車えび料理専門 うすい山荘

昭和48年創業以来、県内外からのリピーターも多く
ご満足して頂ける事と思います。
TEL083-984-2426

11時からの営業とし、お客様、3組~4組までとさせていただきます。

2021-03-24 18:43:54 | 食事処、天然車えび料理専門、うすい山荘、創業50年。


昼のみの営業として夜はお休みさせていただきます。
11時から14時迄の営業とし、お客様、3組~4組までとさせていただきます。
お客様1組、おひとりさま~4名さまとさせて頂きます。
組数に達した場合は、昼の時間14時前でも営業を終了させていただきます。

うすい山荘の当主、臼井博隆は、
千葉から臼井へ
千葉氏の項で説明したように、千葉氏の始まりについては様々な説があるが、一般的に租は平良文ということになっている。ところが、上記の臼井氏の由来記によれば、臼井氏(千葉氏)の元祖は良文の兄である良兼であり、良兼の孫が致頼(むねより)、致頼の孫が忠常ということになっている。良兼の妻が菅原道真の娘であったかどうかは他に資料がないが、道真公(菅公)との血統的つながりを願って後孫が作った話であろうか。しかし千葉氏の租を良兼とする説もあるから真実はわからない。その後も臼井氏が自他共に道真公との縁を意識しているのを見れば、何らかの関係があったことは事実だろう。

臼井常安又は常康(臼井家初代)桓武天皇第11代の後裔
臼井の名は常安の代に現在の千葉県印旛沼の近くの臼井庄を領したところから始まった。臼井の地名は現在も残っており、常安は1114年(永久2年)にここに居を構えたという。

源頼朝と臼井氏──筑前国碓井荘を受領するまで
臼井氏は千葉介・上総介などとともに頼朝に仕えた。頼朝の挙兵時は勿論、その後の平氏追討の時も西国に転戦し、又奥州の戦にも参戦している。

1180年の頼朝挙兵以来、政権確立へ向けて戦が続いたが、1184年(寿永3年)一ノ谷の合戦で勝利すると、頼朝の優勢は不動のものとなった。頼朝は腹違いの弟範頼(のりより)を大将に立て九州の豪族達を組み込み、四国にいる平氏を討伐するよう命じたので、千葉一族も範頼に従って西国に出兵した。 しかし、もともと九州四国は平家の地盤であったため、四国から九州に渡る船を確保するにも難儀し、九州を固めるのも容易ではなかった。遠征は困難を極め、帰還を願う者達も多くなるばかりであった。一方この頃までにはかつて平家方であった者たちの中にも、平家の独裁に対して不満を持つ者たちもかなり多くいた。 範頼はその者たちの手を借りて、どうにか軍勢を九州に上陸させた。これを期に東から義経率いる軍勢が押し寄せる。平家は逃げ場を失って壇ノ浦で滅んだ。

『臼井氏系圖』には臼井常安が「文治の頃源頼朝に随い勲功有り文治3年(1187年)筑前国嘉麻郡馬見荘、碓井荘500町を賜る」と書かれている。 千葉氏とともに奮戦した功績を認められてのことと思われる。この時常安は元々の所領であった千葉臼井荘と同じ名前の領地を得て喜んだという話である。

天然車えび料理専門
うすい山荘、臼井博隆
電話 083-984-2426

うすい山荘は、毎日11時からの営業とし、昼の営業とし、お客様、3組~4組までとさせていただきます。

2021-03-23 21:52:38 | 食事処、天然車えび料理専門、うすい山荘、創業50年。


しばらく昼のみの営業として夜はお休みさせていただきます。
毎日11時からの営業とし、お客様、3組~4組までとさせていただきます。
組数に達した場合は、昼の時間14時前でも営業を終了させていただきます。
お客さまには出来るだけお待たせせずに、完全個室で快適にうすい山荘自慢の天然車えび料理をご賞味いただきたく思っておりますので、お早めのご予約をお願いいたします。天然車えび料理専門うすい山荘では、天然の車えびにこだわっておりますので、季節や時期により、若干サイズの大小がございます。

