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車えび料理専門 うすい山荘

昭和48年創業以来、県内外からのリピーターも多く
ご満足して頂ける事と思います。
TEL083-984-2426

【皇族の血脈と千百年物語】臼井博隆が築き上げた唯一無二の「車えびうすい山荘ブランド」の真実。

2025-07-22 20:05:20 | 1,100年歴史臼井博隆
山口県秋穂の地で、稀代の「食の開拓者」としてその名を轟かせている臼井博隆。彼が営む**『うすい山荘』は、まさに「車えび料理」の真髄を極めた場所**です。そこには、遥か千百年を遡る壮大な歴史の物語と、一族の魂、そして当主の並々ならぬ情熱が凝縮された、唯一無二の「車えびブランド」が息づいています。
この場所でのひとときは、まさに歴史の重みと、臼井博隆の不屈の精神、そして深い人間性が織りなす、特別な体験となるでしょう。
壱ノ章:皇族から武家へ――日本の歴史を動かした千百年の系譜
臼井一族の最も古い源流は、日本の歴史において重要な転換点となった第50代桓武天皇(在位:781年 - 806年)にまで遡ります。平安京への遷都を行い、律令国家体制の確立に尽力された桓武天皇の皇子、葛原親王の子孫が臣籍降下し「平」姓を賜ったことで、後の武家名門である桓武平氏の礎が築かれました。
この桓武平氏の系譜は、鎌倉幕府の創設に貢献した武家名門「千葉氏」へと繋がります。千葉氏の一族は、下総国(現在の千葉県北部)を拠点とし、その勢力を広げました。
そして、この千葉氏から分かれた有力な一族こそが、当主の姓である「臼井氏」です。臼井氏の初代当主は、永久2年(1114年)に下総国臼井庄を領して以来、「臼井」を称しました。臼井氏は千葉一族の中でも椎名氏、相馬氏、大須賀氏などの有力支族よりも古い歴史を持つ、最古の分家にあたります。
彼らは、自らの本拠地として印旛郡臼井庄に**『臼井城』を築き上げ、およそ450年間にわたり、その地域を治める実質的な領主・城主**として栄えました。臼井城は初代から16代にわたり続きました。特に、永禄9年(1566年)に「軍神」と称された上杉謙信が初めて野戦で敗北を喫した「臼井城の戦い」は、臼井一族がいかに強固な勢力であったかを物語っています。
また、臼井城15代当主 臼井邦胤(くにたね)の妻は、北条氏直の妹にあたる北条氏政の娘(芳桂院殿)であり、これは臼井一族が戦国時代において、関東の有力大名である北条氏とも姻戚関係を結ぶほどの重要な存在であったことを示しています。
弐ノ章:武から医、そして芸術へ――才能と適応の系譜
戦国の世が終わり、臼井城が廃城となった後、臼井一族は新たな道を切り拓きます。
* 「武」から「医」への転身と山口県秋穂への移住:
臼井一族の一部は医業へと転じ、1530年には福岡県で「臼井医院」を開業。驚くべきことに、臼井家、彼らは当時、中国地方を支配した戦国大名である毛利元就の「抱え医師」を務めるほどの、高い医学的知識と絶大な信頼を得ていました。
その後、臼井家は西暦1623年に山口県山口市秋穂へ移住。この医業の伝統は、秋穂の地で11代目まで、実に約400年間もの長きにわたり代々受け継がれ、地域医療に貢献し続けました。
特に、「臼井家3人衆」として知られる、9代目の海蔵(かいぞう)氏、10代目の隆助(りゅうすけ)氏、そしてお母様の父である11代目の卓爾(たくじ)氏は、その中でも「凄い人物でる隆助氏」であったと、博隆様は今になって深く感じ入っています。博隆様は彼ら3人の大人物の人生を振り返り、「今になって博隆より分かること、秋穂を愛し先祖を大切にしていることが分かる」と語ります。
そして、臼井家12代目が**『うすい山荘』の初代経営者として新たな歴史を刻み、現在の当主・臼井博隆様は、秋穂に移住してからの13代目**にあたります。

