本が読みたい!

子育ての合間に少しずつ読んでいる本の感想や、
3人の子ども達に読み聞かせる絵本の紹介など、本にまつわるお話です。

迷惑な新化

2007-09-29 | 
おもしろかった~。この本を知って良かった,なんて事まで思うおもしろさです。 もちろん、おなかを抱えて大笑いするようなものではないですよ。
全く知らない未知の世界を見せてもらう そういうおもしろさです。

著者シャロン・モアレムは 進化医学研究者だそう。そもそも進化とは 悪い遺伝子を無くし、良い遺伝子だけを残すはずなのに、何故 病気の遺伝子がこれほど多くの人に受け継がれているのか? とても難しい内容でDNAやヒトゲノムなど 普段の私には 全く縁の無い(予備知識無い)話なのに とてもわかりやすく,読みやすく,おもしろく書かれています。

40年後に必ず死ぬと決まっている薬をあなたが飲むとしたら その理由はなんですか?それは・・・・

ヘモクロマトーシスとは、体内の鉄代謝を乱す遺伝性の病気です。人間の体は通常、血液中に十分な鉄があると、食べ物から吸収する鉄量を減らす様にできている。サプリメントなどで採り過ぎても、必要無いと排出されるので、余分な鉄はたまらない。

しかし、ヘモクロマトーシスの人の体は 常に鉄が足りないと思いこみ,鉄を吸収しつづける。結果、鉄分多すぎて 関節や主要な臓器を傷つけ、肝不全,心不全,糖尿病、関節炎、他最悪の場合は死に至る。

非常に稀な病気だと思われていたけど、この症状を引き起こす主要遺伝子が じつは、西ヨーロッパ系の人々に受け継がれていて、祖先が西ヨーロッパ人なら、3人もしくは4人に1人の割合で この遺伝子を少なくても一つ保有しているという。ただ,浸透度が低い為発現していない。(※その遺伝子を持っていれば必ず発現するものは”浸透度”が高い。遺伝子を持っていても 発現する人が少なければ”浸透度”が低い、と、遺伝学では言うらしい)

なぜこんな致死的な病気が人の遺伝子情報に組み込まれてしまったのか?ヘモクロマトーシスは 感染症でも生活習慣病でもウィルス性の病気でもない。子孫に遺伝するものだ。
そして、それは特定の人口集団に広まっている。

原因は遺伝子変異。 この変異遺伝子を最初に保有をしていたのはスカンジナビアの海賊バイキングだとわかっているのだそう。(すごい!)苛酷な環境で栄養不充分な民族が 体内の鉄不足を補おうと進化したのかもしれない。ヘモクロマトーシスの女性は 月経や妊娠による貧血にもなりにくかったから 健康な子どもをたくさん産み、その遺伝子を多く子孫に伝えたのかも。

その遺伝子を持ったバイキングの一部がヨーロッパの海岸部に定住。変異遺伝子は保たれつつ、十四世紀の史上最悪のペスト流行を迎える。ヨーロッパの人口の1/3から1/4にあたる2500万人以上の命を奪った腺ペスト。 でも、ヘモクロマトーシスの変異を受け継いだ人は ペストに強かった。(理由は本書で)

進化とは「自身の生存と種の保存に役立つ遺伝形質を好む」もので、大流行のペストを生き抜いたヘモクロマトーシス保有者の子孫を増やしていき、その後 数十年おきに何度か繰り返されたペストの流行も そのたびに被害が縮小していったのは この遺伝子を持つ人口の割合が増えていったからだとも考えられる。

最初の質問 「40年後に必ず死ぬと決まっている薬をあなたが飲むとしたら その理由はなんですか?」

その答えは「あなたが明日死ぬのを止めてくれる薬だから」です。
それとヘモクロマトーシスも同じだったのです。こんな恐ろしい遺伝子も、祖先が生き延びる為に必要とした遺伝子だったのですねー。

メディカルミステリーツアー なんて表紙の裏には書かれていましたが、こんな感じで 人類の歴史からみた遺伝子変異の話しなど いくつも出ていて本当におもしろいです。
他にも「糖尿病は 氷河期の生き残り?」とか「酒が飲めない遺伝子」「人類の歴史と高血圧」「老化のプログラミング」「出産はなぜ苦しい」などなど。


話は 難しいはずなのに とても読みやすい。共著のジョナサン・プリンスが クリントンが大統領だった時のスピーチライターだったと知って納得。読者の心を掴んでます。
お薦めです。



迷惑な進化~病気の遺伝子はどこから来たのか~

シャロン・モアレム
ジョナサン・プリンス
矢野真知子(訳)

NHK出版






イースター島の謎

2007-09-17 | 大昔
ポリネシアの東端にある小さな島が イースター島です。
このイースター島には たくさんの謎と悲しい歴史がありました。巨大なモアイ像は 日本でも有名ですよね。

その巨像を最初に発見したのは (もちろん、住民以外に,という意味で) 1722年_,オランダの提督ロッゲフェーン一行でした。たまたまその日が復活祭(イースター)だった為 「イースター島」と名づけられました。 住民達は それまでなんて呼んでいたのでしょう? 知りたかったけど書かれていませんでした。 もしかしたら、何も名前がなかったのか? それとも伝わらずに現代まできてしまったのか・・単にかいてなかっただけか・・・ わかりません。

