閑人閑話クン

『 B級グルメ 』と『 大人の遠足 』重視!
ほぼ下らない話  諸事情により、同タイトル Ⅱにて継続中

長州紀行9

2013-12-05 17:43:11 | 旅行記・お出かけ


 徐々にお酒も抜けて来たみたいなK氏にも 


        元気が出て来たよ 




 市内を観光ガイドに則って 周るとしましょう  





   香山公園からスタートです





  瑠璃光寺の五重塔です。  



                        


 まぁ だいたいさ、山口はさ、どこ行っても “ オーウチオーウチ モーリモーリ ” なんですけど



 


  大内氏前期全盛の頃、25代大内義弘は現在の香山公園に、石屏子介禅師を迎え香積寺を建立しました。

義弘は応永6年(1399年)足利義満と泉州で戦い戦死。26代弟・盛見は兄の菩提を弔うため、

香積寺に五重塔を造営中、九州の少貳勢と戦って戦死。五重塔はその後、嘉吉2年(1442年)頃落慶しました。

それからしばらくの時を経た関ヶ原の合戦の後、毛利輝元が萩入りし、

香積寺を萩に引寺。跡地に仁保から瑠璃光寺を移築しました。これが今日の姿です。

全国に現存する五重塔のうちで10番目に古く、美しさは日本三名塔の一つに数えられ、

室町中期における最も秀でた建造物と評されています。






ちなみに、日本三名塔の他2基は、奈良県の法隆寺と京都府の醍醐寺にある五重塔です。

また、檜皮葺屋根造りのものは瑠璃光寺の他に、奈良県の室生寺と長谷寺、そして広島県の厳島神社にもあります。

この国宝、五重塔は観光山口のシンボルとして桜や楓の裏山を背に、

大内文化を優雅に伝えています。また、日没ごろから数時間ライトアップされ、夜も見どころの一つです。






  

    枕流亭は長州藩の面々が倒幕の密議をした場所 


 



   露山堂  香山墓所 へと抜けまして


        





   
「 手 叩くと響くよ 」的な   日光だっけ? 天井に龍の絵が描いてあって あれと同じですね  


             うぐいす張りの石畳 


  

洞春寺は毛利元就の菩提寺ですが、

この地には古く、応永11年(1404年)大内盛見が天下泰平、家内繁栄の祈願所として建立した国清寺がありました。

毛利氏が防長に移ってからは、毛利隆元の菩提寺となりましたが、後に元就の菩提寺となり洞春寺と称しました。





  まぁ 説明は もういいッスね・・






山口県政資料館 中も無料で見学出来る様ですが





藩庁門 で、折り返します。

毛利敬親が幕末の文久3年(1863)12月に一露山の麓、今の県庁の位置に藩庁の移転を計画し、

慶応3年(1867)に竣工しました。

この門はその藩庁の正門で、脇門付薬医門で、切妻造り、平入り、本瓦葺きです。

山口県の重要文化財に指定されています。


  


 普通に 県庁脇の、大通り付近にある所が凄いですね。  



  天気も良く 気温もちょうど良い   どちらかの 日頃の行いのせいでしょうか・・ 


     のんびりブラ~っと戻りますよ  





モーリ オーウチの歴史も勉強しなきゃ ダメですね・・・ 






                  


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