しかし往々にして観念的にだけど。
日常の中にその転換点を見出だす事は至難の技だけど……時として自分の心身を通してハッ!と気付かされる時がある。
『もう終わりだ!』等と嘆いて見せて自分を慰めてる間に状況はオセロの様に移り変わり!……何てこともある。
そんなレベルの事なら実際何度もあった。
人への接し方一つ、自己利得オンリーで些末な一事に過大な反応で主張するなんてシーンをよく目にする。
実際……ソレが今の世情であり、僕もそんなの演ったかも知れないなぁ?……。
今…少し眼前の事象の凝視を止めて、俯瞰のポジションから観察する姿勢が有効な気がする……。
起きている事には酷く過去的な事もあり、近未来的な模索もありアカラサマな今直ぐっていう欲得の活動も入り雑じってひどく混沌としているから……。
今、『止まる事』ってとても大事だと思う……。
頭も身体も心も……。
根拠の無い不安にせっつかれて外に出せない縺れたメンタルの堂々巡りを止まって全体を眺めて見ること……。
前編で完璧な演技で人間関係をこなした上で行き詰まり……ある日突然?周囲にはその理由が判然としないまま自殺という若者達が急増していることについて書いた。
せめて……人に責め立てられて見よう。
そのシーンには他者が居るのである。
なんであれ『対人』の実感こそが大切。
自分と他者との生身の関わり……諸行無常の取っ掛かりを得られるかも知れない。
人は……変わりたくなくても変わっていく。変えられていく、宇宙の流れによって……。
諸行無常……有転変為が掟の宇宙……。
ソコに住む人間の究極の人工的先回り……ソレが自死。
自分まで騙そうと笑ってる人の心の中の哀しみ、苦しみ、絶望……いくばくかでも感知出来る人間になりたい。
ほんの僅か、ほんの一部で良いから……。
その人と同じ痛み、哀しみを共有・共感することで……一瞬の自分の人生でそのまた一瞬の時間『人と共に在ること』が実現するんだと思うから……。