御船での西南戦争の経緯②
薩軍・坂元仲平隊と熊本隊、協同隊、人吉隊が御船に配置され、官軍3旅団(別働第一、別働第ニ、別働第三)と戦闘しています。
熊本隊の奮戦は凄まじく戦死者60余名出しました。
若宮渕では川を渡る薩軍に対し官軍は激しい銃撃を行い、渕の水面は薩軍兵の鮮血で赤く染まったそうです。
御船の戦いで薩軍は多くの負傷者を出しています。
敗退した薩軍は負傷者を引き連れて山都町の矢部に向かいました。
官軍側(甲佐町津志田)より御船方面の古写真をカラー化
①盗人塚
②妙見坂
③駒返山
盗人塚と妙見坂は熊本隊一番小隊・二番小隊・十二番小隊・十三番小隊・十四番小隊と熊本協同隊が守備、駒返山は熊本隊九番小隊が守備していました。
飯田山には熊本隊参謀・山崎定平率いる熊本隊四番小隊・十五番小隊が守備しています。
【西南戦争史跡】
熊本諸隊奮戦之地の碑
妙見坂への入口にあります。
妙見坂
激戦地跡です。
熊本隊は妙見坂を見下ろせる盗人塚山と駒返山に布陣します。
妙見坂から眺めた御船町。
熊本隊士の墓
妙見坂の上にある御船で戦死した熊本隊士11名の合同墓です。
熊本士と刻まれています。
入口の案内板
法光寺の丁丑戦死之墓
墓標には戦死した熊本隊士の氏名が刻まれています。
法光寺は熊本隊の野戦病院があったと云われています。
東禅寺
ここには熊本隊士3名の墓があります。
正垣鍬五郎・熊本隊一番小隊隊士
磯野忠躬 ・熊本隊九番小隊隊士
下田文次郎・熊本隊十四番小隊隊士
3名共4月20日に御船川(若宮渕でしょうか?)で戦死しています。
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