うすい山荘、創業53年.
* 芸術との深い繋がり: 臼井一族は、日本の近現代美術史にも深く関わります。

世界で「シベリア・シリーズ」で知られる日本を代表する洋画家、香月泰男画伯は、当主・臼井博隆様の義理の叔父にあたります。

また、日本画壇の巨匠、梅原龍三郎の弟子である小林和作画伯とは、臼井氏の初代1923年.先祖から続く古くからの繋がりがあり、血縁関係も持つ存在です。
武、医、信仰、そして芸術――。臼井一族は、時代や逆境に応じてその才覚と精神性を形変えながらも、常に本質を見据え、脈々と歴史を紡いできました。
参ノ章:そして現代へ――唯一無二の「車えびブランド」『うすい山荘』と臼井博隆、今ここにあり
そして今、この千百年にもわたる壮大な歴史と、変化を恐れず新たな価値を創造する一族の精神を、山口県秋穂の地で直接受け継ぎ、体現しているのが、『うすい山荘』の当主、臼井博隆様です。博隆様は、まさに現代における臼井一族、臼井家の顔であり、その全てを体現する極めて重要な立場に今ここにいます。
* 『うすい山荘』の名に込められた二つの想い
当館の名称『うすい山荘』には、深い意味が込められています。
* 「うすい」: ひらがなで表記される「うすい」には、「日本人が最初に覚えるひらがな文字」という親しみやすさ、優しさ、そしてお客様に寄り添う**おもてなしの「原点」**を大切にする当主・臼井博隆の細やかな心遣いが表されています。深い歴史を持つ「臼井」の重厚さを背景に持ちつつも、決して敷居を高くせず、誰もが心安らぐ宿でありたいという願いが込められています。
* 「山荘」: この部分は、博隆様の父である**初代経営者(臼井家12代目)**が名付けました。秋穂の豊かな自然の中で、心からの安らぎと非日常の癒しをお客様に提供したいという、自然との調和を重視した初代の理念が今も受け継がれています。
* 人生を変えた出会い――「悔しさ」を情熱に変えた「食の開拓者」
臼井博隆は、単に歴史を継承するだけでなく、自らの手で新たな歴史を築きました。
* 吃音という試練と「七感」の覚醒:
幼少期の5歳で吃音(どもり)を発症し、言葉が思うように出ないという苦悩を経験。伝えたいことが伝わらない**「言葉にならない悔しさ」は、彼の心に深く刻まれました。しかし、この困難は、言葉の代わりに「七感」**と呼ぶべき稀有な能力を研ぎ澄ませる契機となったのです。
彼は、**食材を見ただけで、その日の車えびの最適な味付け方法が「自分の目で分かる」**と語ります。また、**味付けの順番が味を変える理由を「その人自身のその日の性格が出るから」**だと知る、深い洞察力を持っています。
これは、技術や感覚を超え、料理人の精神性が味に宿ることを知る、研ぎ澄まされた感性の証です。
博隆は断言します。
「うすい山荘は車えび料理。そして、どこにもない料理を作る人は臼井博隆ただひとりです。」
この言葉には、長年の研鑽と、自身の感性に対する絶対的な自信が込められています。
* 臼井博隆人生27歳の転機と西日本新聞社本社への直接訪問――唯一無二の「車えびブランド」『うすい山荘』は今ここにあり。
『うすい山荘』は、単に秋穂で車えび料理を提供すれば良いという安易なものではありませんでした。
臼井家として、そして当主である臼井博隆様ご自身が、車えび料理の真価を全国に広めたいという揺るぎない信念と熱い情熱を持っていました。
その強い使命感を形にするため、臼井博隆は27歳の時、人生を賭けた大きな一歩を踏み出します。**当時、言葉の壁という大きなハンディキャップを抱えながらも、誰の力も借りず、**自ら福岡県福岡市の西日本新聞社本社へ直接赴いたのです。**何の伝手もない中、秋穂の車えびの類まれな魅力と、その料理にかける自身の揺るぎない想いを、全身全霊で新聞社に訴えました。そこには、幼い頃からの「言葉にならない悔しさ」を原動力とする、並々ならぬ執念と情熱がありました。
