サンチョパンサの憂鬱

昼下がりのサンチョパンサ……『奇妙と希少性』とは違うのです

冷静になって……限定されたパーツ、エリアに釘付けとなったままの視線を一旦外して全体を俯瞰して観なきゃ何も始まらない……と思う。

息長く張り続ける第一線の立場に在る人間を注意深く観察すると見えて来ることがある…。

何時も身近にあるお笑い芸人を観れば、数年という時間の長さを生き延びてる人は総じて、『奇妙な風体をしていない』事に気付かされるのである。

ハゲを強調したり、有り得ないヘアスタイル、奇妙キテレツな風体だったりなんて人はその間に必ず消えていく。一重に安易に過ぎるからである。

先のブログで…『自分の股関ばかりをチラつかせる若い女達』の安易さとかセルフプロデュース感覚の余りのお粗末さについて書いた。コレも『短時間で消費されていく』タイプの人という点において奇妙キテレツ芸人と同じカテゴリーにある人間……。

何をやるにも『人間の基本』という奴が必要なんだと思う。 
『自己愛の深さ』という項目こそがその『基本中の基本』だと思う。
その大基本あれば、『誰もが思い付く方法論』を自分には絶対採用しない筈だからである。

下世話な直接的性欲望という需要者が先にあり、『ソレに媚びを売る自分』という方法論で応えている……という『表現の発露』が自分の中から発出した『思い』ではないでしょ?ってことなのである。

お笑い一つ取っても人を笑わせるのは『自分をバカにしてもらう』事とは全く違うのである。そんな奴には常に痛々しさが付きまとって笑えない。

自分に興味を持たせたいなら、なぁお前らコレ……こんな風な視点で見れないだろ?っていう気概を必要とする。

『俺はお前等とは全く違うんだ!』という気概ある人間は包装紙じゃなくコンテンツにこそ独自性を求めるのである。

お笑いにもTikTokにも『アリキタリの奇妙が溢れている』そんな現状に……若い人達もそろそろ気付かないと手遅れになるんじゃね?

奇妙なカッコのお笑い人間とか股関強調の若い娘達には絶え間なく『薄っぺらい悲壮感』が付いて回っている。とても哀しい風情なんである。

冷徹に自分を俯瞰し『自分の汚さ、詰まらなさ』を何より先に認知し、そんな自分を笑い飛ばせる人間が他者を惹き付け『笑わせることが出来る』んだと思う…。

承認欲求?なぁ~んて言うけど、承認ってね?『自分を晒(さら)し者』にするってことじゃないのです。そこんとこヨロシク……ね。

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