その約半世紀後 1770年スペイン人の一行が再びここを訪れます。 この島をスペイン領と宣言し、酋長たちにサインさせるのですが,驚いた事に彼らは スペイン人たちが見た事もない奇妙な文字を書きました。
それが 今日に至るまで今だ解読されていない「コハウ ロンゴ・ロンゴ」文字でした。

ロンゴロンゴの文字を 読み書き出来る人が 普通にたくさんいたのにどうして謎の文字になってしまったのか・・・島の悲しい歴史が関係あります。本当に残念・・・

1862年 働き手を求めるペルーの海賊が 前代未聞の野蛮的襲撃をし、ほとんど全ての島の男子を強制的に連れ出してしまったのです。 イギリス・フランス両国に タヒチの司教が訴えて やっと、まだ生きている約100人の人々が島に帰れるようになった・・・・けど!
奴隷商人の操る船の中で 天然痘が発生し、島に帰った人は15人。しかし、その15人が 全島に天然痘を広げて、2000~20000とも言われていた島民は わずか111人になってしまう。

もうロンゴロンゴを読める人は ほとんど残っていない。 さらに追い討ちで,宣教師達がやってきて、異教徒の文字が書かれている粘土板だと言って ほとんど全て焼いてしまった。こうして、謎の文字ロンゴロンゴが存在してしまったのだ。その粘土板には はるかはるか遠い昔に書かれたものが多数あり、もしかしたらモアイの謎にも迫れたかもしれないのに・・


こういう話を聞くたびに 人類は本当になんて愚かなのだろう と思う。マヤを襲撃したスペイン人も 同じ事をした。人類にとって貴重な資料,財産となる物を その場の自分の価値観だけで壊してしまう。
言ってもどうしようもない事だけど 本当に残念です。

イースター島にたくさんある鳥人間の絵は なんなのか?ポリネシアの島々は 南北8000キロメートル、東西6000キロメートル、という広い範囲に多数の島があるが 昔からみな同じ言語系統で来ている。この鳥人間が関係あるのでは? と思わずにいられない。

こうしたたくさんの謎・不思議がこの本には載っている。もちろん最大級の扱いは モアイ像だ。読めば読むほど 不思議でわからないことばかり。せめて ロンゴロンゴが読めれば・・・粘土板が残されていれば・・・と何度も思ってしまう。
まだ研究を続けている方はいる。いつか、私の生きているうちに解読して欲しい。楽しみに待つとしよう。


イースター島の謎
Aコンドラトフ
 中山一郎 訳
講談社現代新書

失われた記憶そして追憶 マヤ・アステカ私的紀行

2007-08-25 | 大昔
タイトルに「私的紀行」と書いてある通り,著者、曽野綾子さんの家族旅行記録です。

夫の三浦朱門さんと、息子の太郎さん、奥様、5歳の太一くん、の5人で1988年の夏1ヶ月ほどメキシコとグァテマラへ行ったそう。 いいですねー。家族でそんな遠い所,しかも1ヶ月なんて,一体いくらかかるんだろう、なんて余計な事をつい考えたりして。 私も家族で(ひとりでも良いんだけど) 南米へ行ってみたいなー。


曽野さんは 考古学者ではないけど 遺跡に詳しい。メキシコは三度目なんだそう。好きなんだろうなー。

旅行に際して調べた事や、知っている事などを 素人として説明してくれ,それをみた感想を書いている。そして時折、孫の太一くんの様子や、ピラミッドを上るのはきつい、とか 暑い、なんていう歴史本には絶対でてこないようなことも書いてあって、ひじょうに親しみが持てる内容なのだ。

”おもしろいな”と思ったのは、曽野さんは エジプトへ行って、ピラミッドを見た瞬間に「これは 登れないや」と思ったのだそう。 じつは、私も同じことを思ったのです! エジプトへ行き,ピラミッドを目の前で見た時に 全く同じ感想でした。「これは 登れない~」
 別に はりきって、「絶対登ってやる~」なんて意気込んで行ったわけではなく ただ何となく 登れるものと思いこんでいただけだったから それほどがっかりしたわけでもなかったし、そんな事より 中に入れるというワクワクのほうが強くて すぐに忘れてしまった感想でした。 それが今 曽野さんの感想を読んで ふと あの時の私と同じだー、なんて 大した事ではないけど ちょっと思い出してしまいました。


エジプトのピラミッドは 一段一段が偉く大きく、一番高いものは149cmもあり、187段目あたりの低い段でも53cmと、人が気軽に登るものではない。はいつくばってしがみついても 登るのは危険、というようなもの。

でも、私は行った事ないけど この中南米のピラミッドは、同じ名前のくせして、とても登りやすいのだそう。人が上まで登って行くことを想定して作られたピラミッドらしい。

曽野さんが思うには、 ここは周りをジャングルに囲まれている。宇宙を見たくても ブロッコリー型の木で空を覆われているこの地では 広い空を見るのはまず無理。だから、上へ上へ、樹海の上へ抜け出そうとした人々の情熱が こういうピラミッドを作り出したのでは?なんて書いている。展望台? いいねー。絶対そういう意味,私もあったと思うなー。

特に根拠もなく発見とかもない旅行記だけど 自分と身近に感じる感想でとてもおもしろかった。 食べ物やホテルの感想、出会った人々の話題などを織り交ぜながら マヤアステカの太古の都を思い浮かべさせる文章は さすが。 

いつか絶対南米旅行に行く!!!



