気の向くままに

卒寿過ぎた私の日々の行動と昔の思い出の掲載です。北海道日本ハムファイターズのファン~元祖東急セネタース時代から

想い出の中国旅行 その33(2005年10月12日~18日)

2022-03-20 09:54:24 | 旅行

3月20日(日)朝から昨夜の雨も止み暖かさが戻ってきたようです。昨日も想い出の中国旅行を編集しようとしたらインターネットにパソコンが接続せず、光回線なので固定電話も通じなかったので、永年当時の電電公社に勤務したので故障係は116だったので、そこに電話を掛けたら数年前に回線をドコモ光りに変えたのでドコモに連絡をするように言われました。

ドコモに連絡したらルーターの番号を聴かれ教えたら、今、東北の地震で対応に追われているので明日詳細を連絡すると言われました。今朝電話機を操作しましたら発信音が出ましたので自然回復で旅行記事の編集する事が出来ました。

しかしオンラインで仕事、授業等をしている方がこんな事態になったら大変だなと年寄りがつくづく感じました。

青島~泰安~泰山~煙台~大連~旅順~大連
世界自然遺産の「泰山」と現代史の「大連・旅順の旅」
2005年10月12日~18日
17名の仲間で2度目の山東半島と遼東半島の旅。大連、旅順では現代史の学習。旅順からは私たち用にディゼル機関車が牽引する一両の観光列車に乗り、その後、旧満州を走った亜細亜号の機関車を見る
10月12日
成田発ANA927便2時間50分の空の旅で12時50分青島空港に着く、私は2度目。前回は成田からの直行便が無く福岡空港から入る。お馴染みの中国スルーガイド陳さんと現地ガイド帳さんのお出迎え。青島は1898年ドイツに租借され、第1次世界大戦でドイツが敗北すると日本軍の手に落ち、日本の敗戦後は米軍の基地が置かれ1949年に中国に戻された。先ず市内の欧風建築が一望される小魚山公園から綺麗な屋根群を見る。次に、1910年ドイツ人の設計により建てられた基督教堂で1000人が入る礼拝堂等を見学した後、本場ドイツ仕込みの青島ビール工場へ。ここでは青島ビール博物館と工場見学。工場の歴史や製造方法を学習しビールの試飲をする。最後は自由市場見学。夕食はレストランで海鮮料理を堪能。今夜の宿は青島麗晶大酒店。
   
 青島ビール工場で 
青島の欧風の街並み 
10月13日
8時にホテル出発。郊外にある嶗山へ。嶗山は海辺から直ぐに花崗岩に覆われた山で麓に道教寺院の太清宮がありここを見学。その後、20世紀初頭に外国人の別荘があった八大関に行き、ドイツ、ロシア、イギリスなど20ヶ国を超える国の建物を見る。付近の海岸ではウエデイングドレスを着た多数のカップルを見かける、写真の撮影に来ているとのこと。海辺のレストランで昼食後、高速道路で泰山の麓の泰安に向かう。約6時間のバスの旅で宿の泰安華僑大履に着く。ここには2泊
  
青島・基督教堂
 
青島郊外嶗山と大清宮
青島の海岸でウエディングドレスが多く見られた(流行とのこと)
 
10月14日
8時30分ホテル出発。泰山ロープウエー乗り場の「中天門」近くに向かう。前回来たときは強風でロープウエーが運行せず泰山登山は断念した。今回は穏やかな日和でOK.。泰山は1987年に歴史と自然景観に恵まれた地として自然と文化の複合世界遺産に登録された。ロープウエーから見た泰山の山並みは樹木の豊かさ、切り立つ断崖・奇巌と彩っている。頂上近くの月観峰でロープウエーを降りる。麓からは約9キロ7,000段を超える階段の頂上入り口の「南天門」から下界からの延々たる階段を見下ろした後、そこから登山路の両脇に土産物店、レストラン、ホテルが岩に寄り添うように建ち並ぶ天上の街「天街」を抜けて通り、泰山頂上1,545㍍玉皇頂の寺を参拝。泰山見学後、泰安市内に戻り昼食。午後は徒歩での泰山登山の第1歩となる「一天門」で階段を数段歩いた後、泰山への登山は「岱廟」への参拝から始まると言われる「岱廟」を見学。中心にある「天貺殿」は中国三大宮殿建築のひとつとされる。敷地内には大きな銀杏の木があり大勢の人が銀杏の落ちて来るのを待っていた。
泰山ロープウエーから 
泰山を目指して徒歩で上って来た人達

