誹謗・中傷・罵詈雑言・承り処

私のホームページを見て、講評、批判を受け付ける場。

大事件の風化

2012-09-12 11:15:27 | Weblog
昨日、9月11日は昨年の東日本大震災から1年半、アメリカの同時多発テロ、WTCビルへの旅客機の突入から11年目にあたる。
こういう大事件も年月とともに風化するのが自然の人間の在り様だと思う。
人間は昔から『考える葦』と言われて、自然のままの状態であれば、時の経過とともに風化していくものを、『考える』ことによって故意に風化させないようにしている。
その為には、恣意的な力を作用させなければならないので、この部分に人間の『考える力』が力を発揮するわけで、その『考える力』は人間の潜在意識としての欲望にコントロールされている。
つまり、煩悩に翻弄され、理性とか知性が欲望に抑え込まれて、自然人の発想が自然のままに噴出してしまうということで、それは限りなく動物に近い存在ということになる。
『考える力』でもって人間の基本的な欲望を抑え込むようにすれば、『考える葦』が真に『考える』という行為をなすことになるが、人間であるが故に、どうしても潜在意識には抗うことができず、煩悩に支配され、野生動物に酷似しがちになる。
如何なる大事件でも放っておけば風化するわけで、風化させないためには、次世代に対して執拗に教育するほかない。
日本の周辺諸国、つまり中国や韓国は戦後67年間ずっとこれをしてきている。
これは中国や韓国の人々の有史以来の潜在意識としての対日感情であって、その背景には戦前の日本支配まで続いた対日蔑視とも密接にリンクしていたのである。
アジアの民においては、漢民族も朝鮮民族も、有史以来、日本民族を蔑視していたけれども、それが明治以降、日本民族に支配されたということは、彼らにすれば筆舌に尽くせないほどの面目を失ったわけで、その怨嗟の気持ちを風化させないように、教育で下支えしているのである。
中国や韓国の人々が、有史以来の潜在意識としての対日蔑視の感情を持ち続けていたということは、彼らの思考が自然のままであって、そこには彼らの精神の進化はみられず、自然の在り様そのままの姿を晒しているということである。
つまりそこには文明の光が差し込んでいないという事だ。
こちら側が、論理的で合理性に富んだ話し合いをしようとしても、議論が噛み合わないことは当然のことで、なんとなれば彼らは文明の対極にある野蛮人に他ならないからである。
自己主張のみを大声でがなり立てて、こちらの話を聞こうともしない態度は、こちらを蔑視している歴然たる証拠ではないか。
過去の事件を風化させることなく、いつまでも怨嗟の気持ちを持ち続けては、未来志向は生まれてこない。
我々の国もアメリカの占領を6年半受けたけれど、占領という屈辱を前向き思考にすり替えたので、戦後の日本の復興があったが、それも世代交代の時期を迎えたので、日本の繁栄も尻下がりになっている。
我々の新しい世代は、戦後の繁栄に胡坐をかき、戦後という苦難の時代があったことを亡失しかけているが、海の向こう側では、教育によって対日蔑視を煽りつつ、それを民族の繁栄の起爆剤に繋げるべく、反日教育に力を入れている。
別の意味で歴史の風化を教育によって防いでいるともいえる。
その先には歴史を「外交交渉の切り札にする」という、我々の発想では野蛮としか言いようのない想定外の思考を彼らはしようとしている。

教育の本質

2012-08-30 08:43:40 | Weblog
ある日、私の属する自分史サークルの定例会が行われ、その時に講師の先生の合評が執り行われた。
その先生も会員の一人として『バイトに明け暮れた高校から大学時代』という題目で作品を連載され、それについて短い著者自身の趣旨説明と、それに対する会員相互の合評が行われた。
この時は『教官群像』というサブタイトルで、在学中に先生自身が関わりをもたれた様々な教官の群像を面白おかしく綴られていた。
だが、それを読み、話を聞いた私は、なんとも不可解な気持ちに陥った。
先生はその当時、つまり戦後の初期の段階で、ある学芸大学(国立)に入学を許され、そこに在籍され、そこで教員になるべく教育を受けられた。
この頃の日本社会はそれこそ日本の全ての階層が貧乏で、人々は飲まず食わずの生活を強いられていた時期で、先生の作品には当時の時勢が忠実に再現され、嘘偽りはないと思うし、それが真実であればこそ、私の憂いは深化し、憂慮する気持ちがふつふつと沸き立った。
それは同時に、当時の日本の大学、つまり「学問の府」の普遍的な在り様であって、この大学だけの特異な現象ではなかったに違いない。
あの時代の日本の大学、特に新制大学の大部分は、この大学と似たり寄ったりではなかったかと思う。
つまり、当時の学芸大学は、先生の言葉でいうと、「粗製乱造でも教員免許を早く取らせて義務教育の職場に送り込む、それが第一目標であって、……」となっているが、私としてはこの部分に引っ掛かりを覚える。
敗戦からの復興の最中において、教育に関するものの考え方も、占領軍によって無理やり方向転換させられ、義務教育の現場も、それを支える個々の先生方も、暗中模索、試行錯誤の連続であったことは察して余りある。
しかし、いかなる学制の元でも、最高学府である筈の「学問の府」が、卒業生を粗製乱造していては、大学そのものを否定していることになるような気がしてならない。
これは戦時中の大学が、当時の国策に則り、兵士の不足を補うために大学在学中の若者を一人でも多く戦地に送り出すべく、本来全うすべき学業を放棄して、繰り上げ卒業をさせた構図と同じ発想だと思う。
敗戦によって復員してきた若者や、外地や戦地から引き揚げてきた若者に、一日も早く仕事を与えるという意味と、戦後復興の潜在能力としての初等教育の充実という両面からの施策ではあろうが、教育が教育の本質を蔑にしては本末転倒だと思う。
教育の本質を考えた時、俗に言われていることは、アメリカの大学は「入るのは簡単だが出るのは難しい」とされているが、学校教育というのはこれでなければならないと思う。
教育を受けようと蝟集してきた若者に対して、ろくに内容のない授業を実施し、学生の指導もいい加減なものであったとしたら、普通の組織であれば職務怠慢、職責蜂起ということになり、組織の存在意義を失うことになるのが筋である。
教育を受けるチャンスは、間口を広く開けておいて、その中で一定のカリキュアムを設定して、そのカリキュラムをクリアーした人だけを卒業生として認める、というのが教育の本質だと思う。
教える側として、規定のカリキュラムを習得した者にのみ、それを習得した証明として卒業証書を授与するのが学校教育の本旨ではないかと思う。
カリキュラムをクリアーする部分において、そこがいい加減で、教えるべき、教わるべき内容が不十分のままスルーしたとしたら、教育の意味をなさないではないか。
日本の場合は、篩の目を細かくしておいて、その細かい目をクリアーした人は、大学在学中に何をしても、しなくても皆一律に卒業できるというのは、真の学校教育ではないと思う。
戦中は大学生の勉強するチャンスを無理やりへし折り、戦後は、教える側も教わる側も、勉強らしい勉強をしないまま、職場、公立学校の先生という職場に送り出すという発想は。そのまま戦中の繰り上げ卒業の発想と軌を一にしている。
この結果が戦後の日本社会を築き上げたということになるのであろう。
先生は在学中に受けた奨学金の返済義務を全うされた後、教職を離れられたが、先生の同期生、あるいは先輩・後輩は、ここで述べられている教官の教育的影響を受け継いだまま、教職を続けられたに違いない。 
学芸大学という教員養成機関の学生が、その本来の教育に関する授業をほとんど蔑にしたかのような状態のままで卒業して、県下の公立学校に赴任して、精神的にも真っ白い白紙のような児童に、将来の日本を託せるような教育が施せるものだろうか。
初等教育、日本の場合、小学校や中学校までの教育は国家主権と大きく関わり合って当然だと思う。
如何なる主権国家でも、将来を担う小国民には、「こういう人間になってもらいたい」という強い国家としての希望を抱いて、その線に沿って国が教育を主導するのは当然のことだと思う。
戦後の日本でも、近未来の日本の設計図を、少国民をはじめとする教育界に示すことは、国家の主権の範疇である。
戦前・戦中は不幸にして、それが軍国主義に席巻されて、軍国少年少女を輩出してしまったが、それをコントロールすべきが本来は教育界でなければならなかった。
戦前の日本の教育界が無能であったが故に、軍国主義の浸透を許し、祖国は奈落の底に転がり落ちたということにつながる。
教育界、つまり人にモノを教える立場の者は、ヒエラルキ―を完全に容認しなければ安らない。
教える側と教えられる側が対等であってはならず、教える側は常に教える側の上位に居なければならないが、戦後の民主教育ではそれが全否定されて、教員養成機関を出た先生方は、その期間中にろくな教育を受けていないので、その教育の本質に目覚めることなく来てしまったという事だ。
戦前の教育界は軍部に屈し、戦後の教育界は民主的という美辞麗句に屈してしまったが、教育界という小学生や中学生の前でしか威張れない学校の先生の支配する世界というのは、この程度のものでしかないという事なのであろう。まさしくデモシカ先生そのものではないか。
今、アジア諸国の対日感情は極めて悪いが、これはそれらの国々が国策として、戦後六十七年間も、日本の悪口を彼らの少国民に言い続け、教育し続けているわけで、それはある種の民族意識にまで昇華してしまっている。
それは戦前、日本がしてきたことと同じ道であるが、ここでも教育の在り方が大きく関わり合っている。
戦前の日本には、海軍兵学校と陸軍士官学校があって身体強健、学術優秀な若人はみなそこに憧れて、世間の評価も一段と高く、今でいえば、オリンピックで優勝したかのようにもてはやされたものだ。
しかし、日本の敗戦はそういう人たちが引導したわけで、負けるような戦いならば何もそういう人がやらなくともバカでもチョンでも出来る。
彼らは、そういう特殊な学校に入学する前は、近郷近在でも優れた人材であったのに、なぜ、日本が奈落の底の転がり落ちるのを止められなかったかと問えば、官僚主義にどっぷり浸かり切って、事の本質を見失っていたからに他ならない。
つまり、学芸大学の教官が、学生にろくな教育を施さないまま卒業させて、そういう教育を受けた学生が先生として県下の教育現場に散って行った構図と瓜二つということが言える。
つまり旧軍の高級幹部と戦後の公立学校の先生の在り方としての共通項は、いずれも事の本質を全く理解していないという点である。
旧軍人にしろ、今の先生にしろ、「自分が今すべきことは何か」と自覚すれば、普通の人ならば、自分のすべきことはおのずと判ってくるはずであるが、それがそうならないということは、他者の存在が大きく影響を及ぼしているということである。
これは先生だけの問題ではなく、日本のあらゆる組織の全てにおいて言えることではある。