失われた記憶そして追憶 マヤ・アステカ私的紀行
曽野綾子
PHP文庫

吉田松陰

2007-06-09 | 
この本は”歴史人物シリーズ”の幕末維新の群像第11巻です。評伝形式で書かれています。

以前、司馬遼太郎の「世に棲む日々」で読んだ松陰しか知らなかったので,小説ではなく 本物に近い松陰を読みたいと思っていました。評伝形式なんてうってつけで、飛びついて読んでみました。

大方の話は 「世に棲む日々」と重なり、おもしろさ的にも 小説にはかなわないけど
やはり、こちらのほうが取り上げて紹介している文も多いし、証言も多数あり より松陰に近づけた気がします。

松陰がこんなに有名なのは 松下村塾の門下生の活躍が大きいです。塾生名簿は存在しなかったので,正確な数字はわかってませんが、およそ300人位だろうと言われていて、そのうち、熱心に通っていたのは三十数人。10代が3分の2を占めていました。

主要な門下生のうち明治まで生き残り活躍した塾生は、伊藤博文、山形有朋、品川弥二朗といった人々で、その他のほとんど久坂玄瑞、高杉晋作、吉田稔麿などが 討幕運動途中で亡くなっています。

松下村塾は 1年ほどしかやっていなかったのに、その後の日本へこれだけ影響ある人物を量産送り出した松陰とは・・・・最後の最後まで教師であったということ。松陰の生まれてきた役割は 何か為すことではなく、為す人物を育てる事であったようです。

松陰と接した人々が異口同音に言うのは 言葉が丁寧で人あたりが優しい,と書かれていました。年長者にも年少者にも誠実に対応したらしい。日常、低い声で丁寧にしゃべりまるで、婦人のようだった、などの話も。「勉強なされられい」というのが口癖だったそう。

そんな温和な松陰が激しい情念を発する時は講義のときでした。門下生の天野御民の回顧を抜き出してみます。
「先生門人に書を授くるにあたり、忠臣孝子、身を殺し節に殉ずる等の事に至る時は、満眼涙を含み、声をふるわし、甚だしきは点々書にしたたるに至る。 これを以て門人もおのずから感動して流テイするに至る。 また逆臣君を苦しますが如きに至れば、まなじり裂け、声大にして、怒髪逆立するものの如し、弟子またおのずからこれを悪<にく>むの情を発す」

いかに松陰が激しいものを内に持っていたのか、想像できます。

門下生達だけでなく長州藩主にも松陰は いくつもの上書を提出しています。長州はいかに動くべきか、国家として取るべき方策は、などなど。

ただ、時期が早すぎたんですよね。この頃の長州はまだ中央の動きを傍観する「観望論」でした。時代に合っていなかった松陰。

下田踏海事件(密航失敗事件)も捕らえられ罪に問われたけど,その15年後には岩倉使節団が正式に横浜を出発している。アメリカを訪問し,ヨーロッパを回るというコースも目的も松陰と同じでした。15年早すぎた・・・

密航成功させてあげたかったな,と思います。外国を見た松陰がどんなに変わって帰って来るのか。
でも、松陰無しの倒幕なんて考えられませんよね。

有名な「親思う心にまさる親心けふぼ音ずれ何ときくらん」は 松陰の作で、家族仲がものすごく良かったそう。それも最後に書き添えます。



「吉田松陰」 歴史人物シリーズ 幕末維新の群像第11巻
古川薫
PHP研究所

むしばがすっぽん

2007-05-23 | 絵本
「読まなければ良かった」 そう思った絵本はこの本が初めてです。

かばくんが虫歯で泣いています。いろいろな動物たちが 一生懸命どうにか抜いてあげようと努力しますが、だめでした。 みんなが諦め気味の中、最後までかばくんのために努力するねずみくん。とうとう虫歯は抜けました。
でも・・・・・・


一体この絵本は 何が言いたかったのか? このお話はなに? なぜこんなお話が出版されるの?

