日々の気付き

自分への提言

誤解の解消法

2016年02月26日 16時02分16秒 | 日記
 ①間違った考えを持った人に近づかない。(交際)
 ②間違った考えを改良する。(論理)
 ③間違った思想の受信装置の周波数を変更する。(物理)
 私はまだまだ、間違った考えを克服することはできないが、①や②は根本的な解決には至らず、③のみが唯一の最終解決法であると考えている。
 受信装置とは、人体細胞である。
 私は、①と②を徹底的にやれば、③が発生するのだ、と考えている。

粗(そ)は精による物、聖は精

2016年02月24日 15時51分54秒 | 日記
 1膳のご飯は、何万もの米粒で出来ている。
 1膳のご飯は、米粒と決して無関係ではない。
 1膳のご飯を気にする人であっても、1つの米粒を気にしない事はあるだろう。
 1膳のご飯を粗ととらえれば、1つの米粒は精ととらえることが出来る。
 1つの米粒に気づくことが、聖なる物への気づきととらえれば、聖とはすなはち、精をあらわしている事になる。
 したがって、一般に聖の反対とされる、邪という物は存在せず、精に気づくかどうかがあるだけである。

虚無の不在

2016年02月24日 09時29分11秒 | 日記
 買ってきたばかりのスケッチブックを開いて、私たちは次のように言うかもしれない。
 「まだ、何も書かれていないこの紙に、いったい何を描こうか?」
 私たちはそこに、何も描かれていないという認識を持つ。
 あるいは、そこに、虚無という概念を思い浮かべるかもしれない。
 しかし、そこに「虚無」などどいう物は無く、実際には、パルプを原料として製造された、紙が存在するのである。
 したがって、「無い」は無いのである。
 この事は、空間という概念についても言える。
 「空っぽ」は、宇宙のどこにも、永久に存在しない。

実在と非実在

2016年02月22日 17時50分56秒 | 日記
 もし私が電波について何の知識も無かったとすれば、私は電波の存在に気づかないであろう。
 以上のような状態の中では、私は、ラジオと音楽プレイヤーの区別はできないであろう。
 しかし、電波は確実に存在する。
 この世に神が居るとすれば、私にそれについての知識が無ければ、いつまでたっても私はその存在には気づかないであろう。
 神についての知識とはなんであろうか?
 万物の創造主とか、自分に似せて人間を作ったとか、あらゆる物にはそれが宿っているとか・・・。
 聖書の中では、科学的な論考を超えて、いろいろな属性が神について述べられている。
 電波に対して敏感な人は、電波についての説明に「やっぱりそうだったのか・・・。」 と言って、納得することが出来る。
 神に対しても、同じような感覚を私たちは持てるのではないだろうか?
 2000年前にパレスティナで教えていたイエスが、弟子に対して、「私をなんだと考えるか?」 という質問をした時、弟子はそこに創造主の姿を見た。
 「人類の歴史上、この弟子のように、創造主の姿を見た人は、複数いるのではないか?」 と、私は考えている。
 それが、数人なのか、数百億人なのかは、私には分からないが・・・。