竹島問題

2012-08-25 09:43:36 | Weblog
今年の夏(平成24年)に日本を取り巻くアジアの周辺諸国の動向を見ていると、私は日本語で言うところの『さもしい根性』という言葉を彷彿させられた。
「さもしい」という日本語は、「卑しい」という言葉に限りなく近い語感を持っていて、それは日本語の価値観の中ではほぼ同意語だと思う。
この二つの言葉の正確な使い分けは、浅薄な私には荷が重いが、問題は、我々の価値観が相手に通じないとき、これは感情論の迷路に嵌りこんでしまうということである。
価値観が違うということは、それぞれに違う土俵で一人相撲を取っている図でしかなく、物事の相互理解を深めることに何一つ貢献する要因がない。
東アジアの諸民族の思考の底には、大なり小なり儒教思想というものが伏流水として流れていると思う。
だいたいどの民族でも、年上の者を敬い、皆仲良く、お互いに協力し合って、日々の生活に素直に順応しなさい、というような人の生き様を規定する言葉には、民族が違うからといってそう大きな違いはないと思う。
儒教という土俵の中で、価値観を共有しているはずだが、それが現実にはそうなっていなくて、それぞれが法と秩序に則って正義を貫いているつもりではあるが、その法と秩序という土俵そのものが同じ基準ではなかったというわけだ。
だがこれは生きるということに対するミニマムの潜在意識であって、人間の集団の中に生れ落ちた一人の赤ん坊は、成長するに従い周辺から色んな情報を習得して、潜在意識とは別の後天的な思考を身に付けるのが普通で、この人間の集合がそれぞれの個人の生き方を大きく左右する。
この世に生まれ出た人間は、自分自身が生きんがために、無意識のうちに生命維持のためのベストの選択をするが、その上に後天的に後からついた知恵が集合して、それがマスとして集大成された時、それがある民族の文化になるものと私は考える。
この文化は、その人間の生きる環境、置かれた場所によって、当然のこと地勢的な影響を大きく受ける。
言うまでもなく砂漠で生きる民と、北海の寒冷地で生きる民では考え方も発想も違っていると思う。
この違いは砂漠と寒冷地というような極端な例を持ち出すまでもなく、海を隔てた島と大陸の間にも当然あって当たり前だと考えられる。
それは今さら言うまでもなく、日本とアジア諸国の間にもあって当然なわけで、それが今回の韓国大統領の竹島上陸の問題であり、尖閣列島に対する中国の活動家たちの上陸であったと思う。
特に、韓国の大統領が竹島に上陸したということは、韓国国内向けのパフォーマンスであり、日本に対する恫喝でもあるわけで、こういう恫喝を臆面もなく行うという発想が、朝鮮人の朝鮮人たる所以であって、その部分が、我々日本人から見て「さもしい」という言葉が見事に当てはまるという事だ。
67年前、日本が完膚なきまでにアメリカに敗北した時、焼野原の東京や横浜で、朝鮮人は「自分たちは戦勝国の人間だ」と言って傍若無人に振る舞って、敗戦で権威を失った警察では手に負えず、暴力団の手を借りなければ治められなかった。
つい先ほどまで日本人に対して上目使いに協力する振りをしていても、日本の敗北が現実のものとわかると、臆面もなく掌を反して、水に落ちた犬を叩く、つまり弱みを見せると直ちにつけあがる、というのが彼ら朝鮮人の潜在意識であり、それが彼らの民族性でもある。
戦後の李承晩ラインの設定も、彼ら朝鮮人に弱みを見せると徹底的につけあがる、という典型的な事例であって、竹島はその時に李承晩ラインの内側に設定されたことにより、彼らは自国領だと主張する根拠にしているのである。
こういう態度を武士道をわきまえた日本人は心底軽蔑するが、朝鮮人にはこの我が同胞、日本民族の矜持が理解できないままなのである。
日本の武士道精神は、我が同胞の潜在的な至高の価値観であって、個々の同胞は須らくこの精神に準拠して身を律することを誇りに思っているが、朝鮮人にはこういう民族固有の気高い潜在意識があるようには見えない。
だから彼らの価値観として、そういう行為が人として卑しい行為、さもしい行為、品のない立ち居振る舞い、という認識は微塵も存在していないということだ。
この彼らの潜在意識、彼らの民族性は、日本人の価値観からするとまさしく「さもしい根性」という表現でしか言いようがない。
自分たちの弱さをカモフラージュするために虚勢を張っている姿にしか見えないではないか。
最近の日本はほぼ1年交代で首相が代わっているので、如何にも弱体化したように他者の目に映るのは致し方ないが、その隙を突いて既成事実を作り上げようという魂胆が、戦後の焼野原であばれた朝鮮人同胞の振る舞いと軌を一にしているではないか。
大阪生まれ李明博大統領がその辺りの事情を知らないわけでもない筈なのに、敢えてそれをしたということは、朝鮮民族の民族的潜在意識を脈々と引き継いでいるわけで、それはとりもなおさず我々の価値観で言うところの「さもしい根性」の見事な具現化という他ない。
この「さもしさ」というのは、大統領の竹島訪問のみならず、彼らのいう従軍慰安婦の問題にもいえている。
そもそもこの従軍慰安婦という言葉は日本語にはないモノだが、昨今では日本語の辞書にも掲載されるようになった。
こういう点が「嘘も100篇繰り返すと真実になる」という顕著な事例である。
朝鮮人の「さもしさ」の事例としても、こういう売春婦を政治の舞台に引っ張り上げて、朝鮮の政治家は「こういう賤しい人々の味方でもあるのだよ」ということを臆面もなくPRする心根が問題だと思う。
売春婦までも味方に引き入れなければ、大統領としての人気が維持できないというところが「さもしさ」の具現でもあるわけだ。
もっとも、従軍慰安婦という日本語が日本に無いように、「さもしい」という情感を表現する朝鮮語も、彼らには無いのかもしれない。
我々の価値観では、売春婦というのは最下層の女性という位置づけであるが、朝鮮では必ずしもそうではなくて、案外、社会的な地位が高い職業なのかもしれない。
だからこそ彼の国の大統領までもが、そういう賤業の女性の地位向上に情熱を傾けているのかもしれない。価値観の相違というのは克服のしようがない。
他人の嗜好に良し悪しがつけられないのと同じで、相手が「嫌いだ」というのに「好きになれ」といっても埒が明かないのと同じで、これは平行線のままで終わるほかない。
相手の言い分に整合性がないので、無視するとこちらの不誠実を声高に詰って、自分たちの土俵に上げようとするが、論理的に整合性の在る議論の組み立てを拒み、感情論のみで、「嘘も100回言えば真実になる」という世界なので、私たちとしては対応のしようがない。
彼らには日本流の価値観は通じないことは重々わかっているが、こういう論理の判らない相手に対しては、どういう対処の仕方があるのであろう。
地球規模で見て1+1は2であり、2+2は4であるが、朝鮮民族に限ってはこれがそのまま通らないわけで、1+1が3であり、2+2は5なわけで、「あなた方は間違っていますよ」と言っても、「朝鮮ではこうなのだ」と言われると、後の話が続かなくなってしまう。

スイカ・ダイナマイト

2012-08-10 20:15:35 | Weblog
私は性来怠けもので、ほんのわずかな家庭菜園も草ぼうぼうにしてしまう。
それでも家の前の空き地が農地になっているので、仕方なしにいやいやながら作物を作っている。
春になると近くのホームセンターで苗を買ってきて植えているが、もともとが自分が怠け者で世話しきれないことが分かっているので、そう大層には取りかからない。
それでも今年の春には西瓜の苗を買ってきて植えておいたが、実がなりそうなのでビニールのキャンプを被せておいた。
最初のうちはそれでも小まめに草取りをしていたが、そのうちに雑草に負けてしまって、手に負えなくなってしまった。
それで本日、曇っていたのを幸いに、草刈り機でその雑草を刈り払った。
雑草の中にハンドボールぐらいのダイナマイトという品種の西瓜と、もう一つ普通のバレーボールぐらいの西瓜ができていた。
ダイナマイトというのを早速家内が切って見ると、十分に熟れていて、実に美味ではないか。
そう大して世話したわけではないが、お天道様のお恵みが、私のような怠けものにまで行き届いているということに感謝感激である。
本日の夕食のおかずは全部自家製の野菜だと家内が言っていた。
自分が怠け者であるがゆえに、自分で作った野菜を、自分で食す贅沢を、我ながらありがたい気持ちでいる。
心の芯から、神様、仏様、キリストさま、ありがとうという心境だ。

