江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

船橋市の漁業を知る

2016-10-09 | 随想
秋を迎え、市内各地域の公民館はこぞって特色ある教養講座を企画している。

平日開催するため、対象者は自ずと定年退職した「熟年者」になる。
私は、今年初めてこの種の講座に申し込みをしたが、人気のある講座は市の広報誌に出た日の午前中で定員に達してしまう。
ものすごい速さだ。
それだけ、みなさん教養に飢えているというか、暇つぶしの場探しに必死なのだ。

一つ断られた後、次々に電話をしてようやく三つの講座をゲットできた。
ほとんどが無料の講座である。

参加者の構成を見てみると、内容により若干は異なるものの凡そ次の様だ。
歴史物は圧倒的に男性が多く、女性は片手で数える程度。
年齢は、70代がほとんどで80代と思われる者も少なくはない。
私のような60代は、ほとんどいない。

その他の講座も似たり寄ったりである。
つまり、団塊世代より上の世代で固まっている感じだ。

みなさん、顔なじみも多そうで、まるで学校の教室のような様相を示すこともあるが、初めてこの種の世界へデビューした私は緊張気味であった。


さて、今回紹介するのは、その名もいかにも熟年向きの「はさまいきいき塾『船橋の市農(漁)工商』」という全5回にわたる講座だ。
第一回目は、「船橋なんでも一番ものがたり」と銘打って、「一番を通して郷土船橋を知る」というものだった。
まあ、言ってみればオリエンテーションみたいな役割を果たしていた。
歴史を始めとして地形や各種産業、教育・文化までをフォローした社会科学習である。

それを受けての第二回、第三回は外へ出ての現地学習だ。
まず、市内最大の下水処理場と新聞印刷工場の見学をした。
これも、実に面白く考えさせる学習であったが、今回は、「船橋市の漁業」の学習を紹介したい。
何しろ、めったに体験できない漁船に乗って東京湾に繰り出したフィールド学習ができたからだ。

1960年代末期から70年代初めにかけて、東京湾に面する船橋沖の海は京葉港の創設に伴い漁場が縮小し、漁業補償の協定を締結するに至った。
いわゆる、それまであった漁業権の放棄である。
これを機に多くの者が漁業から離れていくことになるのだが、その後も一年ごとに個人単位で漁業権を更新しているとのことだった。

堂本知事の時に、三番瀬等を守る環境保護運動が高まりを見せ、埋め立て計画は知事によって白紙撤回されたのだが、その後も漁業従事者が安心して操業を続けられるような抜本的政策は講じられていないようだ。
そのため、千人近くいた漁師も年々減少し、今では130名しかおらず、平均年齢70歳という高齢化が進んでいるとのことだ。

下水道の普及により雑排水による汚染は減少したものの、地球温暖化が確実に影響し赤潮や青潮が頻繁に発生している。
昨年等はアサリが壊滅的被害を受ける等の事態となっている。
また、かつてはイワシ等の回遊魚をはじめ多様な魚が大量に獲れていたのに、近年は外来種のホンビノス貝とスズキが主な漁獲物となってしまったようだ。

この様に大きな課題を抱えつつも、漁業協同組合を始め行政も支援しながら船橋の漁業を守ろうとしている。

その、ごく一端をこの目で見られるということが、今回の企画の目玉であった。



救命胴衣を身に着け、漁船は海老川河口の漁港を出発した。
全員後向きに椅子に座り、海老川水門を北に眺めつつ、東側にはららぽーとがつづく。
湾岸道路と並行する京葉線の鉄橋の下を潜り抜けると、次第に視野が開けてくる。
陸上から見る景色とは全く異なる。
乗船者は、まるで子どものようにはしゃぐ。




パナマ船籍の貨物船が何やら荷を積んでいる。
スカイツリーも海の向こうに見える。
そして、霞んではいるが、富士山もはっきり見ることができる。

水しぶきを上げながら船は進む。
案外スピードがあるものだ。
波しぶきと海風を受けながらのマリンスポーツ感覚にも浸れる。




無数の貝殻が集まり、まるで小さな島のようになっている場所があった。
夏場には、若者たちがここに上陸してバーベキューをやる姿が見られるそうだ。
自前の船があったら、絶対に来てみたい場所だ。




更に船は沖に向かう。
何やら黒いかたまりが島のように浮かんでいる。
船が近づくと、一斉に船と同じ方向へ動き出した。
ウミウだ。
その数、数百、いや数千はいるかもしれない。




さて、いよいよ本日のメインイベント「底引き網」の操業を見学する場所にやってきた。
小さな船に漁師は一人、停止した船の後方部に立ち、機械を使って網を巻き上げている。
周りにカモメたちが集まり始めた。
網が見えた。
しかし、中にはあまり入っていない。




次の場所に出向いた。
漁師は懸命に手で網をまさぐっている。
いた!
スズキだ!
漁師は手に持ってかざしてくれた。
一斉に船上から拍手が起こった。

本来の漁場と時間ではなかったようだ。
今回は私たちのために、わざわざ実演してくれたとのことだった。




やがて、船は西に舵を切り三番瀬に向かった。
途中、魚たちが出迎えてくれるように船の周りを飛び跳ねて姿を見せてくれる。
船員が、竿を海底に向けてさす。
かなり、浅い。
ここは、魚たちの産卵所、東京湾に残された貴重な魚たちの生まれる場所だ。

種付けが終わったばかりという海苔の養殖場も横目で眺め、船は再び東に向けて進んだ。




どこかで見た様な船が岸壁に繋がれている。
かつての南極観測瀬「しらせ」だ。
初めて海側から眺めると、船首を始めけっこう頑丈そうな造りに見える。
途中、浅いところがあるのに、よくぞここまでやって来られたものだ。

サッポロビール工場も見えた。
昔は、巨大人工スキー場の「ザウス」も見えたのに、今は「IKEA]である。
とにかく、船橋の海はすっかり埋め立てられ、広い敷地には企業が進出してきている。

川崎製鉄の千葉進出以降、千葉県の東京湾はどんどん埋め立てられ、昔の海岸線は消えた。
私の年代でさえ、かつての黒砂海岸や稲毛海岸、そして谷津海岸も船橋ヘルスセンターも知っている。
潮干狩りや海水浴をした光景が忘れられない。


目を閉じて昔の風景を思い出しながらウトウトしていたら、やがて船は漁港に帰着した。
とっても楽しい海上からの見学だった。




岸壁には、一足先に底引き網で獲られたスズキが上がってきていた。
これが、船橋名物のスズキだ!
盛んに尻尾を振り上げていた。



<すばる>

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