定休日
3月 31日、
4月 不定休
5月 18日から、しばらくの間、お休みさせて頂きます。

天然車えびは、
味の濃さは勿論、深み甘み旨みが有ります
天然の車えびは陸から30km沖の方で、海底が砂地のすり鉢状で車えびが取れます。

うすい山荘の当主、臼井博隆は、
臼井氏は本姓は千葉といい平氏である。祖先は桓武天皇から出た天皇の御子 葛原親王(かずらわらしんのう)である。葛原親王は四品に叙して式部卿となった。 葛原親王の子は高見、孫は高望という。高望は平氏の姓を賜り上総介となる。 高望には四人の子があって、國香・良将・良兼・良文といったが、武士となって東門守介或いは鎮守府将軍を任ぜられる。 國香の子は貞盛、良将の子は将門である。

良兼は上総介であり、すなわち 臼井家の元祖である。良兼の妻は右大臣菅原道真公の娘で道真公左遷の時 父を慕って播州まで後を追った。曽根相公はその孝に感心し、道真公の画像を 写して娘に授けたという。これが千葉家より臼井家に伝わっている。

良兼の孫は致頼(むねより)平太夫と号して下総国千葉に住んだので千葉姓を名乗った。 致頼は勇敢で平貞盛の子維衡(これひら)・源頼信・藤原保昌(やすまさ)らとともに四天王と称された。

致頼の孫、忠常千葉前上総介は長元元年に乱を起して討伐軍と戦うが、後に源頼信に降伏した。忠常の曽孫常兼従五位下上総介の三男常安(常康)は千葉六郎と号し長寛二年総州臼井を領し臼井六郎と改めた。これを臼井姓の始めとする。

菅原道真公の画像を伝えて常にこれを崇拝し、筑紫を慕うこと切である。源頼朝は覇府を鎌倉に開き、常安の忠勤に報いて筑前国嘉麻郡馬見庄・臼井庄を合わせ五百町を与えた。これより臼井兵衛尉(ひょうえのじょう)と号し、後に次郎左衛門と改めた。これより前常安は総州臼井を領していたが、同名の地を筑前に得たのは奇遇とはいえ道真公の神霊の加護であろうか。

平常安の子、常則も又次郎左衛門尉という。後鳥羽・須徳両皇は、北条義時を謀って鎌倉を征討しようとする。この時常則は勅命に応じたが、事は成就せず河内国土師(はじ)に幽居した。後に承久三年六月十四日、京都において戦死する。その子実好は領地を義時に没収されて漂泊することとなった。母はこれを嘆いて道真公御影に深く祈り、お告げによって叔父常有と計って一族の下総国千葉胤綱を頼った。胤綱は元の領地上総国臼井に住まわせて、五百貫の地を与えたが、鎌倉をはばかって菅原家の縁により姓を野見と改めさせ、野見六郎と名乗らせた。これは野見宿禰(すくね)から取ったものである。これより数代にわたって野見を名乗る。

天然車えび料理専門
うすい山荘 臼井博隆
電話 083-984-2426



うすい山荘は、明日23日、火曜日、定休日とさせて頂きます。歴史が興味ある方、必見です。

2021-03-22 21:44:17 | 食事処、天然車えび料理専門、うすい山荘、創業50年。


うすい山荘は、明日23日、火曜日、定休日とさせて頂きます。

臼井氏は本姓は千葉といい平氏である。祖先は桓武天皇から出た天皇の御子 葛原親王(かずらわらしんのう)である。葛原親王は四品に叙して式部卿となった。 葛原親王の子は高見、孫は高望という。高望は平氏の姓を賜り上総介となる。 高望には四人の子があって、國香・良将・良兼・良文といったが、武士となって東門守介或いは鎮守府将軍を任ぜられる。 國香の子は貞盛、良将の子は将門である。

良兼は上総介であり、すなわち 臼井家の元祖である。良兼の妻は右大臣菅原道真公の娘で道真公左遷の時 父を慕って播州まで後を追った。曽根相公はその孝に感心し、道真公の画像を 写して娘に授けたという。これが千葉家より臼井家に伝わっている。

良兼の孫は致頼(むねより)平太夫と号して下総国千葉に住んだので千葉姓を名乗った。 致頼は勇敢で平貞盛の子維衡(これひら)・源頼信・藤原保昌(やすまさ)らとともに四天王と称された。