『「人災」揺るがず』という大見出し

2012-07-25 10:41:49 | Weblog
7月24日の中日新聞朝刊30ページには『「人災」揺るがず』という大見出しで、東京電力福島第1原子力発電所の事故調査に関する記事が出ていた。
この昨年の3月11日に起きた大事故に関しては、あまりにも事故の規模が大きくて、日本のみならず世界的な大問題になっていることは周知の事実である。
この事故は、甚大な被害をもたらした未曾有の事故なので、徹底的な原因究明ということは避けては通れないであろう。
だが、問題とすべきは、その原因究明の仕方というべきか、そのアプローチの在り方であって、事件が発生して既に1年4カ月が過ぎたので、いろいろな組織が原因究明に立ち上がって、その作業も佳境に入って、結論が出始めた。
この日の中日新聞の報ずるところでは、昨日23日に結果報告をしたのは政府事故調査検証委員会の報告で、それ以前には国会事故調査委員会、民間事故独立検証委員会、東京電力調査委員会と単純に見ても4つもの組織が同じ事故を調査しているということになる。
言うまでもなく常識的に考えて、こういう委員会のメンバーは、そのあたりのオッサンやオバサンではなく、それ相応に学識経験豊富で、知見の高い人たちである。
こういう人たちが4つもグループを作って、一つの課題の究明に当たれば、答えは一つに収斂されないことは火を見るよりも明らかなことである。
こんな原発事故を引き合いに出さなくとも、過去の事件でも高名な学識経験者に鑑定を依頼すれば、結論が見いだせなくなって、迷宮入りになることは掃いて捨てるほどある。
古い事件で言えば、下山事件では死後轢断かそうでないかで結論は正反対だし、名張ぶどう酒事件では、歯形が一致するしないで結論は正反対になっている。
高名な学識経験者が、たった一つの真実を見て、結論が正反対になるということならば、彼らの習得した学識経験というものは一体何なのか、ということになるではないか。
今回の東京電力福島第1原子力発電所の事故調査でも、学者を大勢集めてきて「ああでもないこうでもない」と議論を深めれば深めるほど、真実は闇に中に潜り込んでしまうはないか。
大勢の専門家が、一つの真実を掘り下げれば掘り下げるほど、結果が多岐にわたるということは、専門家の持っている知見が、確定的な真実や真理ではないので、それから導かれる結論が他者の攻撃にもろくも敗れ去るということである。
しかし、相手の主張に簡単に屈服してしまえば、自分の権威の低下につながるので、そこで無理を承知で、自己の主張を押し通そうとするので、正反対の結論に至るというわけだ。
今回の事故調査においても、東京電力の事故調査は企業として当然の措置である。
企業の事故調査報告である以上、自分たちに都合の悪い事は隠し、支援の得やすい報告になるのは当然のことである。
当然のこと、公平な視点には立てないわけで、色メガネであるということを考慮して眺めなければならない。
民間の調査委員会というのも、国と企業が癒着して真実を隠ぺいするのではないかという危惧の下に、そうあってはならじというわけで、民間の組織で原因究明をするという志は立派だと思うが、民間だけの力でどこまで真実に迫れるかは甚だ心もとない。
こういう意地の悪い見方を考慮した所為かどうかは知らないが、国の調査機関が二つも同時に存在するというのも実に妙なことではなかろうか。
つまり、政府も国会も自分たちの選択した委員の言う事が信用ならないので、その安全策として2系統のセフテイーネットを講じたという事なのであろうか。
この各々の機関のそれぞれの委員は、それぞれにその分野の専門家なわけで、専門家である限りにおいては、それぞれに確たる信念で持って語られるわけで、その結論はそれぞれに違って当然だと思う。
結果として、甲論乙駁、百家争鳴、十人十色の意見が出て、収斂することはないに違いない。
それぞれの委員会の中では、大方の意見に集約して、各個人では異論を内包しながらも、表面上は一応の妥協でもって意見を一まとめにしての発表であろうと想像する。
この日の新聞の大見出しも『「人災」揺るがず』となっているが、この事件はメデイアの報道を見ているだけでも、「人災」ということは素人目にも明らかではないか。
これはある意味で戦争と同じことであって、我々は戦後67年間も戦争という感覚で自分の身の回りで起きたことを考えたことがないので、その対応に齟齬が生じたのである。
地震が起きて、それによって津波が襲い、原子炉が破損してメルトダウンに至ったという事態は、明らかに国家存亡の危機であった。
民主党政権、および民主党員は、平和志向が極めて強い平和ボケの集団なので、国家存亡の危機という感覚が今に至っても認識しきれていない。
その平和ボケの感覚は、東京電力の社内においても、原子炉のメルトダウンが国家存亡の危機に瀕している、という認識には至っていないと思う。
かつての大戦中の日本軍は、侵攻した先々で、想定外の事態に直面したにもかかわらず、既定の過去の戦訓のみを規範として戦っていたので、大きな敗北に至ったのである。
戦争を遂行する、前線で敵と戦うということは、常に想定外の出来事に遭遇しながらの戦いなわけで、「敵が想定外の出方をしたので負けました」では、軍人、軍部、軍隊として意味をなさない。
かつての日本の軍隊というのは、こういう発想の元で、組織そのものが官僚化していて、常態化した想定外の事態に対して、その対応に失敗したということである。
しかし、軍隊の対応の不味さの元には、政治の舵取りという部分も大いに内在しているわけで、この両者の対応の不味さが相乗効果をなして、大惨事に至ったといえる。
この考え方を今回の原子炉のメルトダウンという事故に置き換えれば、東京電力の組織は、昔の日本軍の組織と同じ軌跡を歩んでいるわけで、政府は政府で、国家の存亡の危機という認識もないままに、人気取り、あるいは良いとこ取り、あるいはスタンドプレーに走ったわけで、事故の本質を全く知らないままに盲人が像を撫ぜるような対応に処したというわけだ。
このすべての報告書が、「万が一の時の備えを考えていなかった」という点を指摘しているが、これは事故後の部外者の無責任な発想だろうと思う。
今回の事故は巨大な地震と津波で原子炉の補器が破損したことで、冷却水を送ることができずメルトダウンに至ったという事であるが、東北地方であるがゆえに地震と津波の被害はある程度は想定に中にあったと思う。
ところが、地震が震度9という今までにない大きなものということは想定外であった。
この巨大地震をあらかじめ想定するということは極めて困難なことだと思う。
事後であればこそ、そういう事が言えるが、「千年に一度あるかないかの地震に対して、安全策を講じよ」という発想は無責任だといえる。
それに関連して、「だから原子力発電は危険だから全部やめてしまえ」という論議も、極めて短絡的な議論であって、こういう発言も良い子ぶった物わかりの良い人気取りのスタンドプレー以外の何物でもない。
ただ、原子力発電という事業は、巨大な資金を要する事業で、誰でも彼でもベンチャー企業できるものではないので、それを推し進めるについては、専門家集団を形成せざるを得ず、それを傍から眺めると原子力村と映ることは致し方ない。
問題は、この原子力村の中の人々が、普通の社会通念上の常識でもって事を処すれば、そう大きな齟齬は生じないはずである。
この原子力村の中の人々が、「どうせ部外者には言っても判らないであろう」と、高を括って自分たちの論理で事を処すと、大きな過誤を招くに違いない。
今回の福島第1発電所の事故でも、地震と津波を受けて東京電力の社内の組織が右往左往して、混乱状態に陥り、指揮命令系統が錯綜して収集がつかなくなってしまったというわけだ。
飛行機にはファイル・セイフという考え方があって、一つの機能が失われても、第2、第3の安全策が使えるようになっているが、原子炉にも当然そういう発想はあったに違いない。
ところがそういう安全策を講ずることは当然のことコストを圧迫するわけで、その部分の甘さが結果としてこういう事故につながったと考えられる。
飛行機の安全策ならば、それに瑕疵があれば直ちに飛行機は墜落してしまうので、ファイル・セイフは切実な問題であるが、原子炉の場合は、そういう目に見る形での瑕疵はないわけで、目に見えないからこそ緊迫感に欠け、疎かになり、安全に対する感覚がマヒしてしまったという事なのであろう。
昔の日本軍が「敵を知り己を知る」という兵法の根本を無視して、奢った思想に嵌り込んで、自縄自縛から抜け出せなかったのと同じ轍を踏襲したという事だ。
昔の日本軍でも、今の東京電力の組織でも、その中枢をなす人たちは、人並み以上に優れた人たちであろうに、どうしてこういう愚昧な失敗をしでかすのだろう。

