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サンチョパンサの憂鬱

麗しの60~78(2) 怒れる若者達の変遷

怒れる若者達の時代の音楽に惹き付けられた理由は一体何だったんだろう?……。

それ迄のいわゆる『流行歌』と言われるものはその世界の権威ある先生達が作詞作曲をし、『ちゃんとしたオーケストラ仕立て』が物々しく伴奏するスタイルだった。

新人達はその世界の権威の先生達に認められてデビューを果たす。曲紹介も形にのっとった定形があった。

自分で曲を作り、自分で楽器を奏でそして唄うシンガーソングライターの登場は、当時の世相の若者達と同様に権力、権威をものともせず、強烈に自由に自分をアピールするスタイル自体が革命的に映ったからだろう。

時流れ……現代になると、そのスタイルの実践者が権威になるという皮肉な現象が起きている。デビューを果たしたデュオを真似てストリートライブをやるなんてのが教科書、マニュアルとなってしまった感がある。

アイデンティティの体現力が稚拙で弱いのは
そんな出自の人達が増えたからだろう。
ステレオタイプの『励ましソング』だったり
自分を守れそうにない脆弱な若い男が、『君を守りたいソング』でお手軽にまとめて唄ってる。

スタイルとしては……皮肉な事に、今ではその世界で突き詰めた『ちゃんとした』、『本格派・本物』を求めるマインドが強まっている様な気がする。いわゆるプロフェッショナルの時代だと感じる。

脂ぎった業界のオッサンに平身低頭のかつての流行歌手。
マニュアル通りストリートを経て『勇気や愛』を叫んでる今のミュージシャン達もやっぱり業界の権威者達の『手駒』になってる様に感じてしまうのである。

かつての音楽での反逆者達に変わってホリエモンなどのIT業界の猛者達がかつての権威に挑み時代を変化させてるのかな?……と思う。

『風に吹かれて』で友よ、答えは吹き来る風の中にある!と唄った反逆者ボヴ・ディランはノーベル賞を与えられ、プール付きの大豪邸に住む矛盾……あの麗しの時代からの変遷がソコにある。

彼は最高の権威であるノーベル文学賞を貰うのを散々躊躇い、先延ばした挙げ句、渋々代理人に受け取らせた……元反逆者ボヴ・ディランもさぞかし戸惑ったんだと思う……。

しかしボヴ・ディランは恥じる事はないのである。
彼のその時代の歌が今尚、人びとの心を打ち続けてるのだから……。彼を語るのにノーベル文学賞なんぞ全く必要としていないのだから……。
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