上・朝鮮労農大会準備会「宣言」1923.9.28
1924年朝鮮人労働者の運動 (読書メモ)
参照 「日本労働年鑑」第6集/1925年版 大原社研編
「植民地朝鮮と日本」趙景達著 岩波新書
「社会・労働運動大年表Ⅰ」大原社研編 労働旬報社
社会局の発表では、1924年5月1日現在では、移入朝鮮人は89,042人であり、前年より9,027人増加している。大阪に3万人、福岡1万人、兵庫6千人である。工場鉱山に2万人など、ほとんどが不熟練労働者の「土方」「雑役」「紡績職工(友禅も含む)」「ガラス職工」「日雇い」であるが、無職・失業者の朝鮮人が大阪では3割5分も占めている(「日本労働年鑑」)。
【この年、釜山より日本に渡航した朝鮮人は12万2215人、帰国した者7万5430人】(「社会・労働運動大年表」)
1924年日本国内における朝鮮人労働者の運動
・3月、下関在住朝鮮人労働者が「労友会」を結成
・4月、大阪市民館で「衛平運動大会」開催
・4月、大阪で朝鮮労働同盟第二回大会
・6月、大阪で「朝鮮人差別撤廃演説会」開催ー解散命令で中止させられる。
・8月、大阪で「朝鮮人言論集会圧迫弾劾演説会」開催
・8月、堺で「朝鮮労働同盟同志会大会」開催ー解散させられる。
・9月、東京で「横死朝鮮人追悼会」開催ー解散させられる。
・11月、神戸で「三一青年会主催植民地解放演説会」
・12月、大阪で「三一青年会主催弱小民族解放演説会」開催ー解散させられる。
1924年日本国内における朝鮮人労働者の労働争議
・1月、呉市の水野組朝鮮人労働者300名、賃金3割増の要求
・11月、群馬県多胡村、朝鮮人労働者のストライキ
・12月、岐阜県中部電力賃金不払いで朝鮮人労働者の示威行動
・12月、東京玉南鉄道工事で賃金不払いで朝鮮人労働者のストライキ
1924年朝鮮における運動
「日本労働年鑑」第6集は第一篇労働争議の第六章「朝鮮に於ける争議」で「朝鮮に於ける労働争議は逐年増加の傾向にあり、かつそれに参加する朝鮮人の数も次第に増加しつつある」とし、朝鮮総督府によるストライキ調査結果を紹介している。そもそも朝鮮には労働法規が存在せず、長時間労働や幼年労働者への規制がなかった。
1924年朝鮮におけるストライキ件数と朝鮮労働者参加者数
1916年 8件 363名
1917年 8件 1,128名
1918年 50件 4,443名
1919年 84件 8,283名
1920年 81件 3,886名
1921年 36件 3,293名
1922年 46件 1,682名
1923年 72件 5,824名
1924年(上半期) 24件 4,107名
1924年朝鮮、岩泰島の小作争議『餓死同盟』
植民地最大の小作争議といわれた全羅南道の農民運動。1923年全羅南道務安郡の岩泰島で小作人会が結成され、小作料の4割減を決議し各地主に通告したが、最大の地主がこれを拒否した。1924年、地主はテロ団を組織し、小作人会を襲撃した。農民も抵抗した。ついに暴力の応酬となり、双方に逮捕者が出て、小作人会では幹部13名が逮捕された。小作人会は、6月と7月の二回にわたり、それぞれ400人、600人を動員し木浦に押しかけた。農民たちは幹部の釈放を叫び、地主の不法をなじり、警察署と法院に対して決死の覚悟の示威行動を行った。木浦は喧噪に包まれた。木浦の小作人たちは、『餓死同盟』を結び、糞尿をまき散らした。当初は木浦の人々を閉口させたが、やがて、この哀れむべき小作人たちに同情した木浦の人々は農民たちに食べ物を与えた。この農民たちの必死な闘いは東亜日報や朝鮮日報を通じて全国へ知れ渡った。その結果知事や警察署長などの仲裁で、小作料の大幅減額、地主からの寄付金などで和解が成立した。逮捕されていた13名も全員釈放された。岩泰島小作人会の大きな勝利だった。全羅南道では1924年に541件の小作争議が起き、このような小作側の勝利も少なくなかった。こうした闘争戦術は労働争議でも見られる。世論喚起のビラ配布や街頭座り込みなどで、闘う労働者は工場以外に騒動をもち込もうとした。『餓死同盟』は労働争議にも見られ、そのためしばしば同情ストが行われた。同情ストの多発は、植民地朝鮮における労働争議の特徴である(「植民地朝鮮と日本」趙景達)。
11月2日には、 東洋拓殖会社農場の小作人の争議もあった。
1924年朝鮮における社会運動
・朝鮮衛平運動、日本の水平社と連携ー1924年に至り、身分差別に反対する朝鮮の「衛平運動」は大きく発展した。「白丁」の文字を戸籍より削除することを朝鮮総督府に要求した。また、差別や侮蔑的態度をとる者らへは一致団結して闘うことを決議した。9月には、今後、日本の水平社との間で共同戦線を強めていくことが両団体の間で協議された。
・糾弾文の撤布発覚ー2月、新聞東亜日報の生ぬるい姿勢に怒った東京朝鮮留学生学友会、同女子学興会、朝鮮労働同盟会、朝鮮無産青年会、大阪朝鮮労働同盟会、前進社など10数団体が連盟し各方面に東亜日報の姿勢を追及する「糾弾文」を撤布したことが発覚した。
・朝鮮青年総同盟ー4月11日、朝鮮青年総同盟結成。ソウル青年会を中核にした全国224の青年組織と会員3万7千人による巨大組織が組織された。以後総同盟は朝鮮共産党などと関係をもちながら急進的運動を進めていく。
・朝鮮労農総同盟結成ー4月18日、22年に結成された朝鮮労働連盟会など3つの労働団体が合流し、最終的には全国1174団体が網羅された。綱領は「労農階級の解放と完全な新社会の実現」「徹底的な資本家階級との闘い」など。しかし、結成後まもなく、朝鮮総督府は不当にも一切の活動を禁止してきた。
・朝鮮青年総同盟臨時大会へ解散命令ー4月24日、121団体代議員160名で開催したが、即座に当局により解散を命じられた。
・共産主義者2名検挙ー9月18日、共産主義者のリーダー2名が検挙された。
・ソウル青年会創立4周年記念会へ解散命令ー10月6日、当局により「不穏言辞あり」と解散を命じられた。5名が検束された。
・青年問題講演会へ解散命令ー10月13日、700名(女性80名)が参加したが、「共産主義を説いた」と解散命令。
・飢餓対策演説会へ解散命令ー10月23日開催予定のところ、当局から中止を命じられた。