『さようなら原発・10万人集会』

2012-07-19 07:11:02 | Weblog
平成24年7月16日に東京の渋谷区代々木公園で、『さようなら原発・10万人集会』というものが開催されたとメデイアは報じている。
言うまでもなく昨年3月11日に起きた、東日本大震災に際して、東京電力福島第1発電所が事故を起こしたことに起因する、原発反対の大きなうねりである。
原子力発電所が事故を起こせば、ああいう事態を引き起こすことは十分に理解しえるものである。
しかし、東京電力福島第1原子力発電所の事故はその直接的な原因は地震にあることは言うまでもない。
昨年の3月11日の午後2時過ぎ、近年まれにみる大地震が東京電力福島第1発電所の原子炉を襲った。その地震の震動によって原子炉の運転は自動的に停止した。
ここまではきちんと原子炉の安全機能も正常に作動していたが、この原子炉の補器がこの地震の振動で破損してしまって、電源喪失という事態を招来し、停止した原子炉を冷却すべき機能が、この時点で滞って、結果的に止まった原子炉を冷却し続けることができず、炉のメルトダウンという最悪の事態を招いてしまったと言うことだ。
地震の揺れで、原子炉の運転が規定通りに止まったというところまでは、テクノロジーが立派に生きていたといえるが、補器が破損し、電源が確保できず、冷却水を送ることができなくなったという部分に人為的な要因が大きく関わっていたといえる。
つまりテクノロジーは事前に想定された手順をそのままトレースするが、大地震というのはその事前の想定をはるかに超えた事態であったので、その想定外の事態に人間の方が臨機応変に対応することができなかったということだ。
原子力発電所の事故と言えば、過去にはアメリカにも旧ソ連にもあったわけで、日本もそれなりの措置をとっていたことは言うまでもない。
ただ問題は、この「それなりの措置」という場合の、「それなり」という曖昧な表現の仕方にあるわけで、この事件を契機にして起きてきた原子力発電の安全性の問題に直結する話ではある。
地下に隠れている活断層の上に原子炉があれば、誰が考えても不安全なことは言うまでもない。
当然、地下に活断層があることがわかっておれば、誰でもその場所を避けることは当たり前であるが、「あるかどうかわからないのに作ってしまった」という場合が一番悩ましい問題である。
だけれども、あの東京電力の原子力発電所の原子炉がメルトダウンした以降に湧き上がってきた国民の原子力発電に対する反応はあまりにも子供じみた態様だと思う。
あの東日本大震災で地震、津波、原子力災害の被害をこうむられた方々は真に気の毒だとは思うが、あれはあくまでも天災であって、人為で避けることは叶わない出来事である。
東京電力の原子力発電所の事故を天災というには納得しかねるという人も多かろうと思うが、地震さえなければ事故は起きなかったわけで、その意味では天災という部分も含まれると思う。
問題とすべきは、あの事故をきっかけとして、日本全国で原子力発電に対する嫌悪の気持ちが全国的に充満しているという現実である。
この日の報道も、それを助長すべく、煽るがごとく、大々的に報じられているが、「地震が起きるとああいう事故が今後も誘発されるから、今の原子力発電を全部やめてしまえ」という論調は、いささか飛躍した論理構成だと思う。
人間の作ったモノは必ず壊れるし、絶対安全ということはありえないことは理の当然である。
人間の作ったモノに対して、絶対安全、100%の確実な安全ということはありえないわけで、大の大人がこういうフレーズを口にするということは、その人の思考が幼児の考え方から一歩も出るものではない、といわねならない。
飛行機は落ちるものだし、車はぶつかるものだし、船は沈むものであって、これは出来た時からそういう運命を背負っているわけで、それに対して人間の知恵は、その自然の摂理を如何にコントロールするかに挑戦しているのである。
アメリカのスペースシャトルは、過去の失敗の上に、その失敗を教訓として学び取り、砂上の楼閣をきちんと固めて、少々のことでは壊れないようにした結果であって、それが人間の英知であり知恵ではないかと思う。
基本的に素朴に考えれば、日本のような資源小国では原子力エネルギーというのは最も歓迎すべきエネルギーのはずである。
しかし、原子力発電所のある地域の公共施設や道路、公民館まで電力会社の資金で作るとなれば、それが電気料金に跳ね返るのは当然で、原子力エネルギーのコスト高も当然のことである。
今回の東京電力の原発事故というのは、事故のきっかけは地震であったが、その対応の不味さというのは明らかに人災に属するわけで、事故と日本のエネルギー問題を混同したままで思考を巡らしてはならないと思う。
「あの事故があったから日本の原子力発電を全部やめよ」というのはあまりにも乱暴な論旨である。
それで冒頭の新聞報道に戻るわけだが、此処では7名の著名人がそれぞれに思いを述べられているが、私に言わしめれば、全員が全員、時の風潮に便乗した論旨のように思える。
子供じみた絶対安全ということで言えば、「原子力発電所は有った方がいいか無い方がいいか」と問えば、無い方が良いに決まっている。
こんなことは問うまでもなく自明のことで、それを日本の著名人が、さも無窮の真理であるかのごとく、仰々しく声高に叫ぶまでのことはない。
ここで述べている7名の著名人は、こういう子供でも分かる判り切ったことを声高に叫んでいるということだ。
東京電力の原子炉の破損の話と、日本の原子力発電に伴う諸問題は、別々の問題であって、この二つはそれぞれに次元の異なる問題である。
地震で、東京電力の福島第1原子力発電所が被災して、大勢の被災者が出るような事態を招いたのは、東京電力という会社の機構が極めて官僚化していて、未曽有の緊急事態に適切・適正に組織が機能しなかったという意味で、一企業内の問題というべきである。
企業の齟齬と、日本という国全体のエネルギーの問題を混同して論じていてはならない。
メデイアはそういう被災者の窮状を克明に報道している中で、そういう被災者に媚を売るような綺麗ごと、同情論、体制批判、現状の不満、市政の不備をあげつらう行為は、傍目にも自分自身にも、世の中に対して良い事をしているような自己満足に浸れるわけで、それがこういう大きな運動のうねりになっているのであろう。
この記事の中で、音楽家の坂本龍一氏は「18の時に安保闘争でこの公園に来た」とのべているが、確かに42年前の日米安保闘争も国民的な盛り上がりの中で激しい闘争が繰り広げられたが、あの闘争のデモに参加した人で、旧安保と新安保を自分の目で見比べ、その結果を自分の思考で考えた人がいたであろうか。
今の国会議員の中にも、田原総一郎なども、安保反対のデモに自ら参加したと懐古しているが、条約の案文をその時点で読んではいなかったとも告白している。
つまり、安保反対の意義も意味も理解しないまま、「人が行くから自分も行く」という程度の意識で、デモ行進に参加していたということだ。
同じ論理で、この新聞記事を見ると、論旨を要約された7名の著名人も、公園を埋めた10万人もの群衆も、日本のエネルギーの問題などどうでもいいわけで、今は原発反対のスローガンでなければ、お祭りの神輿になりえないので、それを担いでいるに過ぎないということだ。
時流の風見鶏が、今は原発反対の方向に向いているので、無知蒙昧な大衆の思考はそちらに向いているだけで、民主政治というのはこういう無知でバカな大衆の意に沿った施策をしなければならない。
衆愚政治というのはまさしくこういうことを言うのであろう。
大衆の希求する施策を素直に実施しておれば、大衆は喜ぶであろうが、国そのものは遠からずメルトダウンするに違いない。
日本がメルトダウンすれば日本の周辺諸国は大喜びするに違いないので、そのためには我々は大いに祖国のメルトダウンに精進しなければならない。

