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サンチョパンサの憂鬱

群れの中の孤独と一匹派の孤独

適合したいと思って適合したら違和感満載……会話ギクシャク、雰囲気ザワザワになって適合どころの騒ぎじゃない。
オイラ一抜けたとなり一人になってホッと一息つく……。

そんな事を何度か繰り返していると……集団に適合する才能なんて無いんだと自分を知るのである。

寂しさに負けてはすり寄っていく。
そしてやっと無理な適合は不適合なのだと知る。

群れの会話の殆どは不自然と不必要で出来ていて調和命で運営されている。
これ、やろうとしても無理な奴には絶対無理なんである。

あんなに楽しそうな群れなのにオイラには苦痛しかないぞ?……余程、独りの寂しさの方が心地好いじゃないかと自分を思い知るのである。

不思議な事に、そうやって独りをやってると……おや?あなたもですか?なんて人間と知り合う。
年代性別なくそんな奴は嗅ぎ分けてくれて違和感なく深いコミュニケーションがいきなり始まったりもする。

群れって奴は、志願して近付くモノにはエラク上から目線から接してくれる。
そんな群れに興味を失い、ご勝手にどうぞのポジションになるとキモチ悪いくらいの低姿勢ですり寄って来たりもする。

ま、要するに得体が知れない組織なんである。相手の色に形に対応するから
訳が分からないんだろう?と思う。
確固たる姿を特定出来ない相手に違和感を生じるのも無理はない。

一方、群れの適合者はその人間もまた相手次第で対応可能だから適合するのである。
これまた群れ派、一匹派、どちらがどうのこうのと良くも悪くもない。
そういうモノなんである。

両派はお互いが相容れない何かを相手に感じるのである。
その素性は恐怖心である。
群れ派は、一匹派が群れの秩序を傍若無人に破壊するだろう事を予感する。

一匹派は群れ派によって、自分の個性とか主張とかを骨抜きにされ、彼らが自分を囲い込んで支配しようとしている様に映ってしまうのである。

んで、思うのである。
無理はいけない。無理は人を抑圧しメンタルを傷める事になる……と。

僕はどうしようもなく一匹派だけど、群れ派に対しては徹底した無関心と無関係を貫く事がお互いの平和を実現するのだと経験則で学んだ。

そのスタンスになるとストレスは激減したけれど……時折、群れ派の人達が、ん?何でこっちに来ない訳?てな雰囲気でチョッカイ出しにやって来るのには相変わらず辟易となる。

俺……貧乏なんで時間とカネ無いのよ!と言えば彼らが至極満足して帰ってくのも学んだから今は仙人の様に独りの自由が訪れた。

食い物と人間は……食わず嫌いしちゃ絶対駄目だけど、食中毒起こしてまで無理しちゃいけないって事だ……。

衆は力なのである。舐めてはいけないって事だ。ウイルスと同じで数によって象だって倒すのだから……。

群れには群れの難儀があり、一匹派にはしこたま障害がある。
どっちにしたって人間演るにはトンでもない苦難があり……時たまトンでもない歓喜があるって事だ。
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