怖いもの見たさを優先させる人。
恐怖、嫌悪に気圧され『今迄の温存』に閉じ籠もる人。
反応はそれぞれである。
深夜からNHKのSONGSでヨアソビを観た。
最近のボカロの音楽は好むと好まざるとに関わらず……『ボカロ界隈』から一般社会に滲み出し早くも定着の兆し色濃く?そんな段階にある。
丁度、WINDOWS…95が上陸した直後の感覚と似ていると思う。
きっと僕達はボカロにも慣れ親しみ受け容れる様になると確信した。
一般のオジサン、オバサン達が『私進んでるでしょ?』的に何かのボカロ曲を口にする日も近いと思う。
コンポーザーのAyaseとイクラ(幾田りら)のユニット。
イクラがアコギで唄ってるシーンとユニットで歌うシーンでは受ける印象が対極に振れるのは何故なんだろう?と感じた…。
生の声をフラットにして声の癖を消すボーカロイドの特性と恐ろしく振り幅がある音域を速いテンポで行き来する(機械故に出来る)性質から……生み出される音は耳新しい。
波長が短く振幅か大きい。自然界(人間の声)の音にはない流れが作れる。
当然波長に揺らぎ(音色…ねいろ)というものはないのである。
波長の揺らぎ……音色こそがシンガーの個性を特徴付ける『サムシング』って奴だ。
足早で駆け巡る耳慣れない『平板な音』こそがボカロ……まさにアナログとデジタルの対極同士である。
Ayase作詞の『大正浪漫』なんて凄く素敵な文章の趣があるけれど……曲として歌われるとカラッとして『電子音』の様に吹き去っていく感覚になる。
頑迷な懐古趣味に流れるんじゃなく…軽薄な新しモン好きに走るんでもなく……僕達は過去と未来を今の時代に在って『ホドホド』の塩梅でバランスさせて生きて行かなきゃね?
生身の身体を持ちながら前頭葉が嫌でも未来を創造しようと活動する人間……。
んでね?偏見を持たずに最近『ボカロ界隈』を探求したけれど……。
小説と音楽の融合……その心意気やヨシ!!
しかし少々意地悪くアラ探しすれば……ロマンとか心象の掘り起こしがね……若い彼等も案外と『観念的だよね?』……と感じた。
彼等は僕達とは逆に『生身の汗とか血生臭さ?感情の喜怒哀楽』というアナログの思考・体験が少な過ぎるかもね?って。
結局、老いも若きも……何処まで生きても何かを探求し続けなきゃならないんだね?
『自分に足りないモノ』を求めながら……。