この西日本新聞社本社での行動が、彼の人生を大きく変える運命的な転機となりました。そこで彼が巡り合ったのは、
後に元福岡県知事も務めた吉田記者でした。吉田記者は博隆の圧倒的な情熱と秋穂の車えびの魅力を深く理解し、
その記事を、1ページの大きさは通常テレビ欄が半ページの大きさである新聞において、「新聞1ページ」という異例の広さで掲載してくれたのです。それも、日曜日版この新聞1ページへの掲載は、福岡県民をはじめとする多くの方々が『うすい山荘』の存在を知る決定的なきっかけとなり、博隆の人生、そして秋穂の車えびの未来にとって計り知れない価値をもたらしました。
博隆は、この西日本新聞社本社、そして吉田記者への深い感謝を今も忘れません。彼の行動は、常に胸に刻む「絶対に何があろうとも後ろを振り向かないで下さい」という言葉の具現化でした。
そして、**今からさかのぼること53年前の昭和48年(1973年)、車えび料理専門の『うすい山荘』がこの地 秋穂に誕生しました。まさに『うすい山荘』こそが、臼井博隆という一人の人間が自らの足で切り拓き、日本における車えび料理を「ブランド」として確立し、全国にその価値を発信した、紛れもない「発信源」であり「発祥の地」なのです。**この功績は、幼き日の悔しさをバネに、「山口県いや全国、ひいては世界一に車えび料理を広める」という壮大な意欲の結実だったのです。
**この唯一無二の「車えびブランドうすい山荘」を築き上げた人物、臼井博隆は、今ここにあります。**その情熱は53年前と変わることなく、今もお客様の一皿一皿に込められています。
* 内なる問いかけと精神性の深化:人生は「正」の哲学で満たされる
臼井博隆は、常に自身の内面と向き合い、高みを目指し続けています。彼の人生は、常に「正の側面」を見つめ、どんな経験も糧とする、揺るぎない肯定の哲学に貫かれています。
* 故き実兄の言葉: 他界されたお兄様が遺した**「博隆辛い日がある、博隆悲しい日がある、博隆人生に負けるな。それに負けてはいけない、博隆は男である、強く生きなさい。」**という言葉は、彼の人生における最も強固な支えであり、精神的な原動力となっています。
* 自己への問いかけと実践: 彼は**「人間は弱いだが、本当に強くなった自身を見なさい。」と常に自分自身に問いかけます。この問いかけは、言葉に出さない静かな自己対話の中で、彼が真に強くなるための道標であり、「ひとつひとつ、大事だよ。落ち着いて行動すれば、あなたなら必ずできます。」**という信念に繋がっています。
* 瞑想と感謝の実践: 博隆は、**「瞑想の時間を持ちなさい。願いは必ず叶う。落ち着く事は、大事だよ。目を閉じて深呼吸をしてみるといいでしょう。」という内なる声に耳を傾け、冷静な自己対話を通じて真理を見出します。そして、日々の仕事前には必ず先祖を拝み、「先祖に感謝しています。いつもありがとう、感謝の言葉が必要です。」**と、その存在への深い感謝を捧げます。
* 日々の感謝と労い、そして言葉の力: どんなに多忙な毎日であっても、仕事が終わった後には、共に歩むかけがえのない存在と決まって**「今日ありがとう」という感謝の言葉を口にします。また、夕食後には「美味しかったよ」と、日々の食事への感謝と労いの言葉を欠かしません。そして、博隆はこう語ります。「一日の始まり、朝起きて、おはようって言って下さい。人生かわります。」**こうした何気ない日々の会話と、言葉の力への確信の中にこそ、博隆様の人間としての温かさと、感謝を忘れない心が宿っています。
* **「親から子へ、先祖の話聞く時は、黙って聞きなさい。」**このお母様から受け継がれた言葉は、博隆様がご自身のルーツ、そしてご先祖様方が築き上げた歴史を深く理解する上で、最も大切な教えです。言葉少なに、しかしその奥深さを行間で伝える博隆様の在り方そのものが、この教えを体現しているのです。