息子が 図書館で選んだ本で、なんにも考えずに読み聞かせてしまいました。子どもに読んでしまって後悔です。




タイトル むしばがすっぽん
文   山下明生 * ヤマシタハルオ
絵   桑原伸之 * クワバラノブユキ
出版社 旺文社

超古代文明の謎 オーパーツ

2007-05-08 | 大昔
著者の南山宏という方は オーパーツに関しての本を何冊も出しています。この本は1998年に出版され ちょっと古いほうかも。新しいのも読んでみたい。

代表的なオーパーツを約20個くらい写真付きで取り上げています。丁寧な説明なのでとてもわかりやすいです。

こういうオーパーツの存在を信じない人や科学的証拠を要求する人など いろいろいると思うけど,私は「信じる人」(^^)なので,読んでいてとっても楽しかったですね。ワクワクしながら読みました。

内容は・・・・例えば,もっとも有名なピラミッド。ピラミッドの謎はいくつもあるけど、その中でも特に「照明」について 取り上げていました。

あの暗いピラミッドの中で 一体どうやって作業をしたのか?壁画を描いたのか?答えは・・・・・照明電球があったんですねー。信じます?
私は、あったと思いますよ。 地球外生命、もしくは,超古代文明の生き残りなんてこと あるかもしれない,と思っています。

ハトフル神殿の地下に照明電球とそれを支える高電圧絶縁機の壁画が描かれている、と1964年スウェーデンの古代史研究家が指摘して脚光を浴びました。そのレリーフは 私もどう見てもソケットの付いた立派な電球に見えます。

他にも様々。
古代,恐竜と人間が共存していた時代があった・・・とか。恐竜の存在など全く知らないはずの大昔の人たちが なぜ恐竜の土偶などを作れたのか?

どうみても宇宙服を来た人間を神とした石偶が、しかも世界各地から出て来るのか? 遠い過去 地球外生命体がきて地球人と接触したからなのでは?

現代のジェット機やブルドーザーと似ている装飾品が発掘されている。何をモチーフにしたものなのか? 地球外生命体が乗ってきたもので 大規模工事をしたからなのでは?

その建設方法をどう考えてもわからない物がいっぱいこの地球上にはある。エジプトのピラミッドももちろんそうだし、イースター島のモアイ像、ペルーの6枚屏風岩、
やはり、まだまだ私達の知らない何かが地球上では起こっていたのだ。その何かがわかれば 今 謎と言われている事がすべて解ける気がする。

オーパーツの本は読んでいてとても楽しい。この本もそんな本です。



超古代文明の謎 オーパーツ
南山宏
二見文庫







「日本人論」の中の日本人 上

2007-03-03 | 
副題 ザビエルから幕末まで

この本は 大きく時代を3つに分けて考えています。 鎖国前、鎖国中、鎖国後。当時、日本を訪れていた外国人たちが書いた記録の「日本人」の部分を抜き出し 上記時代別に並べて どのように日本人観が変化していったかわかりやすくならべてあります。

そう、並べてあるんです。だから、この作者 築島健三という方が、これらの文章を使って何かの考えを導き出すとか、何か主張しているとか まとめているとか、そういうことはないんです。

当時の外国人たちが どのように書き、どのように見たのかをわかりやすく解説してくれています。 余計な考えが吹きこまれないので 私は読みやすかったです。

この上巻には たくさんの外国人が登場します。よく知られている人も 全然知らなかった人もいました。

始めは 宣教師フランシスコ・ザビエルです。この方は 有名ですねー。
「この国の人は礼節を重んじ、一般に善良にして悪心を抱かず、何より名誉を大切とするは驚くべきことなり・・・・・続く・・」と言っています。

昔、室町時代の人の事とはいえ 同じ日本人をこのように誉めてくれるとやっぱり嬉しいです。

1563年肥前に上陸したルイス・フロイスが興味あることを書いていました。日本人の子どものことです。
「我々の間では普通鞭で打って息子を懲罰する。日本ではそういうことは滅多に行なわれない。ただ(言葉?)によって譴責(けんせき)するだけである。」

他にも「我々の間では 4歳の子どもでも自分の手を使って食べる事を知らない。日本の子どもは 3歳で箸を使って自分で食べる」とか、「我々の子どもは その立居振舞に落着きがなく優雅を重んじない。日本の子どもは その点非常に完全で賞賛に値する」などなど。

なぜか? 武士は何よりも名誉を重んじる。名誉を失う事は恥とされ侮蔑されたら名誉回復の為死をかけて行動する。仇討ちなど。
徹底して名誉を重んじ、恥を避ける教育を受けている当時の子どもたちは鞭で打たれないでも 自らを制し修めていく雰囲気があった・・・と、築島さんさんはよんでます。

子どもの事は 1619年オランダ東印度会社の料理助手として来日したカロンも書いています。
「彼らは子どもを注意深くまた柔和に養育する。たとえ終夜喧しく泣いたり叫んだりしても打擲することはほとんど、あるいは決して無い。~中略~7・8・9・10・11及び12歳の子どもが 賢しく(さかしく)かつ温和であるのは驚くべきほどで、彼らの知識・言語・応対は(老人の如く)、和蘭(オランダ)ではほとんど見られない。~中略~常に名誉欲を植えつけ名誉に関しては他に勝るべしと激励し短時間に多くを学び、これによって本人及び一族の名誉を高めた他の子どもの実例を上げる。この方法により、彼らは鞭撻の苦痛がもたらすよりも、更に多くを学ぶのである。日本人は 強情な国民で鞭撻を持って迫るべきものではない。」などなど。