家庭菜園失格のダメ男

2012-07-14 12:42:57 | Weblog
しばらく熱意が冷めて遠ざかっていたが、それではいけないと奮い立って再び投稿すべく奮闘しつつある。
というわけで、毎度のことながら我が身の反省をすると、どうも天然ボケというのは終生治らないもののようだ。
自分はどうも昔から頭があまり良くないとは思っていたが、またまたそれを思い知る羽目に陥った。
というのも、私は家庭菜園をしているが、一向にその腕前が上達しない。
ささやかな菜園に少々収穫があるともう嬉しくなってしまって、完熟するまで待てない。
だから早め早めの収穫してしまうので、何時も家内から叱られている。
自分自身、「自分はダメ男だ!」というすり込から脱しきれていないので、ほんの少し作物が実ると嬉しくてうれしくて仕方がない。
それで待ち切れずに早めの収穫となってしまう。今回もその轍を踏んでいる。

『カリステモン』

2012-05-30 11:48:10 | Weblog
本日の中日新聞の一面には我が家の花が載っていた。
我が家ではこの花を『金宝樹』と呼んでいる。
というのも植木屋さんにそう表示してあったものを買って来たから、何の疑いも持たず『金宝樹』だと思い込んでいた。
ところがこの写真のよると『カリステモン』となっているので、恐らくそれが本当の名前なのであろう。
「我が家と同じ木だわい」と思いながら真の名前を覚えなければと思って、『カリステモン』という言葉を何度も口の中で呪文のように唱えてみたが、一向に覚えきれない。
別名『ブラシノキ』というのは、形状がブラシそのものなので安易に記憶できるが、『カリステモン』の方は、席を立った途端に忘れてしまって、その都度新聞を見て確かめなければならなかった。
オーストラリア原産の木ということは、その形状からおおよその見当はついていた。
というのも愛知万博の時、オーストラリア館で似たような樹木を見たから、そういうイメージがあったからである。
我が家の木が真に『金宝樹』であってもらいたいと願っているが、どうも画餅に終わりそうだ。