博隆は、この揺るぎない心の姿勢を胸に、**「毎日仕事、感謝、先祖があって、今の臼井博隆がいる。」**と語ります。彼にとって、日々の精進、全ての出会いへの感謝、
そして千百年を超える先祖からの繋がりこそが、現在の自分を形作り、未来を拓く礎となっているのです。
* 不屈の意志:試練を乗り越え続ける料理人の魂
博隆の人生には、実に様々な試練がありました。しかし、彼は常に不屈の精神で立ち向かい続けています。
2年前には、左側の股関節を骨折するという大怪我に見舞われました。左半身の足と手が動かないという状況から、手術を経て、奇跡的に左手が動き始め、回復の道を歩んでこられました。その困難な道のりには、常に彼のそばで支え、回復を信じ続けた存在がありました。現在も股関節にはボルトが入っていますが、彼はその痛みに向き合いながらも、料理への情熱を決して失うことはありません。この経験は、博隆が「臼井博隆人生に負けない」という誓いを胸に、日々、料理と真摯に向き合う強さを一層深めた証です。
【ご来店のお客様へ】ご予約と料理提供についてのお願い
『うすい山荘』では、お客様一人ひとりに最高の体験をお届けするため、心を込めておもてなしをしております。
おかげさまで多くのお客様にご愛顧いただいており、特に週末や連休、観光シーズンには大変混み合います。
ご予約なしでご来店の場合、満席のためお席にご案内できないことがございます。
これは、お近くにお住まいの方、遠方からお越しの方、皆様に共通してお願いしたい大切な点です。
せっかくお越しいただいたにも関わらず、お帰りいただくことになってしまうのは、私たちにとっても大変心苦しいことです。
スムーズなご案内と、心ゆくまでお料理をお楽しみいただくためにも、必ずご来店の際は必ず事前のご予約をお願いいたします。
ご予約・お問い合わせはこちら
皆様のご来店を心よりお待ちしております。
予約・お問い合わせ電話番号:
083-984-2426
営業時間:
* 昼の部: 11:00 ~ 14:00 まで(ラストオーダー 13:30 まで)
* 夜の部: 17:00 ~ 21:00 まで(夜の部はご予約のお客様のみとさせていただきます)
結び:歴史と人間性が織りなす「車えびうすい山荘ブランド」の唯一無二の価値
**「車えびうすい山荘ブランド」は、車えび料理の店ではありません。
それは、千百年もの時を超え、皇族の血を引く武家から医家、信仰、芸術へと多岐にわたる**「臼井一族」**の壮大な歴史を体現する場所です。
そして同時に、当主・臼井博隆が、幼い日の困難と真摯に向き合い、「七感」という天賦の才を駆使し、その人生をかけて「味と記憶」を紡ぎ続ける**「臼井家」**の物語が息づく場所でもあります。
博隆の人生には、実に様々なことがありました。幼き日の吃音、故き兄の言葉、そして今もボルトの入る股関節の怪我。しかし、彼は自らに課した旗を、決して下ろすことはありません。
「車えび料理は、臼井博隆の人生そのものです。」
日本人の繊細な味覚に合わせた伝統の味から、時には海外の感性を取り入れた新たな挑戦まで、彼が生み出す一皿一皿には、その全てが凝縮されています。博隆の人生は、まだまだこれからです。
山口の豊かな自然に抱かれたこの地は、都会の喧騒とは無縁の静寂と、本物の価値を求めるお客様にとって、まさに特別な隠れ家です。博隆が語るように、**
「山口県山口市の田舎だからこそ、この極上の車えび料理は可能となる」のです。
ここでは、都会では味わえない「落ち着いた時間がゆっくりと過ぎる」贅沢を、心ゆくまでご堪能いただけます。この唯一無二の価値こそが、『うすい山荘』**が未来へ続くための礎であり、博隆と妻が共に築き上げる、持続可能な繁栄への道なのです。

ぜひ一度、うすい山荘にて、この千百年の歴史と、比類なき「魂の料理」、そして心安らぐ時間をご堪能ください。

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