日本人の私には今でも容易に理解できる事でも 外国の人には奇異に思える事がたくさんあるようで 読んでいておもしろいです。

1799年 鎖国している時にオランダ出島商館の書記として来日したゾーフが述べているには 当時の日本人の間にオランダ風の名前をつけてもらって喜ぶ風潮があったのだそう。通訳の青年馬場佐十郎はアブラハム、その友人高橋三平にはヨハネス・グロビウス、中津候のある藩士にはピーテル・ファン・デル・ストルプ、その藩士の主君である藩侯自らも願い出たので フレデリック・ヘンドリックの名を差し上げた とある。

後のシーボルトにもそういう記載があるのだそう。築島さんは
「当時のこの風潮の底に働く心理は、全く同じではないが、今日の外来語反乱の現象を支える心理と一脈通じる物があるように思われる。ひとつの歴史的連続の民族心理といえようか」
と言っています。私もそう思う(笑)日本人だから?当時の風潮理解できます。

引用文が多くそのほとんど全てに解説をつけてくれているので読みやすい本でした。


「日本人論」の中の日本人 上 ~ザビエルから幕末まで~
築島健三
講談社学術文庫

とまり木をください

2007-03-03 | 児童書
カテゴリーを「児童書」にしてしまいましたが、これは詩集です。

松谷みよ子さんが 昔のご自分の体験をもとに書かれた いじめられた子の叫びです。絵本「わたしのいもうと」とセットで「ぜひ読んでください」と、松谷さんが仰っていたので 読んでみました。 「わたしのいもうと」は、私が初めて絵本で泣いてしまった本です。なので、読む前から少し緊張してしまいました。・・・・衝撃を受けてしまうかもしれない・・・・・ でも、読まなければいけない、と思いました。



絵は司修(つかさおさむ)さんです。少し恐い。扉絵は倒れた自転車です。誰もいない・・・恐らく夜の川原?にあきらかにボコボコにされた自転車が砂利の上に倒れている絵です。

私は 幸いな事にいじめのあるクラスを知りません。「昔からあった」なんて良く聞きますが、自分の小中高と、どの時代のクラスを思い出しても いじめという言葉があてはまるような学級はなかったと思うんです。

だから、自分の事というよりも自分の子どもの問題として考えてしまう。倒れた自転車・・・きっと、それを買ってあげた親はまさかその自転車がそういう事をされる運命にあるとは 思ってもみなかったでしょう。幸せいっぱいの笑顔で自転車を喜んでくれた事にまで 想いを馳せてしまいます。

全部で13の詩がでてきます。
「仮面」というタイトルの詩があります。

__目がさめたとき 死にたいとおもうのです・・・

という言葉で始まります。 __また いじめられる一日が始まる・・・  この女の子は死ぬ事を考える、でも、死んではいけない、ということも良くわかっている。そして、ノロノロと朝の支度を始め 最後 笑い顔の仮面をかぶって終了となります。

いじめられている子は 常に暗く下を向いているわけではない。家族にさえも笑顔の仮面をかぶっている子もいるという・・・・

「地獄」というタイトル

__地獄って 遠い所にあると思っていたけど
     ここがそうなんですねえ・・・・

読んでいて 本当に苦しいです。

ただ、詩が進むに連れ 希望が湧いてきます。とくに「芽」というタイトルの詩は どん底までいった魂が 流れて行く時間の中で癒され少しずつ動き出す感じで とても心強いです。

最後の詩のタイトルは「生きる」です。

命はひとつしかない。死なないで!どんなにつらくても生きぬいて!という松谷さんの思いが伝わります。
ぜひ、大勢の人に読んで欲しいと思います。

とまり木をください
松谷みよ子
筑摩書房








信玄戦旗

2007-02-23 | 
大河ドラマ風林火山を見て、信玄の時代を読みたくなり 本屋さんへ行きました。たくさんあり過ぎて どれが良いか迷ってしまった。決めては 「松本清張」という名でした。きっと、おもしろいだろう と思って。

松本清張という人は 社会派推理小説のイメージがすごく強いですよね。何度ドラマ化されても 誰が演じても 話しがしっかりしているからすごくおもしろい。歴史小説も数多く書かれているそうだけど 私は初めて読みました。期待に胸膨らませて(^^)

読み始めて・・・・う~ん・・・・
出だしの章のなんとつまらないこと・・・・・甲斐近辺の地理の説明、上杉や武田の家系の話し、冗長な文が続いてました。

でもね、考えてみればこういう事を知りたくって読み始めたのに・・・私って勝手(^^ゞ やっぱ物語になっていないと おもしろく読めない。
だから?最初の頃は なかなかページが進まなくて何日もかかってしまったけど 最後は一気に加速してあっという間でした。 謙信が登場して 急に生き生きと話しが躍動し、引きこまれました。

ここに書かれている謙信はなんと魅力的。川中島の決戦を何度もして戦っている相手なのに 信玄は死ぬ間際 息子に 謙信を頼るように言うんです。信を裏切る男ではない、と。 相手を認めているんですよねー。こういうライバルって、いいなあ なんて思いました。

信玄の一生を 1冊でまとめているので 簡単に読む事ができ とりあえず大体を読んでおきたい という方にはちょうど良いです。
ただし、軍師山本勘助を 期待される方は 読んだらがっかりしてしまうかも・・・

