第2回:【全国への飛躍】福岡の新聞記事が巻き起こした奇跡と、うすい山荘、天然車えびへのこだわり
皆さん、こんにちは。「天然車えび料理専門うすい山荘」当主、臼井博隆です。
前回は、約4年もの歳月をかけて完成した、僕たちの渾身のホームページについてお話ししました。このホームページは、単なる情報サイトではなく、1300年の歴史を背負いつつ、天然車えび料理に情熱を燃やす僕の想いを込めた、大切な「顔」となりました。
山口県秋穂という地で、まだほとんど知られていなかった「天然車えび料理」を全国へ広めるため、都会的なイメージで勝負したいと考えていた博隆。ホームページの完成を大きな一歩と捉え、次なる行動を起こしました。
実はその頃、僕は、まだ見ぬお客様に天然車えび料理の真価を知っていただくため、自ら福岡県まで足を運びました。なぜ福岡だったのか。それは、当時の僕にとって福岡こそが、都会的な洗練されたイメージを持つ、情報発信の中心地だと考えていたからです。天然車えび料理がどのようなものか、その魅力、こだわり、そして真の美味しさを、直接お伝えするためです。約1ヶ月に3回、福岡県や福岡市の新聞社に足しげく通い、それを3年間にわたって、つまり36回も続けた結果、ようやくお客様の目に留まり始めました。それはもう、「仕事どころではない」と感じるほどの、全身全霊を傾けた活動でした。朝一番で福岡へ向かい、夜遅くに秋穂へ戻ってきても、翌日からは通常通りうすい山荘の仕事に休むことなく励みました。でも、不思議と疲れた感はありませんでした。その情熱は、博隆自身の若さからくるものだったのかもしれません。
そうした中で、僕はある日ひらめいたんです。「この情熱と天然車えびの真髄を伝えるには、直接、大手新聞社に訴えかけるしかない」と。そこで僕は母に、この熱い思いを綴った一通の手紙を託し、大都市・福岡県福岡市に本社を置く「西日本新聞」へと送ってもらいました。
この手紙が、思いもよらない奇跡を引き起こします。なんと、福岡の西日本新聞本社の「上の人」の目に母の手紙が留まり、そこから山口県にある西日本新聞が具体的に動き始めたんです。そして、僕たちの「うすい山荘」を全面的に紹介してくださったのが、当時、元福岡県知事を務められた「吉田記者」だったんです。吉田記者は本当に凄い方でした。新聞を開くと、まさに1ページすべてを使い、うすい山荘の記事を書き上げてくださったんです。
この出来事を通じて、僕は確信しました。新聞社の人々は、ただ情報を見るだけでなく、「人間を見る目」を持っていたのだと。臼井博隆の天然車えび料理にかける情熱と、うすい山荘に流れる本質を、彼らは見抜いてくれたのです。これは、小さな田舎の料理店にとっては、まさに夢のような出来事でした。
ホームページを通じて、そしてこの一面記事を通じて、「うすい山荘」への問い合わせが全国から殺到しました。これまで全く接点のなかった多くの方々が、僕たちの天然車えび料理に興味を持ってくださったんです。
この予想だにしない反響は、さらに大きな波紋を広げます。朝日新聞、毎日新聞、各スポーツ紙全紙――日本を代表するすべての新聞社が、臼井博隆たちの「うすい山荘」に協力してくれたんです。そして、その反響の大きさから、なんと朝日新聞社から発行された書籍に、うすい山荘の記事が掲載されることになったんです。これは本当に凄い事が起きた現象です。
ホームページと新聞記事、そして書籍という、様々な活字メディアの力によって、「うすい山荘」は一躍全国的な注目を集めることになりました。特に印象的だったのは、福岡県の食の玄関口ともいえる博多駅のコンコースに、活き車えびの水槽が特別に展示され、たくさんの車えびが悠々と泳いでいるのを見た時です。これには本当に驚きました。「まさか、ここまで福岡県の方々がしてくれるとは!」と。この光景は、まさに「活き車えびの一大社会現象」が地域に深く根付いた証でした。大手旅行会社JTBとの提携も実現するなど、まさに「車えびの社会現象」ともいえる広がりを見せました。
天然車えびへの揺るぎないこだわりと、供給の現実
この「うすい山荘現象」は、単なるお店のブームに留まりませんでした。僕たちの天然車えびへの需要があまりにも高まったため、市場に大きな影響を与え、あの東京に送られるはずだった車えびが、問屋さんから手に入らなくなるほどでした。これはまさに、「うすい山荘」が巻き起こした、一大社会現象に他なりません。
でも、天然車えびを扱う上で、僕たちは常に現実的な課題に直面しています。山口県秋穂という場所が「田舎」であることから、「いつでも予約なしで食べられる」と思われているお客様もいらっしゃいます。営業時間外にも関わらず、直接いらっしゃるお客様がいるほどです。でも、うすい山荘の天然車えび料理は、毎朝、最高の天然車えびを厳選し、活きた状態で仕込みを行うため、ご提供できる数には限りがあります。これ以上は物理的に不可能なのです。天然車えびは、海の天候に左右されるため、簡単には安定して獲れるものではありません。ご期待に応えたい一心ではありますが、こればかりは自然の恵みに委ねるしかありません。その日の最高の状態で獲れた天然車えびだけを厳選してご提供するため、ご理解をいただくしかありませんでした。このことが示すように、天然車えび料理は、まさに「一期一会」の特別なものなんです。
博隆の目標は、この秋穂の地から、「天然車えび料理」の真の美味しさを日本全国の市民の皆さんにお届けすることです。そして、その先には、この「天然車えび料理」を世界に発信する、という壮大な目標があります。なぜこれほどまでに「天然車えび」にこだわるのか。それは、天然車えびの美味しさが養殖とは比べ物にならないからです。その身の締まり、豊かな甘み、そして独特の香りは、まさに自然が育んだ最高の芸術品。この感動を、一人でも多くの方に味わっていただきたいと心から願っています。
