サンチョパンサの憂鬱

認識の誤差

例えば……アマゾンの奥深く、その存在が知られていないとあるネイティブな人種の村……。

ソコに迷い込んだ現代の文明人が殺されましたとさ……という『事件』が起きた時、どの様に考えるか?

ネイティブな村人の『憲法』として、村への侵入は絶対的悪魔の仕業、即刻討ち果たすべし!のルールがある。

この殺人を現代文明側の裁判で多数決で決める事は正義なのか?
『どちらの側の正義』も絶対である。

絶対正義と絶対正義に優劣を付けるのは数とか武器とか経済による『力関係』となる……。

翻って日常の中でも好きだった人が大嫌いに変わるし、大嫌いだった人が大好きに変わる事がある。

『ハラスメント』大流行は依然として続いている。
話し掛けたら女が不愉快な表情となる。
これ以上はハラスメントになりかねない。男はさっさと退却し、二度と接点を持たない様に心掛ける。

時の経過とともに……女はその男の内なる魅力に気付き『好きになる』……そして女が話し掛けたら……男は手短に切り上げさっさとその場を離れるだろう……。

ポリコレにせよ、ハラスメントにせよアメリカ発の善か?悪か?Yesか?NOか?
という文化?は『その瞬間の感情と言葉尻と表面的絵面』によって『二者択一』で決め付ける。

上記の『ネイティブ村民』による殺人事件は村人から言えば『不法侵入』でありその死刑判決は文明国側でいうところの『内政問題』であり、報復されれば『内政干渉問題』でもある……。

人の心は変わる。国によって地域によって文化も文明も感性だって違う……。

シロクロで瞬間判断というほぼ条件反射的に二者択一し、人を決め付け国を決め付け下される判断は……『短絡的な独断』に近く……非常に浅薄な『思考方法』じゃないか?って言いたかった……。

僕が今……男女を問わず心許し向き合ってくれる人達はその信頼に至るまでに……お互いが、かなり険悪で嫌悪的な感情を抱き抱かれたプロセスを何度か経て……辿り着けたのである。

言えるのは……そういう関係は全て、『安心して喧嘩出来た人達』だったということなのである。

何か?感情的な嫌悪一つで即、『敵と見なす文化と思考』って実はね、とても野蛮で野卑なモノだと僕は……思うのです。
少なくとも人間の哲学というものが見えてこない。

一方で『人種、美醜、あらゆる人のカテゴリーを問うてはならない❗』とする主張をしながら……アメリカ人達はどうやって?『相手の内面評価』に辿り着けるというのだろうか?……僕の素朴な疑問なのです。

大統領と国が『イスラムは敵』という感情に支配されている事は明白である。

自爆テロ以来の無法を含むイスラム監視や違法捜査……。
アフガンでの『誤爆・誤射』と一言で片付けてる罪のない『アフガンの女や子供達、民間人の死』に対する冷淡な対応一つにそれは窺えるのである。

何でもアメリカから横文字輸入して盲信、盲従する事が……この国の深い思考能力を著しく棄損してる様な気がするのです……。

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