コヨイノサンブン

日記のような、私信のようなもの。あるいは、記憶の記録。

前言やや撤回

2004-12-22 22:05:03 | diary

「たいしたものじゃないけど、使ってください」
と、いつも原稿が遅れる執筆者二人から連名で万年筆。(ありがたいです)

「物を書く人だからと思ってね」
と、カメラマンさんから掌サイズの硯。(「達磨硯」と書いてある。かわいい。墨と筆も買わなきゃ)

「こんにちはー預かってきました」
とお使いの人を通して届いたのは、入社以来さんざんお世話になった印刷所の営業さんから写真フレーム。中身入り。(中身は、前出の同僚Kさんともう1人の同僚Cさんの3ショット写真。彼女たちは仲良しというより戦友です)


昨日の日記では贈り物は困るだの横柄なことを抜かしてしまいましたが、
出社ラスト二日の本日、なんだか色々なものをいろいろな方々からいたただいてしまいました。

やっぱり素直に嬉しいです。

なかなか上手にお礼が言えない自分がはがゆい。

今日は色々な書類にサインをしたり印をついたり慌ただしかったのですが、
ようやく最後の大仕事の原稿をアップしました。あとは最終日の24日を待つばかり。

明日は歯医者と鍋パーティです。


幸福な指輪、贈り物にかんする矛盾

2004-12-21 23:02:29 | diary

写真は、仕事で人に会う時以外は毎日付けている指輪たち。

手前にある赤茶のマーブルのものは、石であることは確かなのですが、組成は正体不明。
学生時代にベトナムにて購入。日本円で約60円。

奥の黒っぽい茶色のものは、今年の夏確か千葉のプライベート美術館のミュージアムショップで購入、税別800円。
コクタンという種類の石らしいです。
対でハクタンの小指用の指輪も買ったのですが、落としたら割れてしまいました。
弱い石だから安かったんですね。残念でした。


服はもとより、アクセサリーやカバン、時計など身につけるものを人からもらうのは苦手です。
ものの選り好みが激しいので、せっかくもらったのに気に入らなくて一度も付けないということが多々あるからです。
ものをくださる方には大変失礼なはなしですね。でも事実そうなので、自分でも困ります。
逆に気に入ったものをもらえると、この上なく幸せな気持ちになるのでプラスマイナスゼロかもしれない。

一番身につけていて幸せな気持ちになるのは、
自分にとって思い入れのあるシチュエーションで手に入れたもの。
たとえば、好きな人と一緒に買ったもの。あるいは一緒に選んで買ってもらったもの。
旅先で出会った素敵なもの。「どこで」や「だれと」「どんな風に」が重要であって、高価である必要はないんですよね。

装身具というカテゴリーを考えると、
私にとって、消耗品である洋服や靴、鞄などは幸福感が薄く、
逆に、いくら使ってもすり減らないアクセサリーは素晴らしい。
(*何が「素晴らしい」のか自分でもよく分かりませんが……最近になってようやく「アクセサリー」と呼ばれるものを日常生活で身につけるようになったので、こんな風に思うのかもしれません)

もらうのは苦手であるにもかかわらず、
誰かに贈りものをするのは大好き。ここらへんが自分でも矛盾していると思います。

頭痛日記

2004-12-20 03:22:36 | diary

少し前から、「頭痛日記」を付けています。

「頭痛日記」というのは、その名の通り、
いつどんな状況でどんな風な頭痛が起こったのかを記録するもの。
なんのためにつけるのかというと、頭痛の診療を受ける時に、過去の状況の説明が曖昧にならないようにするため、だそうです。

ここ数ヶ月頭痛が頻繁に起こるようになって、
ネットで「頭痛」を調べていたら頭痛の種類や、処置の方法などと一緒に
診療の受け方のポイントも書いてあって、そこで知ったのです。
知り合いに「最近頭痛が酷くて」という話をすると
「頭痛日記つけてる?」と聞かれたことがあるくらいなので、けっこうメジャーなことなのかもしれません。