次回は、臼井博隆が料理に込める「信念」、そして「うすい山荘の変わらない味」の真髄について、さらに深くお話しできればと思います。
うすい山荘 2代目当主 臼井博隆
皆様、こんにちは。「天然車えび料理専門うすい山荘」当主、臼井博隆でございます。
このブログでは、私がこれまで歩んできた道、そして「うすい山荘」に流れる歴史の物語を、皆様にお伝えしていきたいと存じます。
臼井家の始まりは1300年前、桓武天皇皇族から
私の家系は、今からおよそ1300年前、日本の歴史の礎を築いた第50代「桓武天皇皇族」にルーツを持ちます。
そこから「千葉一族」へと繋がり、やがて「臼井一族」として、この山口県秋穂の地に根を下ろしました。
遠く千葉県佐倉市には、490年もの歴史を持つ「臼井城」の跡が今も残されています。
私の祖先は、武士としてこの地(臼井城)を守り抜きました。また、私の家系は「臼井家医学系」として400年もの間、医学を代々受け継ぎ、地域の人々の命を支えてきたと聞いております。ただひたすらに、我が家の使命と本質を追求する。その質実剛健な精神は、私の中に今も深く息づいております。
臼井博隆27歳、人生の転換点 ~天然車えび料理を全国へ~
私の人生において、1955年2月15日生まれの私が27歳(1982年頃)を迎えた時は、まさに運命の分かれ道でした。それまでの道筋が大きく変わり、私は母・涼子と共に「うすい山荘」の経営という、人生を賭けた新たな挑戦に踏み出すことになったのです。
当時の「天然車えび料理」は、まだ世間にほとんど知られていませんでした。お客様にその魅力を伝えるにはどうすれば良いのか。手探りの日々、苦労の連続でした。しかし、私と母は、決して後ろを振り返りませんでした。「これでもか」というほどのプラス思考で、ただひたすら、本物の車えびの美味しさをお届けすることに情熱を燃やし続けました。
うすい山荘ホームページ制作もまた、容易な道ではありませんでした。
私は5歳からのどもりを抱え、話すことが普通とは違うため、自身の思いやこだわりを正確に伝えるには、言葉にならないほどの苦労が伴いました。
しかし、最高のものを届けたい一心で、広島、大阪、東京、北海道、熊本など、全国各地のクリエイターや関係者の皆様と連携し、時には困難な状況を乗り越えながら、渾身のホームページを作り上げていったのです。それが、今皆様にご覧いただいている「うすい山荘」のホームページでございます。
そして、その努力が実を結びます。私は母に「九州の大手新聞社に、うすい山荘の熱い思いを手紙に書いて送ってほしい」と頼みました。この一通の手紙が、私たちの運命を大きく変えることになります。それが福岡県福岡市の西日本新聞本社の目に留まり、なんと新聞全面記事として掲載されたのです。
この予想だにしない反響を皮切りに、朝日新聞、毎日新聞、そして各スポーツ紙全紙が、異例中の異例である3年間もの掲載という形で、うすい山荘を取り上げてくれました。
これにより、福岡県の食通がこの山口市秋穂まで足を運んでくださるようになりました。さらには、博多駅のコンコースに活き車えびが泳ぐ水槽が特別展示され、大手旅行会社JTBとの提携も実現するなど、まさに「車えびの社会現象」ともいえる広がりを見せました。
この瞬間こそ、臼井博隆が天然車えび料理を世に発信し、全国に広め、その歴史を築き上げた始まりでございます。私たちは、まさに天然車えび料理の真髄を極めた店として、その名を全国に知らしめることができたのです。
変わらない味、そして私という人間
私は、5歳からのどもりを抱え、話すことが普通とは違います。電話に出る際も、言葉を紡ぐには独特の時間とリズムが必要ですが、その一つ一つの言葉には、お客様への偽りのない真心を込めております。これは、「強い人間になりたい」という私の願いと深く結びついております。私はその分、行動や存在で伝え、心の内を表現することに全力を注いでまいりました。
私の親族には、香月泰男画伯や小林画伯といった、日本を代表する芸術家たちがおります。彼らが目に見えないものを絵画として表現するように、私もまた、言葉を超えた形で、常に本質を追求しております。来年には、叔父である香月画伯の人生を描いた映画が公開される予定です。これもまた、我が家系が持つ表現への情熱の一端と言えるでしょう。
試練と、それでも守り続けるもの
近年、私は膝や股関節の大手術を立て続けに経験し、ボルトが入るなど、大変な痛みに耐えてきました。しかし、どんな困難があろうとも、「うすい山荘の味」だけは、53年間変わることなく守り続けております。これは、お客様への誓いであり、私と母が築き上げた誇り、そしてこの家に代々受け継がれてきた精神そのものです。
私たちは、特定の組織に頼ることなく、これからも「うすい山荘」独自の道を歩んでまいります。真の価値は、待っているだけでは伝わりません。私たちは、この「変わらない味」と「唯一無二の物語」を、これからもお客様に直接お届けしてまいります。
このブログを通じて、皆様とうすい山荘の深い世界を共有できることを楽しみにしております。
うすい山荘 当主 臼井博隆
🦐 明日27日(日)やってます!うすい山荘で「天然車えび」をどうぞ
朝11:00~営業しています。
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