田原総一郎の仰天歴史塾

2012-05-28 11:27:06 | Weblog
5月19日、21:00からBSジャパンで田原総一郎の「仰天歴史塾」という番組を見た。
田原総一郎が若い人に近現代史を説くという番組であるが、この日は近衛文麿と東条英機に焦点を当てていた。
田原総一郎の論旨はかなりニュートラルで、戦後の日本の知識人にありがちな、偏向したものではなかったが、彼自身がジャーナリストなので、ジャーナリスティックなオーバーな物言いを多様するのでその点が私にとって多少目障りであった。
しかし、彼にはジャーナリストとして極めて高い知名度があるので、その分バイアスが掛かるのは居た仕方ない。
それは企画の段階から既に予想されることで、それでも尚彼を起用するということは、そのことを織り込み済みと言う事なのであろう。
近衛文麿と東条英機がテーマとなれば、当然のこと先の戦争の始まりと終わりが話題になるわけで、田原総一郎も極東国際軍事裁判が理屈に合わないことは述べていたが、我々自身、つまり日本人自身、日本民族として、あの戦争の総括を未だにしていないという点について、それは「若い世代への宿題だ」という言い方をしていた。
それと同時に、あの戦争の終わり方を「日本の無条件降伏」という言い方に、彼のみならず我が同胞の誰もが疑問を抱いていないが、ポツダム宣言を受諾して降伏したのであれば、無条件降伏ではなく、有条件、あるいは条件付き降伏であった筈である。
その条件とは「国体の保持」であって、この条件があったればこそ、敗れたとはいえ日本政府、大日本帝国政府として戦艦ミズリー号上の降伏文書の調印があったではないか。
降伏文書を取り交わして敗北したのであって、その文書の内容が無条件降伏に等しい内容であったとしても、ドイツと同じ敗北の形態ではなかったことは知識としては知っておくべきだと思う。
その条件があったればこそ、アメリカ進駐軍は軍政をしかず、日本政府の存在を容認しつつ、間接統治を敷いたではないか。
ポツダム宣言の要求した「無条件」という部分は、日本軍、日本の陸軍・海軍としての軍部、軍隊としては「無条件の降伏」であって、政府としては合意の上での統治権の委譲であったという事だと私は考える。
戦争に敗北した以上、日本政府の上に進駐軍・占領軍が鎮座することは居た仕方ないが、その敗北が無条件降伏ではなかった、ということは言葉の定義としてしっかり見つめるべきではなかろうか。
しかし、いくら言葉の解釈を捏ね回した所で、実質的には明らかに無条件降伏に近い実態であったわけで、その後生き残った我が同胞の実感としては「無条件降伏」の方が理にかなっていると思えたのも無理ない話だと思う。
しかし、それは同時に自虐的史観であって、既にこのことからして民族の誇りを喪失している証拠である。
この放送を見ながら私が新たに認識したことは、東条英機という人物は日本を奈落の底の落とし込んだ張本人という認識であったが、結果的には確かにそうであろうが、真実は彼は好き好んでそういう事態を招致したわけではないという事実である。
普通に言われている歴史としての記述は、彼は極めて天皇に忠実なので、彼を首相に据えれば「天皇の意をよく汲んで、好戦的な陸軍の力を抑え込んでくれるであろう」という思惑で首相に押されたというものである。
結果から見て、その彼でも陸軍の力を抑え切れなかったから日米開戦に至ったという事であるが、海軍が真珠湾攻撃を実施した日、彼は自室でさめざめと泣いていたと伝えられている。
また田原総一郎の言葉として、彼は戦後ジャーナリストとして東条家に取材に行った折に家人が大きな柳コオリを出して来たそうだ。
その中味は当時の日本国民が首相あてに出した手紙であって、その手紙の内容は、東条英機首相が開戦に逡巡していることをなじる内容のものであって、あの当時の日本の国民は、如何にも好戦的であって、一刻も早く対米戦をして、中国を制覇することを望んでいたという事を述べていた。
田原総一郎自身も軍国少年であって、終戦の時は小学生であったが、玉音放送を聞いたときは目の前が真っ暗になったと述懐していた。
あの東京裁判が不合理であった、ということは彼も認めているが、「あの戦争の総括を我々は未だにしていない」という彼の論旨については私もそう思う。
だが、これは私の個人的な思考として、その後に生きた日本人、日本民族にとって、内側からあの戦争を総括することは恐らく今後ともできないだろうと思う。
というのは、我々はあの戦争を一部の軍国主義者に踊らされて遂行したのではなく、あの当時の日本民族の総意としての戦争遂行であったと思われるからである。
戦後に生き延びた我が同胞の知識人の大部分は、「一部の軍国主義者に無垢な国民が騙され踊らされた」という言い方で、自己を弁護し、軍国主義者や軍人・軍部に責任転嫁しているが、実態は国民の全部が戦争を希求していたのである。
なので、国民の全部に責任があり「誰彼が悪い」という犯人探しは成り立たないからである。
ただ、作戦の失敗の責任追及という事はありうるが、戦争を推し進めたことに対する責任は国民の全部に降りかかってくる。
問題はこの部分の在るのだが、日本の知識階層はなかなか自分たちの愚昧な部分を認めようとしない。
東条英機が好戦的な思考の持ち主であるかのように見られたのも、彼自身国民に好かれようとする余り、国民の人気を得んが為に、そういうポーズを取らざるを得なかったのかもしれない。
彼は天皇に対して忠誠を重んじる余り、御前会議の決定を一度は白紙に戻すことまでしたが、結果的には大勢の暗黙の了解事項に押し流されてしまった、という形でずるずると開戦に至った。
この「ずるずると開戦に至る」過程というのが、我々の日本民族が真摯に反省しなければならない根本原理であるが、これは日本民族の持つ根源的な特質であるからして、人為的にあるいは後天的には融通が効かない特質なのであろう。
戦前の我々、日本民族は「イケイケイケドンドン」、「撃ちてし止まん」、「鬼畜米英」というのが国民的コンセンサスになっていて、これに異議を唱えるものは非国民とレッテルを張られてしまったのである。
ここで考えなければならないことは、誰が「非国民」というレッテルを同胞に貼り付けたかという疑問である。
それをしたのは官憲が銃で脅してそうしたのではなく、向こう3軒両隣の同胞が、良かれと思って密告することによって、そういう選別がなされていたことを忘れてはならない。
向こう3軒両隣の善良な人々が、国難を目前にして国益に背くであろうと勝手に、善意で以て思い違いして隣人を告発したから、ものが言えない暗黒の社会になってしまったのである。
これは国民が自分の目でものを見て、自分の考えて判断し、自分で考えた自分の判断で決定を下していないから、こういう陳腐な現象が罷り通っていたのである。
これと同じことは今でも連綿と生きているわけで、昨年、3月11日に東北で大地震が起き、東京電力の福島第1原子力発電所が事故を起こし甚大な被害が出た。
被害をこうむった方々は気の毒だけれども、だからと言って「日本全国の原子力発電所の稼働を止めよ」という要求は余りにも偽善者ぶった言い分だと思う。
原子力発電という技術が万全でないことは言うまでもなく、人間が作ったものである以上、100%安全ということはあり得ず、事故の確率はゼロには成り切らないが、だからと言って「今後一切原子力発電を禁止せよ」という要求は独りよがりな思考でしかない。
これはあの戦争、第2次世界大戦、太平洋戦争、大東亜戦争で敗北したので、「今後一切自衛戦争も止める」という思考と瓜二つの考え方ではないか。
たった一度の敗戦で、「今後如何なる状況においても永久に銃は執りません」という言い分は余りにも良い子ぶった偽善で、他者は誰もそんなことを信用せず、その言葉が真実かどうか試したい衝動に駆られることは必定である。
現に試されているが、いくら試されても日本にはアメリカという庇護者がいるので、チョッカイ程度で終わっている。
東京都知事の石原慎太郎氏は時々過激な発言をして顰蹙を買っているが、彼は「日本はアメリカの妾・メカケだ」という認識のようであるが、私もそう思う。
我々はアメリカの顔色を伺いながらでなければ、自分の国を自分で守ることさえ出来ない不甲斐ない立場にいるわけで、我々の同胞の知識階層の中には、「自分の国を自分で守ることさえ罷り成らぬ」という連中がいる。
こうなると我が祖国は妾以下であるが、本人はそういう事が理解できていない。
我々は戦争で亡くなった方々を英霊と称して、一段と高く敬いがちである。
これは万国共通の認識で、我々だけではなく何処の国でも、どの民族でも普遍的なことであって、「祖国の国難に殉じた気高い精神の持ち主」という認識で英霊という言葉で死者を敬っている。
ところが、戦争で亡くなったといっても、その死に方は千差万別であって、果敢に敵陣に突っ込んで戦死したというケースばかりではない。
日露戦争の旅順陥落というような場面では果敢な戦死という事があったろうが、ガダルカナルとかインパール作戦という場面になると、敵と戦う前に食糧とか補給という面で、死線をさまよう場面が出てくるわけで、誇り高い戦死ならぬ食糧が尽きた為の餓死という死に方が多くなった。