ある日の頭痛日記より。

「お昼頃からぼんやり痛くなる。19時頃ピーク。もうダメ、帰る。うどんを食べて帰宅。帰りの電車の中は最悪。やや吐き気起こる。お酒を飲んだ後の気分の悪さに似ている」

こういう書き方でいいのかどうかわからないけど、とりあえずこんな風にメモしています。
‘もうダメ、帰る’て言ってるのにうどんを食べるというあたり一見不可解な行動だけど、なぜかものを食べていると痛みが和らぐんですよね。それを健康オタクの知人に言ったら

「そう、噛んでいるとよくなるの。かみ合わせが悪いと頭痛にもなるよ」

と言われました。はい、わたし、噛み合わせ悪いです。
また、他の知り合いの何人からは、目の疲れ、肩こりやストレスから来る頭痛じゃないかとも言われました。すべて該当するので、結局原因ははっきりしないまま。
一般で言う偏頭痛だと勝手に解釈しています。

とは言っても、痛みがあった時も酷くなるのはたいがい夜なので、病院もしまっていることが多く、結局この頭痛日記はいまだ役だったことはないのですけど。

あ、でも辞表を出して以来頭痛は起こっていません。案の定、といったところでしょうか。


結果。

2004-12-18 19:00:28 | diary

寝過ごしました寝過ごしました寝過ごしました。

気付いたら2時でした。もちろん夜。
11時開始、お目当ての出番は1時半頃だという情報があって、
遠くないし、その頃着くように自転車でいって、かえってこよーっと。
などと甘ったれていたわたしがバカでした。
(だいたいクラブに自転車で行くという思考が間違っているような気がしますが)

以前にもまして凹んでます。原稿も終わりません。ぐったり。


早くクリスマスになれ。

句読点と体力の相関関係

2004-12-17 09:36:05 | diary

「文章って書き手の意図にかかわらず、不思議と人柄や特徴が出てしまうんですよね」

とは、前出の同僚Kさんの言葉。
いつだったか、まだ秋のある晴れた日に
二人で珈琲屋さんへ行って、昼食を食べていた時の会話です。
彼女によれば、著者が匿名でも、文体の特徴を見ればある程度誰によるものかさえ推測できると言うのです。

「例えば村上春樹なんて読点少ないじゃないですか。短文を多用して、時々長い文を混ぜてリズムを出している。うまいですよね。彼はきっとスポーツ得意だと思うんです」

確かにそうですよね。国内外フットワーク軽く活動しているし、マラソンだってする。
彼女の見方によれば、句読点の使い方や言い回しなどの文体に、どうしても無意識な特徴が出てしまうのだとか。さすが文学部出身文学オタク。

そこでわたしは、初めて読んだ時にあまりの長文で驚いた保坂和志について聞いてみました。

「ああ、長いですよね、保坂和志。彼の小説読むと、仕事したくなくなるんですよね」と笑った後、さらにふき出しそうになるのを堪えてこう言いました。

「でも彼は……きっと体力ないですよ!(笑)」

聞いた瞬間、大きな声で笑ってしまいました。

哲学的でありながら、一環して力の抜けた生き方を表現する彼の小説。
毎日会社に行って、決められた通りに仕事をして、決められた休みの中でプライベートを暮らす……という模範的サラリーマン生活を嫌い、今でいう「NEET」のように何をするでもなく自由に暮らす人が多く登場します。
猫のように世の中を漂う彼らの生き方は、わたしにとってとても魅力的で共感できるものがあるんです。

ただK女史の言う通り、
「…は…で…で、…が…したので…だった」というように本当に一文が長く、
頭の中では色々と理屈をこねながらも、気乗りしないことには動きたいない気まぐれなタイプなんだろうなあ……と作品の内容からも想像できます。
その愛らしくも人間くさそうな一面を「体力のない」という言葉が見事に表しているような気がして、可笑しくて仕方ありませんでした。

だけどその長文はトレードマークになっているし、それがないと物足りなささえ感じてしまいます。
でもふと気付くと自分も稚拙であるにもかかわらずそういう文章を書いている時があって、慌ててしまうことも。

Kさんに「じゃあ、わたしの文章はどう?」と聞く勇気と時間のないまま、ランチは終了したのですが、文を書く作業をする度にそのことを思い出します。

うーん、原稿終わりません。今日ライブいけるかなぁ……。