日々の気付き

自分への提言

粗(そ)は精による物、聖は精

2016年02月24日 15時51分54秒 | 日記
 1膳のご飯は、何万もの米粒で出来ている。
 1膳のご飯は、米粒と決して無関係ではない。
 1膳のご飯を気にする人であっても、1つの米粒を気にしない事はあるだろう。
 1膳のご飯を粗ととらえれば、1つの米粒は精ととらえることが出来る。
 1つの米粒に気づくことが、聖なる物への気づきととらえれば、聖とはすなはち、精をあらわしている事になる。
 したがって、一般に聖の反対とされる、邪という物は存在せず、精に気づくかどうかがあるだけである。

虚無の不在

2016年02月24日 09時29分11秒 | 日記
 買ってきたばかりのスケッチブックを開いて、私たちは次のように言うかもしれない。
 「まだ、何も書かれていないこの紙に、いったい何を描こうか?」
 私たちはそこに、何も描かれていないという認識を持つ。
 あるいは、そこに、虚無という概念を思い浮かべるかもしれない。
 しかし、そこに「虚無」などどいう物は無く、実際には、パルプを原料として製造された、紙が存在するのである。
 したがって、「無い」は無いのである。
 この事は、空間という概念についても言える。
 「空っぽ」は、宇宙のどこにも、永久に存在しない。