やっと、出てきた・・・と思ったらあっというまに 御討死!という報告がきます。 勘助の作戦で敵を翻弄させる、なんて場面は出てきません。信玄との会話で チラホラ名前が出てくる程度です。 残念。

それからひとつ 特筆すべき特徴がこの本にあります。図解がとっても多いんです。 合戦武具や各大名馬印の絵とか、それから地図や家系図も、やたら多いですね。戦の作戦が想像できて 良かったです。

信玄がもう少し生きていたら 日本はどうなっていたんだろう?とは良く言われることですが この本を読んで本当にそう思いました。 
武田軍は 本当に強かった。


信玄戦旗
角川文庫
松本清張

隋の煬帝

2007-02-03 | 大昔
煬帝の一番強い印象は やっぱり聖徳太子が送った「日出処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや」の手紙を受け取った天子 ということかな。ものすごく怒り狂ったハズなのに それを我慢した偉い煬帝。というイメージがあった。

でも、この本を読んで だいぶ違った印象を持っていた事を知りました。煬帝 かなりすごいです。

お話は 始め南北朝の荒れた時代から始まります。延々と・・・(-_-メ) 文庫の半分くらいまでいって、やっと煬帝が登場、そして即位します。長かった~
おかげで 今までどんな天子が続いていたのか よくわかりました。絶対長すぎ~。

中国は 土地が広いから? 大陸と繋がっているから? よくわからないけど、やたら,人物のスケールが大きいです。やる事が半端じゃない。作者の宮崎市定氏によれば、淫乱暴虐な君主は なにも煬帝だけではなく 特にこの南北朝時代には多かった、という。

宋王朝,孝武帝死後16歳で即位した廃帝、父親の墓に糞尿かけたり、3人の叔父を集めて動物の檻に入れ四つんばいでご飯食べさせたり、ストリップ遊びは 宮女だけでは足りずに親戚や臣下の妻女まで集めて見境なく過ごしたり・・・2代あとの明帝は 夜 宮中を仲間と抜けだし 出会うもの全て男でも女でも犬でも 切り殺す。そのうち,昼間もくりだし、強盗したり、人殺したり。

斉王朝、皇太孫の昭業 天子の祖父も皇太子の父も 長生きで死にそうにない。巫女を呼んで二人を呪い殺させ 祖父が倹約して貯めていた国のお金を 大贅沢して1年経たぬうちに半分使い殺される。殺した反乱軍の指導者が帝位につく。そして,その息子が帝位につくとまたまた大暴れ。片端から朝廷の大臣を殺し、仲間と市街へデモに出て、太鼓の布令を聞き逃した通行人に出くわせば 必ず切り殺す。

・・・とまあこんな感じで ひどい天子の話しが延々続いて、やっと煬帝生まれてきます。

煬帝は 次男でしたから、天子には普通なれない。そこを頭の良さ(?)で 上手く立ち回り、両親をだまし、長兄を罠にはめ、そして次々と兄弟達も失脚させ 見事に天子になります。早いうちに親が煬帝の悪巧みに 気がついていればねぇ・・・長兄の必死の訴えも 騙されている親には真実と聞こえません。 自分が殺されて初めてわかったことでしょう。

天子となってからのお話は 物語的というよりも写実的。煬帝の行なった数々のびっくりネタをかいてます。 日本の偉人達とは比べ物になら無いほどの無駄使いのスケールに ただただビックリ。

ほんの一例を書くと

中国は、東西に川が流れているので、南北の交通が不便。そこで、煬帝は、黄河と揚子江を連絡する運河を整えた。 水が流れる所はいいが、平坦で流れない所、あるいは流れに遡る時は 船に紐をつけ人力で引く。その為 運河には平行して道路が作られています。

煬帝の乗る船は、長さ600メートル、高さ14メートル。桁違いに 頭クラクラ。この運河が開通した時、数千艘の遊覧船に数千艘の護衛艦を引き連れて運河を渡ったそう。船に乗るのは 後宮,王族の男女、僧尼、道士、異国商人など、船を引くのは軍人8万人。護衛艦には近衛兵が乗り 他に騎兵が両岸で警護する。船列の長さ90キロ(@_@) しかもこの大行幸は 一度や二度ではなかった。

万里の長城に沿って行幸する時は 行殿 という”動く宮殿”の車に乗る。煬帝とその近侍数百人を乗せる大きな台の下に車を取り付けたもの。寝る時は 屏風のような物で周りを囲む。周囲3キロにもなる。軍士50余万人、馬十万匹がお供した。

他にも 煬帝専用遊園地(?)を作り 周囲90キロを囲み,中央部に5キロの人造池を作る

などなど やっぱ,土地が広いからかしらねー。すごすぎ。

そして日本との関係,高句麗との関係などにも詳しくふれています。最後は 反乱軍に攻めこまれ 首を縊らせ生涯を閉じました。

煬帝と言う名前は、死後の諡(おくりな)で、煬の意味は「色を好んで礼を無視したもの」「礼に背き人民から嫌われた者」「天に逆らい人民から搾取した者」という意味だそう。 まさにピッタリ!?