敵の弾に当たって戦死された方は非常に幸運な死であったといえるが、ジャングルの中で鉄砲を撃つまでもなく食糧が途絶えて餓死では余りにも気の毒で、胸がつまる思いがする。
こうなるとそういう状況を招いた戦争指導者、作戦参謀の責が本来ならば問われるべきである。
ところが、そういう総括が我々の手でなされなかったということは、我々自身が敗戦という事態に対して精神的に大きな悔悟の念を持っていないという事だと思う。
こういう事態を招致した責任は一重に当時の戦争指導者、作戦参謀にあるが、こういう軍人に対して「私は戦争を知らない将軍」という蔑称を呈しているが、戦後の我が同胞は誰一人としてそういう同胞を糾弾しようとした人がいない。
戦後生き残った人々で、東条英機を恨んでいる人は大勢いるが、戦後になって全ての責任を東条英機に覆い被せるというのも、当時・戦後間もない時期の我々同胞の時流であった。
あの当時、戦後間もない時期の日本社会の大きなムーブメントであったということだ。
戦前の「イケイケドンドン」も時の時流であり、戦後になって東条英機に全ての責任を覆い被せるのも時の時流であり、3・11の後になって原子力発電を唾棄する思考も時の時流であるとすると、我々日本人が個々に持っている頭脳というのは一体何の為に身体の上に乗っかっているのであろう。ただ単に帽子を載せる台座ではない筈で、やはり頭というのはものを考えるところで、我々は自分の頭でものを考えるということをしてきたのであろうか。
あの戦争の前の我々の同胞は、真からアメリカとの開戦を望んでいたわけで、富国強兵の軍国主義に名実ともに感化されていたが、それはある特定の指導者に洗脳されてそうなっていたわけではないと思う。
田原総一郎自身が述懐しているように、あの当時に少しばかり利発な少年少女は、全て田原総一郎少年と同じ心境であったわけで、彼は特別な存在ではなかった筈だ。
ただこれを日本以外から敷衍して眺めると、日本の国民は何か特別のエイリアンから洗脳を受けて、心ならずも好戦的なポーズを取らされているかのように見えたかも知れないが、実態は日本民族が真から好戦的でアメリカと戦っても勝てると思い込んでいたということだ。
当時の日本の国民は情報不足で、アメリカの実態を国民レベルで理解していなかった、という面はある。
盲人が像を撫ぜている図と同じで、尻尾を握った人が「アメリカはこんなもんだ、恐れるに足らず」と錯覚する図と同じであった。
国民あるいは一般大衆というのは、どうしてもこういう錯誤に陥りやすい。
言うまでもなく情報不足で、つまり相手のことを良く知らないので、こういう早とちりをしがちなのは当然のことで、そういう一般大衆の早とちりあるいは錯誤を正すべきが、本来ならば教養知性にあふれた文化人とか教養人であらねばならない。
民主主義は最大多数の最大幸福を追い求めるものであるが、多数の意見が正しいとは限らないので、そこの正否を冷静に見極めるべきが、本来の知識階層でなければならない。
政治家として、特に民主政治の元での政治家としては、多数意見に与しておれば、安泰であることは言うまでもなく、安易な処世であろうがそれでは並みの政治家でしかない。
そういう意味では、戦前の東条英機という人も、時の時流を余すところなく汲み取っていて、国民大衆の深層心理をよりよく具現化していたと言うことになる。
我々が真摯に反省しなければならないことは、むしろ、一般国民とか声なき市民とか、臣下とか言われる側の心変りが責められるべきである。
戦争の前には、東条英機に対して柳ゴオリ一杯も施政を詰る手紙を出しておきながら、戦争が終わったら敗戦の責任を全て東条英機に覆い被せる国民の側の節度のなさである。
確かに敗戦の責任は「戦争を知らない将軍たち」のでたらめな作戦の失敗の所為であるが、「戦争を知らない将軍」、「戦を知らない戦争のプロフェッショナル」を戦争に駆り立てたのは、普通に言うところの国民大衆の熱気であったことを考えるべきである。
田原総一郎自身が述懐しているように、彼も子供のころは海軍兵学校に進学しようと心に決めていたという。
あの当時、少しばかり利発な日本の子供の大部分は、田原総一郎と同じことを考えていた。
国民の全体の雰囲気が、それこそ「イケイケドンドン」であって、それが子供の考えにも影響を及ぼしていたことを見事に証明しているではないか。
問題は我々、日本民族というのは、何かが時の時流として広範に普及すると、それに懐疑の目を向けなくなってしまう点である。
戦前には「バスに乗り遅れるな」という言葉があって、時流に取り残されることを揶揄する使い方が成されたが、こういう風潮に警鐘を鳴らすべきが、本来ならば教養・知性を持った知識階層である筈だ。
だが、我々の社会では、こういうレベルの人が時流の提灯持ちになってしまうから事が面倒になるのである。
人が学問を身につけるということは、知識を得る事と同時に、その得た知識を社会に還元することが暗黙の了解のもとに内包されていると思う。
ところが高度な学問を享受できる機会を得る人は、非常に恵まれた環境にいるわけで、誰でも彼でもが平等に高度な教育を受けられるわけではない。
まさしく選抜された特別な人が、国のお金で運営されている高度な教育を享受するチャンスに恵まれるわけで、ならばそれを受けた個人は、その恩恵に対する対価を支払って当然である。
ここで普通に良心的な思考ならば、高等教育を受けてそれを糧として立身出世をして、その社会的地位に応じた社会貢献をすれば、その人の受けた高等教育は社会に役立ったということになる。
それこそが国家が高等教育に金を掛ける本当の目的であって、問題とすべきは、それを享受した側の個人が、自己の立身出世のツールとして高等教育を位置付けることにある。
自分の受けた高等教育を、私利私欲の獲得にのみ使って、社会的貢献を忘れてしまう点が大いに問題なのである。
高等教育を受けるほどの人物ならば、並みに人以上に頭脳明晰な筈で、そうであればこそ、自分の受けた教育を立身出世の糧とする手練手管にも長けているわけで、社会的貢献という対価の支払いを回避する術にも精通しているということになる。
こういう流れをトータルとして眺めると、頭の良い人間は、時流の潮の目を見るのに長けているので、その時流の先頭に立つ要領を心得ているということになる。
子供の頃の田原総一郎少年は、並みの子供よりも頭が良かったから軍国少年でありえたわけで、それが戦後になると軍国主義のままでは立ち行かないので、戦後の時流を読みとって、反政府、反体制のポーズで生き、平成の世になればその揺り戻しの時流に則って、再びニュートラルな思考に至ったのであって、彼はジャーナリストなるが故に、その時々の時流の潮の目の見定めには敏感であったという事だ。
だが私に言わしめれば、時流の先頭で旗振りをするだけでは無責任だと思う。
そんなことは馬鹿でもチョンでも出来るわけで、「赤信号 皆で渡れば怖くない」を安易に実践しているだけである。
だが問題は「赤信号では渡ってはだめだよ」ということを世の中に向かって啓発することである。赤信号で渡ってはいけないことは、皆が知っているにもかかわらず、それをする人が後を絶たないわけで、それが時流というバスになってしまうところが問題なのである。
ここに高等教育を受けた人たちの出番があるわけで、彼らが率先して「赤信号では渡ってはだめだよ」という当たり前のことを当たり前のこととして言うべきなのである。
立派な社会的地位のある人が、大衆や学生に向かって、当たり前のことを当たり前にことして語っても何のインパクトも無いのも当然だろうと思う。
田原総一郎のようなジャーナリストからすれば、そんな文言はニュース・バリューの欠片もがないわけで、面白くも可笑しくもなくニュース足り得ないが、社会が安定し、人々が安寧な生活をするということはそういう世界である。
既存の価値観からはみ出した行為や行動があるからニュースになり、メデイアが食いはぐれること無く成り立っているのである。
「赤信号 皆で渡れば怖くない」といって、赤信号にも関わらず皆で渡っているところに、信号を順守した車が突っ込んで来て人が怪我をすると、世間の批判は突っ込んできた車の方に非があると認定するに違いない。
ここで問うべきは、「人に怪我をさせたものが一方的に悪い」という安易な発想であって、「相手がルール違反したことが事故の原因だ」という当たり前のことが、人命尊重という美名のもとに忘れ去られて、偽善が罷り通る不思議さである。
赤信号であるにもかかわらず渡ろうとする個々の人間は、全ての人が「それが法を無視する行為だ」ということを頭では理解しながら、「皆が渡っているから自分も人と同じことをしよう」と考えているのである。
まさしく「バスに乗り遅れるな」という心理そのものである。
これが我々、日本人の民主主義の現実の姿なわけで、大勢の人が望むことは必ずしも良い事ではないわけで、その結果が自分たちの思いもよらない事態になると、その責任追及の矛先が消滅してしまうのである。
ここに我々、日本民族として先の戦争に対する自らの総括が出来ない大きな理由があるのである。

