サンチョパンサの憂鬱

『批判の礼儀』、その『結果を受ける流儀』

ネット正義を掲げて蠢く魑魅魍魎とソレを製造した親達……。
『批判』を『愉快犯の道具に駆使する』歪んだメンタルは……ひたすら害毒、害悪でしかない……。

批判は『批判するに値する自分であるか?』という内省を必要とする。
その自分の正義にかけて主張しなければならない。

『自己責任❗❗❗』と追い込まれてる人間達を一刀両断のもとに批判し切り捨てるのならば……自分が寒風吹き荒ぶ深夜に
コンクリートのビルの一隅で空腹を抱えながら……夜をしのぐ気力体力を証明した上で行わなければならない……。

『ほら?出来るでしょ?』……ってね。

批判を主張するだけして、退けられたなら……批判の鉾は納めなければならない。
悪法も法であると……。
それでも……犠牲者が止まらぬなら……その自らの批判に恥じぬ行動を起こさなければならない。

批判を行うならソコまでの覚悟を決めたい❗……。

ここまで自分達が無責任の口だけの批判で引っ張って作った社会……政府が『人の死を黙殺』するのを当然とするならば……『大人の社会人達』が是正、補助する仕組みを作るしかない❗

一方……言いなりさんでコトなかれ主義を貫いて来た人達は……やがて来る非情なシステムを甘受しなければならない❗という『義務がある』……。
言いなりという信任を与え続けた結果責任である。
そう❗❗ソレが『大人の自己責任』って奴だから……。

自分の案を持たぬ批判……政府発表を真に受けて、酷いのは世論に対して、アンチの為のアンチ表明して存在感をアピールした積もりのご仁達、解説者達。

そんな輩達の共通項は……自らの生活や迫る危険が『その事案の埒外に在るコト』だ。
ネットの殆どはそんな輩達が占有し、言を弄んでる……。

要するに……最低限の人間の品性というモノ、感性というモノをスコーンと欠落させてしまい、何処かに失った方々達なのである……。

『雇い止め』の一言で路上にある人達には窮状を訴える手段さえない。

ソレを『見て見ぬ振り』が出来る人達が……自分に無害な言いなりさんとなり、瞬間いい気持ちの批判者となって酔いしれている……。


名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「日記」カテゴリーもっと見る