 隋の煬帝
 宮崎市定
 中公文庫

わたしのいもうと

2007-01-30 | 絵本
何年か前に人に紹介され 読んだ絵本です。
はっきり言って 涙がとまりません。
小学校の時、転校していじめを受けるようになった妹を 姉の目線から描いています。

作者の松谷みよ子さんの所に届けられた手紙がベースになっていて実話です。

妹は 生きる気力を失い,段々と痩せていき,母は泣き暮らし、いじめた少女達は日々成長していき 楽しそうに高校生活を送る中 妹はひっそりとその生涯を閉じます。

それで絵本は終わります。


今 いじめを楽しんでいる子達にぜひ読ませたい。読んで自分の愚かな行ないが どんなにひどい事なのか考えて欲しい。きっと反省してくれる。  この絵本には そんな強い力がある気がします。


新聞記事で 松谷さんが この「わたしのいもうと」と詩集「とまり木をください」はセットです。と書かれていたのを読みました。詩集は 読んだことなかったので 今度読んで見ようと思います。 またこちらで紹介しますね。


わたしのいもうと
松谷みよ子
偕成社

古代エジプト 埋もれた記憶

2007-01-25 | 大昔
吉村さんは たくさんのエジプト関係の本を出版されているので どれにしようかな?と,迷ったけど やはり歴史は刻々と変わるものだから 一番新しい本を読む事にしました。

ひとくちにエジプト史といっても範囲が広すぎる。何千年も前のことだけど、今ではかなりはっきりといろいろな事がわかっているので、1冊では書ききれない。 この本は 主に一般のエジプト人達の暮らしぶり,医学や文字、ファッション、食べ物、宗教などを中心に書かれていて、初期王朝時代からだいたい新王国時代ぐらいまでの話が多かったです。

どれもどれも興味深い内容で、吉村さんは お話する時もそうだけど、丁寧で分かりやすく、そしておもしろく書いてあるので、どんどんページが進みました。

例えば,医学。
エジプトは ミイラ作りのおかげで医学が非常に発達していた事は有名です。
現代にも通用する人体図もありました。 人間の体の仕組みが分かっていて 人体の各部位の配置も知っていました。 日本では 江戸時代の杉田玄白が翻訳書の解体新書を見ながら 死体解剖をしたのが最初です。 この数千年の違いに 驚くばかり・・・・

体内に入った空気は心臓に入り、「メト」と呼ばれる菅を通って身体の中に送られるため生きている,と考えていました。血液,体液,唾液,粘液があり、それらが身体のいろいろな臓器で送り出された後、メトを通り、筋肉や神経に栄養を与え,最後は尿や便となって 体外に排出されるということまで わかっていたそう。

すごいですねー。どうしてエジプトだけがこんなに異常に 医学が発達したのでしょう?吉村さんは「ミイラ」と言っていますが 本当にそれだけかな?
超古代文明の影響は考えられないかな?(↓の方の紹介にある「失われた文明」をご参照下さいm(__)m ) 私は 超古代文明 信じているんですけど、吉村さんは この本で完全否定していました。科学的根拠が無い、と。  う~ん・・そうかなあ・・・



そして、エジプト人は 医療費は無料でした。お医者さんは すべて国家が雇っているので公務員でした。専門化もされていて、目の医者,頭の医者,腹部の医者等。外国からも たくさんの人が 診てもらいにやってきたそうです。そういう人からは お金をとったらしい。

そんな頼りになるお医者さんを どうやって育てたか?
今の医科大学のようなものがあったそうで「ぺルアンク(生命の家)」と、呼ばれていました。この生命の家は 主要な神殿に作られていて、他の職業を目指す人たちと一緒に まずは基本の教育を受けます。教育科目は 宗教文書(死者の書など)、文学,数学,法学,地理学、そして文字。聖刻文字(ヒエログリフ)、ヒエラティク、デモティクの3種類1000文字。そして、医者としての専門教育。
学生達は かなり大変だったらしい。



まあこんなふうに 次々と古代の興味深い話題が 続いています。おもしろかったな。写真もわりと 豊富です。 歴代のファラオの話しは 簡単にしかでてこないので そこらへんを読みたい方は 別の本のほうが良いかもしれないです。

エジプト史 大好きです。

古代エジプト 埋もれた記憶
吉村作治
青春出版者


信長の棺

2007-01-11 | 
ミステリー小説ってじつはあまり読んだことありません。ただ,この本は「おもしろい」と聞いたので 読んでみたくなりました。

で、図書館にリクエストしたら,数十番目(-_-メ) 待ちくたびれている時に、テレビでドラマ化されてしまい そちらを先に見てしまいました~。

どうなんでしょうねー、結末を知っているミステリーを読むというのは。テレビを見た時は ものすごくおもしろくって、”早く本が読みたい!”と思いましたが、本を読みだしたら ”テレビ見なきゃ良かったな”と思いました。

さて、中味ですけど 主人公は信長に仕えていた太田牛一という人です。信長の7歳年上で、信長存命時代は 全国の諸将からの戦況報告を受け、地名や歴日の間違いを吟味したり、信長からの指令を発する事務方でした。
秀吉となってからは,物書きの仕事をし、隠居後、信長の記録「信長記」を書きながら、信長の遺骸探しをする、という話で、遺骸探しの核心にくるまで結構長かったですね。秀吉時代かな。

