サンチョパンサの憂鬱

昼下がりのサンチョパンサ(2)…『受けて立つ』以前の領域に暮らす人達…

純粋な仕事の技術的テーマ、成果的問題より以前の人的障害・軋轢と対峙することにエネルギーの大半を消費・消耗して僕は生きて来た?と言って良いと思う……。

逆に言えば……世の中の大人達が口にする『仕事の大変さ?』というものに対する実感は殆ど無い。
正直な所……『ソレってホントに大変?』と感じてしまうのである。

ギャンブル依存症に陥った同僚だった人間の金銭的横領による内外に対する被害の問題もさることながら……ソレに付随して発生する『信用問題』への対処は消耗しかない…虚しいものだった。

たから……仕事に専念出来る時は自分はパラダイス、楽園に過ごしていると感じる様な楽しい瞬間だったのである。

模型作りが趣味の人が……細密な部品を四苦八苦して組み立てる時……無上の喜びを感じている様に……あーだこーだと商品の企画、販売に熱中している時……僕はとても幸せだと感じたのだった……。

表現が合っているか?分からないけれど?

『辞めず、休まず、働かず』的に日々を送ってる『安定的職業?』とされる仕事を生業(なりわい)に生きている人を観るとき……僕はとても哀しい気分になる。

そんな人達は、辛い!と『嘆いている?』んじゃなく『嘆いて見せている?』のが透けて見えるからである。

終わりが見えない?徒労にしかならぬ問題の渦中で足掻き、もがいた経験。

尽きぬ悩みと向き合いながら、やっと迎える一日の終わり。
また明日からの悩みのみの時間を自分に言い聞かせて泥の様な眠りに付く瞬間の刹那の安堵。

その繰り返しこそが僕をいつの間にか『悩む名人』にしてくれたのである。
問題解決?云々より……先ずは『正面から悩んでいる時間』が自分に対する『安心感・信頼感』を育む事を知った。


昨夜……友人の高校教師と話した。

『悩んでいる自分』は安心出来る。と同時にとても楽しい時間を生きていると実感すると彼は言った。怖いのは『悩まなくなる・悩めなくなる自分』だと……。


今、世の中、イッパシの大人達が……今の自分でも『簡単に出来ることしかしなくなった』……。

ホントに楽しいのは『出来るか?出来ないか?』分からない、保証がないレベルにチャレンジする時なのにね?……。

『悩みもない、障害もないレベル』を弄びながら……『大変だ大変だと他人に演技して見せること』に夢中になっているよね?

そりゃ?楽だろう?しかし絶対に楽しくはない。だからそんな人間達は何時も寂しそうな顔をしている?

ここんとこ三十年……世の中上げて若い人間達から『悩みのタネを取り上げてきた』のだと僕は言った。

『悩みのプロセスより答ばかり』を先回りしては与えて来た……。
詰まらない答、結果なんてどうでも良いのに。
ソコに至るまでの難解なプロセスにしかワクワク、ドキドキのゲーム性はないのにね……と。

昨日より美味しい果実を!と未踏の山を流離(さすら)う猿は美しい……。
エサを与えられる事に慣れ堕落した猿はひたすら哀しくみすぼらしい。
悩めない者は、猿だって弱体化の一途を辿るのみなのである。


♪〜♫……THE BLUE HEARTS『リンダリンダ』の一節

♪……ドブネズミみたいに 美しくなりたい……♫

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