死を予感させる病気とか?コレをクリアしなきゃ路頭に迷うことになる状況とか……そこから七転八倒を繰り返しやっとの思いで平穏な世界に帰ってきた?そんな人は理屈抜きに感性がスケールアップしている。
非日常!事件だ!!となるインパクトが格段に変わるから……安全や無事、安定のルートを注意深く歩いて来た人の『話のお里』がどの様なモノか?簡単に透けて見えてしまう様になるのである。
相手の腹積もりが『見えてしまう』、『分かってしまう』というのは余り良いことじゃないのかも知れない。
相手の個性?を表現してた顔貌(かおかたち)までがノッペリとした平板なものとなり『アリキタリのエリア』へ集合していく寂しさを味わうことになる。
それは、どっちがどうの?という話ではなく……同一集合円に同居していたお互いの必然性が失われるのである。
戦場カメラマンが九死に一生を得て平和な都市に帰ってきて……三日もすれば心がソワソワと泡立ち始めるのもこの、『周りの環境と自分の間の壁』のせいなのである。
僕は望みもしないのに、あり得ないとしていた現象が様々、次々起こり当初は『かつての平和な環境』へカムバックすることばかりに心を奪われたものだった。
しかし、危機回避の為の一つ山を超えた時……あれほど恋焦がれたかつての世界が色を失い酷く『詰まらない?』風情に映ったのだった。
好んだ訳じゃなかった。致し方なくこなした難題だったが……その先には『なにか?』味わったことのないドキドキがある!……と確信的に思った。
出来る訳がないとしていた分野で自分の才能が初歩的ゾーンといいながら『通用した!』という驚きはソレまでの人生に無いものだった。
出来なかったんじゃなく……単に臆病風に吹かれて自分に演らせなかっただけだと知ると『今迄を振り返る暇が無くなってしまった』……。
ソレが衣料品にデビューしたプロローグだった。
僕は……別に何も意識したわけじゃなく自然と『今迄の環境』から離れ『コレからの環境開拓』へ傾注していた。
ま、その方が単純に面白かったのである。
十年前に今しかない!と確保した飲食店スペース。死ぬ迄演るとして踏み出した時……世間的には僕はファッション業界の人間と認知され、若き日々死ぬ気で習ったフレンチはド素人と見なされたのが不思議だった……。
一日足りとも……飲食への憧憬は薄れることなく僕を絶えず急かせていたのに?
誰の目にもわかり易く、理解を呼べる世界には『らしい自分という』自他ともに認める安心感がある。しかしソレは他方……『終えていく世界』『閉じていく世界』という新味のない消極的ニュアンスを禁じ得ない世界でもある……。
人生をかけて『自分と夢がモノになるか?』の最終アタックに挑んでいる今のドキドキ、ワクワクは、またもや『僕だけのもの』なのである……。それを分かって欲しいとも思わず分かってもらえるとも思えない……。
正直……怖さ満載の日々である。
しかし、今交わしている言葉の五分、十分先まで会話の運びが透けて見えている時間を続ける予定調和……そんなの僕には不可能なのである。