この牛一という人物は 信長に惚れ込んでいるのです。信長の欠点短所という谷は深いけれども 長所という山の高さがずば抜けている、と。私もそう思う。
本は 本能寺の変から始まっているので 生きた信長は出てきません。牛一が語る思い出の信長だけ。 それを読むと 日本は本当に惜しい人物を亡くしてしまったなあ,と思う。

信長の思考は 常に世界を見ていた。天下布武のあとに信長のやろうとしていた事を考えると 秀吉なんか小さい小さい。家康だって、徳川の繁栄、国内の安定しか考えていない。考えが狭い。

信長は不世出の天才。誰も信長を理解できなかったし、誰も信長を越えられなかった。そんな英雄を殺したのは じつは光秀ではない。いや,表面上は光秀なんですけどね、真犯人は別にいたんです。日本中の目をごまかし、歴史上でもごまかして 信長亡き後ふんぞり返って生きた人物。「ブルータスよ お前もか」と知っていたら信長も叫んだに違いない人物。

遺骸のない種明かしも なるほどと思ったし、内容も”もしかしたら?”なんて思う話でとても楽しめました。
ただ、お話的には 最後の最後に たった一人の告白で全て解明となる手法なので それはどうかなあ,という感じがちょっとはします。 私自身 結末を事前に知ってしまっていたという影響もあるかもしれないけど・・・・
まっさらな状態で読めば良かったなあ。

でも、ミステリーもたまにはいいね。

きみはほんとうにステキだね

2006-09-17 | 絵本


幼稚園の貸し出し文庫で借りてきた本です。

嫌われ者で乱暴者の主人公 ティラノサウルスは、海に落ちた所を、心優しいエラスモサウルスに助けられます。 エラスモサウルスは、ティラノサウルスが 強くて優しくてお友達もいっぱいいる恐竜だと どうしたわけか大勘違い。 ティラノサウルスも なぜかそれを否定できません。

本当の自分の事を言えずに、胸がズキンズキン痛みます。 本来の自分を隠したまま、エラスモサウルスとの交流が始まります。 
始めてのお友達。お友達の為に 木の実を取ったり、来るのを待ちつづけたり・・・
ティラノサウルスの努力は 涙ぐましい。でも・・・・・・・・・・

最後は悲劇が襲います。子どもの絵本で,悲しい結末は珍しい気がする。
「どんな君でも 本当の君はステキなんだね」そんな事いわれたら泣いてしまうよ。

ハッピーエンドじゃなかった分、心がスッキリできません。それでも このシリーズの絵本は 相当に売れているらしい。大人が読んでも ちょっと悲しいかも。


「きみはほんとうにステキだね」
作絵 宮西達也
ポプラ社

曹操 ~魏の曹一族~

2006-09-02 | 大昔
本屋さんでタイトルを目にした途端に、”これ買う!”と決めました。吉川英治の「三国志」を読んで以来 曹操(そうそう)ファンです。 三国志では結局は主役は 劉備玄徳 (りゅうび げんとく)諸葛亮孔明(しょかつりょう こうめい)なので、曹操は敵役でした。 曹操を主人公にした話を読みたいと思っていたので、とってもラッキー♪。

お話は 光和元年、曹操24歳、頓丘の令(とんきゅうのれい;役職名です)の頃から始まっています。まだそんなに上のほうの役ではないです。

私は勝手に、三国志の戦いを 今度は曹操側から読める と思ってしまったのですが、違いました。あの吉川三国志の 手に汗握る躍動感ある戦いぶりは ここではでてきません。戦いそのものが ほとんど描写されずに終っています。もしかして珍しいかも。 

小タイトルにもあるように 曹一族と曹操の絡みが話しの中心です。オリジナルキャラクターなのか?紅珠という曹操のいとこも出てきます。「同性娶らず」というのが 儒の倫理が常識らしく 同性同士の結婚は「禽獣の行為」とみなされるので、曹操と紅珠は秘密の禁断の関係でした。私は この紅珠とのシーンはおもしろくなかったです。 

でも、この本では 紅珠は大切な役目を背負っていて 紅珠と曹操の会話で 曹操の気持を読者に伝える事が多かったです。


劉備は 自分の人格を元手に 草鞋売りから 仲間を増やし大きくなっていったけれど、曹操の力のつけ方は違いました。

曹操は 初めから曹一族の期待の星でした。もちろん頭も良かったし度胸も判断力もあったからなのですが、曹一族がみんな曹操の為に 骨を折り、仕えるのです。祖父曹騰は宦官であった為 家もとってもお金持ちです。父親も 曹操にはあれこれ意見したり,助けたり。母子家庭で 一族の力というものが全くなかった劉備と比べると、曹操は正反対の存在です。

この本では そうした一族との絡みを中心にした一族の中の曹操を書いたお話でした。こちらを先に読んでから 三国志を読むともっとおもしろかったかも。この本だけでは この時代は楽しめないので 必ず吉川三国志とセットでどうぞ。

曹操 ~魏の曹一族~ 上下巻
中公文庫
陳舜臣