ビジネス用語、思考方法や学術用語などのかい摘まんだ情報等はネットに優位性がある。
人に関する情報という場合、基礎的な情報の住所、勤務先、年齢、履歴などは簡単にネットで拾える。
しかし、その人の性格のヒダというその人から受ける微妙なニュアンスとか気の回し方とか怒りのツボとか『感じ取るしかない部分』が全く考慮されない流れはかなりのロスに繋がっている様な気がする。
婚カツとかいう人と人とのマッチングも数量化して示される年収情報がかなりのウエイトを占めている。
例えば失敗し失意の中に在るその人がどんな思考をし悩み方、行動をするか何てのは全く分からない。
その時、怒りっぽくなった姿が子供見たいに見えて、女心が動く人も居れば、成熟してないメンタルにがっかりとなる人も居る。
アナログなお付き合いはそんなのを日々見て感じてから判断する。アナログお付き合いの情報はゆっくりしか取れないが、かなり『深い情報』となるのである。
無数に在る組み合わせ方でその一つの要素が『全く違う結果を招く情報なのだ』ということだ。
オッサン週刊誌が幸せについて特集してた。そこに『カネの限界』についての記述があった。500万を中心とするバンド迄はカネに幸福感は比例する。
そこをカネが越えると返って不幸感を訴える人が増えていく……とあった。
そしてまた状況は同じでも、ソコに居る人の性格や感性によって結果は全く逆の答えを導いたりもするのである。
年収二千万でも二代目のバカ息子も居れば、叩き上げの中卒かも知れない。大会社の重役かも知れない。不動産持ってるだけの凡庸な奴かもしれない。
その出自の違いによって各々が全く違う傾向の人間となる。性格も温厚も居れば短気も居る。ドケチかも知れないし浪費家かも知れない。
結局何が言いたいか?
機器による利便性の飛躍的な発達が、人間本来の『感じ取る力』の出番を恐ろしく減らしてるんじゃない?と言いたかった。
ある婚カツカップルの成れの果てを知ってるけれど……計算から入ってるから
それでも計算から抜けれない。結局経済事情優先して離れられない。
そのどろどろの末期症状を見るにつけ
『生き地獄』だな?と思う。
その計算の遂行に夢中で『失った時間の計算』はしてなかったみたいだ……。
僕の恋愛成就率ってのは『感じ取る事』が最良の方法と実践的検証で答えを得ているんだけどなぁ……。
計算って奴はよく人を見る目を狂わせる。
でもね結局互いの計算によって離合集散って人が圧倒的に多い。
それが良いとか悪いとかじゃなくてである。
経験上思うのは人との付き合いって『計算外の計算』が起こるとき面白いんだけど。
嫌な事を言い合える損得越えた関係じゃなければ味わえないけれど……。
結局……難儀を越えて辿り着いた所でしか味わえないのは登山と似ている。
ソコまでの高さを請け負った者にのみ与えられる特権なんだろうなぁ?
……となるとその高さを共有出来る人間同士はお互い、稀有な交わりを持てる『奇跡の人間同士』なんだなぁ……と。
はてさて……後、そんな人間と何人出会えるんだろう?……。