『誰かに相談しても良いんだよ…』……このキャッチコピーはヤングケアラー問題の的を『かすってはいる』……けれど問題の本質をひどく矮小化している。
ヤングケアラーとなった少年少女は相談しづらく自分の中に籠もりやすい?そういった傾向があるらしい。だから完全に全てが的外れとは言わないけれど。
しかしね?……一国の政府が老人介護、障害者の介護を義務教育只中の少年少女達に押し付けて放置しておいて良いのか?
その『大問題こそ』を市民に啓蒙し制度、政策に反映させていくこと……。
ソレが『公益社団法人』たる努めでは?……なぁ〜んて感じたのだった。
昨日、『日本の大人の客観性が酷く劣化している』と書いた。
客観性……『問題の核心・本質』を掴む能力である。
まだ幼いのにね?、可哀想にね?と思考をセンチメントに運んでいく(矮小化)流れは、既に伝統芸能となりつつある。
憲法が保証する様々の権利に抵触しながら知らんぷりを決め込んでいる行政……。
貧困から自殺に至るシングルマザーとか?少年少女達。憲法25条はどこにある?状態。
『国民は等しく最低限度の文化的で健康的な暮らしをする権利を有する』
コレ……まさに絵空事にしておいて、『誰かに相談しても良いんだよ?』と公益社団法人が宣伝する神経?……行政は何の為にあるのか?という『そもそも論』がここでもスコーンと欠落している。
戦争は悲惨です。大量殺人です。反対です……そんなの小学生でも知っている。
そして集団自衛権反対です……と演る。
実際にこの国は半島の北の国によって百人を超える国民が『さらわれ』て……国民の安全と生命と財産を脅かされた『実績がある』のですよ……。
センチメント(情緒、感情)だけに流れて、幼稚なヒロイズムに酔いしれるのは余りにも客観性の視点が足りな過ぎると知りましょう……。
問題そのものを論ずる前段階……『問題の要素・核心』を把握し整理する能力こそ最低限の大人の客観性なのである。
議論にならぬまま、問題はセンチメントに流れて時を失い未解決のまんま放置され捨て置かれる。
『ヤングケアラー問題』なんてその流れの典型的事例なのである。
誰かに相談しても良いんだよ?
その他人事が……『今日の我が身』となりつつあるニッポンの福祉状況……。
『考える横着』はイイ人を演る罪とは比べものにならない大きな災厄を、先の未来で自らに還元してくるのです。
かつての大戦の時、自分の息子の死出の旅をバンザイして見送らねばならかった様に……。
情緒を動員しての自己正当化ばかりが流行ってるガキの主観渦巻いてるこの国。
大人と言える客観性を有する人間が激減した結果なんだと思う。
過酷な状況に在る少年少女を『ヤングケアラー』と名付けて傍観を貫く冷酷な態度。
それはね?……取りも直さず『自分自身に向き合う態度』とイコールなんですよ!という常識中の常識から身に付けて行きましょうか……ね?