1545メートル泰山山頂
岱廟にて
 
10月15日
大連に渡る煙台へ高速道路を利用してのバスの旅。8時にホテル出発。途中、山東省の省都・済南付近の車中から黄河を見る。昼食は一旦高速道路を降りて、世界凧大会で知られている、い(漢字=シ偏に維)坊市のレストランで摂る。再び高速道路に戻り17時頃黄海が直ぐ見えるホテル、煙台大酒店に着く。
煙台への案内板前
10月16日
7時30分にホテル出発。煙台港から大連迄は黄海を横断し高速船で2時間半の予定が、波が荒く4時間丁度かかり12時30分に大連港に着く。大連のガイド干さんが出迎え。干さんは平塚市内の東海大学卒業。横浜の方々でアルバイトしたとのこと。早速市内のレストランで昼食を摂るが、工夫茶なるお茶の急須からの注ぎ方が写真のように手際が良く感心した。昼食後、大連市内に残る戦前に日本が建てた旧大和ホテル、旧満鉄本社、旧港湾局、旧日本人街の家屋等を見学し、市電の路面電車に数区間乗った後、大連で最も風光明媚と言われる「老虎灘公園」に行く、途中の北大橋で、ここでも多くのウエデイングドレスのカップルに握手をしたり祝福の言葉を述べたりした。宿は大連東旭王朝酒店。ここに2泊する。
  
煙台から大連への高速船の船内
 
大連・乗ってきた高速船をバックに                       
大連港埠頭
 大連・工夫茶にお湯を差す
 
大連駅前(上野駅に似てます)
大連・旧日本人街の家

大連北大橋の新婚さん
 北大橋手前で他の新婚さん
 
10月17日
8時ホテル出発。日露戦争の激戦地であった旅順に向かう。途中2両編成のスマートな新型市内電車を幾度か見る。水師営会見所(復元)跡、二〇三高地、東鶏冠山で流暢な日本語で話す年輩のボランティアガイドから展示されている日露戦争当時の写真等の説明を受ける。昼食は水師営会見所の傍らのレストラン。午後は観光列車「亜細亜号展望車」に乗車。私達用にディゼル機関車が牽引する一両の列車が旅順から大連まで走る(通常は客車の運行はしていない)。乗車場所は駅では無く、踏切から。乗車したら「四季の歌」の音楽で歓迎。車内にはガラスケースの冷蔵庫にドリンク類が有り、約2時間で大連に着く。近くにある車庫で旧満州を走っていた「亜細亜号」の機関車を見る。機関車は瀋陽と大連にあるとのこと。車輪の大きさに驚く。最後の夕食は海鮮料理で、日本では食べたことのない鰈の活き作りを食べる。
旅順・水師営

水師営会見所にあった乃木・ステッセル等の写真
 
旅順・203高地から旅順口を見る                       
 旅順・東鶏冠山にある日露戦争当時のロシア要塞 
                                             
旅順からディゼル機関車が牽引した一両の私たちツアーの為の 観光列車。乗車場所は写真の踏切      

  

乗車した観光列車の機関車と展望席
     
亜細亜号機関車の前で                                    
亜細亜号の勇姿

10月18日
ホテルを10時50分出発し大連空港へ。車内で陳さんの「星影のワルツ」で中国とお別れ。2時間20分の空の旅で16時50分に無事成田着。飛行時間は沖縄より近かった。
 

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