名古屋能楽堂能舞台

2012-05-28 09:17:45 | Weblog
名古屋城の近くに名古屋能楽堂というのがある。
日本人として、日本古来の芸能としての能なるものは一体どういうものかという思いがあるので、ときどき覗いてみる。
実に立派な施設である。
パンフレットによると総木曽檜作りという事であるが、まさしく日本の伝統美そのものである。
材木の素材そのものを表面に曝して、表面加工を何ら施さない建築美というのは日本独特のものではないかと考える。
それで、そういう場で演じられる能というものも、これまた実に日本的な舞いである。
フラメンコだとかハワイアンという踊りは、人間の肉体の動きをあらわに見せて、そこに躍動感があふれかえっているが、能はその真逆で、人間の肉体の動きを極度に隠蔽した所作で、まるでお祭りの山車で演じられる操り人形のような立ち居振る舞いである。
白足袋をはいて、つま先を反らせて、すり足で移動するしぐさなど、その舞いそのものが如何にも日本的な印象を受ける。
この能を日本人の私が理解することは、我が生涯を通じて在り得ないであろう。
死ぬまで私は能を理解することはあり得ないに違いない。
その夜、家ではテレビで放映された『天使にラブソング』を寝転びながら大笑いして見ていたが、能と修道院のラップ・ミュージックという異文化が融合するわけがない。
私の身体の感性は、修道女のラップ・ミュージックの方に振れているので、能には近寄りがたい雰囲気を感じている