致頼の孫、忠常千葉前上総介は長元元年に乱を起して討伐軍と戦うが、後に源頼信に降伏した。忠常の曽孫常兼従五位下上総介の三男常安(常康)は千葉六郎と号し長寛二年総州臼井を領し臼井六郎と改めた。これを臼井姓の始めとする。

菅原道真公の画像を伝えて常にこれを崇拝し、筑紫を慕うこと切である。源頼朝は覇府を鎌倉に開き、常安の忠勤に報いて筑前国嘉麻郡馬見庄・臼井庄を合わせ五百町を与えた。これより臼井兵衛尉(ひょうえのじょう)と号し、後に次郎左衛門と改めた。これより前常安は総州臼井を領していたが、同名の地を筑前に得たのは奇遇とはいえ道真公の神霊の加護であろうか。

平常安の子、常則も又次郎左衛門尉という。後鳥羽・須徳両皇は、北条義時を謀って鎌倉を征討しようとする。この時常則は勅命に応じたが、事は成就せず河内国土師(はじ)に幽居した。後に承久三年六月十四日、京都において戦死する。その子実好は領地を義時に没収されて漂泊することとなった。母はこれを嘆いて道真公御影に深く祈り、お告げによって叔父常有と計って一族の下総国千葉胤綱を頼った。胤綱は元の領地上総国臼井に住まわせて、五百貫の地を与えたが、鎌倉をはばかって菅原家の縁により姓を野見と改めさせ、野見六郎と名乗らせた。これは野見宿禰(すくね)から取ったものである。これより数代にわたって野見を名乗る。

うすい山荘は、昼のみの営業として、11時~14時迄、夜はお休みさせていただきます。天然車えび料理専門

2021-03-20 18:08:35 | 食事処、天然車えび料理専門、うすい山荘、創業50年。



昼のみの営業として、

11時~14時迄、

夜はお休みさせていただきます。

毎日11時からの営業とし、

お客様3組~4組までとさせていただきます。

組数に達した場合は、

昼の時間、14時前でも営業を終了させていただきます。

3月の定休日は、

23日、火曜日

31日、水曜日

4月の定休日は、

5日、月曜日

12日、月曜日

21日、水曜日

28日、水曜日となりました。

天然車えび料理専門、

うすい山荘



うすい山荘、毎日11時からの営業とし、お客様、3組~4組までとさせていただきます。

2021-03-19 20:44:17 | 食事処、天然車えび料理専門、うすい山荘、創業50年。





しばらく、昼のみの営業として、

11時~14時迄、

夜はお休みさせていただきます。

毎日11時からの営業とし、

お客様3組~4組までとさせていただきます。

組数に達した場合は、

昼の時間14時前でも営業を終了させていただきます。

今月の定休日、

23日、火曜日

31日、水曜日となりました。

店主、お客さまには出来るだけお待たせせずに、

完全個室で快適に、

うすい山荘自慢の天然車えび料理を、

ご賞味いただきたく思っておりますので、

お早めのご予約をお願いいたします。

山口県秋穂の車エビ料理を全国的に有名にしたのは母親、店主・博隆、家内、の3名と自負しております。

家内と私で天然車えびを使った、

ランチ・ビジネスランチ・ちょっと贅沢ランチ・彩りコース・ミニフライコース・ミニ塩焼きコース・ミニフルコース・等々を自ら開発し、

お食事ができるようにうすい山荘で提供を始めました。

おひとり様から4名様まで受付可能です。

事前にお電話にてご確認下さい。

臼井氏は本姓は千葉といい平氏である。

祖先は桓武天皇から出た天皇の御子 葛原親王(かずらわらしんのう)である。

今から、約、1240年前です。

葛原親王は四品に叙して式部卿となった。

葛原親王の子は高見、孫は高望という。

高望は平氏の姓を賜り上総介となる。

高望には四人の子があって、

國香・良将・良兼・良文といったが、

武士となって東門守介或いは鎮守府将軍を任ぜられる。

國香の子は貞盛、良将の子は将門である。

良兼は上総介であり、

すなわち 臼井家の元祖である。

良兼の妻は右大臣菅原道真公の娘で道真公左遷の時 父を慕って播州まで後を追った。

曽根相公はその孝に感心し、

道真公の画像を 写して娘に授けたという。

これが千葉家より臼井家に伝わっている。

天然車えび料理専門、

うすい山荘、臼井 博隆

電話 083-984-2426