下がって2歩進む?状態で体力の減退は否めませんから。今を維持したい。そして自分のことは自分で責任を持つということになりました。、

5月論語塾「憲法前文を読む」

2018-05-30 07:11:11 | 日記
 毎月第3月曜日は論語塾を開いています。今月は論語のほかに、憲法記念日にちばんで、安倍政権が進めている憲法改正も踏まえ、全員で、もう一度憲法を学ぼうと私の大好きな前文をコピーし、みんなで読みました。憲法9条、86条の国民投票についても確認しました。

 「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」「その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」


今の国会、行政はこの崇高な憲法に沿っているのか。自分の名誉にために忖度し、あいまいな答弁ではぐらかし、丁寧に誠実には言葉ばかりで、膿は自分なのに。官僚も大臣も国民のためでなく保身のために動くさまは、なんともおかしく映り、本当は国民がもっと怒らなければならないのに、井戸端会議でお茶を濁してしまっています。
 
 国民の義務は納税、有権者の権利の投票。こんな議員や政府を作ったのは有権者にアリ。民主主義はこんなものなのかと。他国を見れば人命の危機、生存の危機もあるからねえ。



人が集まる十の原則 

2018-05-27 09:27:22 | 日記
 地域楽集館は皆が楽しく集まり、楽しさも集まるということをモットーに運営しています。開設以来それを念頭に運営しています。


1、 人は人が集まるところに集まる

2、 人は快適なところに集まる

3、 人は噂になっているところ集まる

4、 人は夢の見られるところへ集まる

5、 人は良いものがあるところに集まる

6、 人は満足がえられるところに集まる

7、 人は自分のためになるところに集まる

8、 人は感動を求めて集まる

9、 人は情熱ある人を求めて集まる

10,  人は人の心を求めて集まる

高田好胤元薬師寺管主の言葉

2018-05-22 08:17:04 | 日記
「諸人よ思い知れかしおのが身の誕生の日は母苦難の日」
「持つ人の心によりて宝とも仇ともなるは知識なりけり」
「見よう見まねで真似て学ぶ子供の心は親の姿色に染まる」
「水を飲んで蛇はこれを毒とし水を飲んで牛はこれを乳となす」

最近、見識も高く、人の道を説く人、上に立って指導する人たちセクハラ・パワハラ事件が相次いで世間を騒がせています。善光寺、薬師寺の管主もおりました。仏の道も男の性には負けてしまったのでしょうか。薬師寺と聞いた時に、高田好胤管主の人となりを思い出したのです。
 これは10数年前に、高田好胤薬師寺の管主の講演会が宇都宮で開かれたときに、語られた言葉を私がメモしておいたものです。そしてこの言葉は頭の片隅で生きており、子育てにも役に立っていました。