サンチョパンサの憂鬱

足並み、人並み、世間並み

我が国では和を以て尊しとする?……。

だから抜きん出たり、出し抜いたりしたら批判的な評価を受ける。横並び礼賛文化らしいからである。

所が……その表面的な化粧の裏では……オイシイ立場を得るためにありとあらゆる画策が行われるというのが裏側での真実でもある。

皆で働く農業文化だからというのが抜け駆け禁止の元にあるのだという。
一方だからこそ、人との差別化を図る為に目立たない様に、目立つ為の裏技が発達したのかもね?って思う。

だから、既に七才にして教師に対してこの二面性を以て接する必要があるのだ。当然周囲に対しても同様の対応が必要となる。

小学校入学と同時にこの国の人間は『本音と建前』と言われる表裏二面性文化へデビューするのである。
そこで上手く演れない人達に、集団ストレスの矛先が向かったりもする。

この国の教育は、出来ない人基準だと言われるがそれも?だ。それは、タテマエとして機能しているが、本当のところ、ある年齢に達したら放り出すのである。

結果として多くの『その場が大事人間』が育つ事になる。その場はその場であってその場以降には何の影響も残さないのである。

大袈裟に言えば、親も教師も子供の未来を含めた時間単位で愛さない。愛せないのである。それだけの骨太の見識も愛情もソウルもない……。

上手く演ってるつもりの親達にしても子供を大学へ入れるまでの時間単位でしか子供を見て愛していないのである。

だから、ワァーと騒いで事は……終わる。また、ワァーと騒いで事は……終わる。方法論も判断も愛情も『一過性』のモノで終わっていく。

当然子供達はまともな神経をしている人間は戸惑う。
少年少女にして既に老成してしまった人間達が多数派を形成して、横並び、人並みの基準を設定していく……といった運びである。

和を以て尊しとする?……この国で群れ為す人達の寂しそうな笑顔はそんな事情が作り出している。
その場にいない人を欠席裁判にかけて
その場を調整しその場のコンセンサスを作って一安心……。

そのコンセンサスは散会と同時に効力を失いリセットされる。
江戸時代の五人組組織の様に、自発的相互監視システムが完成しているのである。

人は分断され群れながら孤立している。

人から……浮かない様に、目立たぬ様に、目を引かぬ様に心身共にチェックを行い自己規制にあい努める。

今やこの国で個性発揮するには、見映えする写真をインスタにアップする位が関の山となってしまったのである。

インスタ映えする写真に狂奔する大人達の心情もと……そこまで考えると僕は笑えなくなってしまったのである……。
それはそれで ……『せめてそれ位』という囲いの中の羊達の自由の様に……限られた中での、とても切実な問題だったんだね?……。
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