今日は愛の形のお話です
アノカタチではないのです
わたし、MISAさんが歌うアイノカタチが大好きなのですが、今日はこのお話ではないので、
そうだと思ったよ、という方はここで引き返してください(笑)
誰かを許せない気持ちはありますか
わたしはあります
その程度は本当に薄くなってきたのですが許せない気持ちはまだあります
許せないというより「とても残念な気持ち」の方が今のじぶんにはピッタリきます
『わたしは受け取りたかった愛の形で、愛を受け取ることができなくてとても残念な気持ちがまだ残っています』という文言が今のわたしにはピッタリなのかな、と思います
昔は相手の至らなさや、なぜそれをやらなかったんだと大変怒っていましたし本当に許せない気持ちでした
相手を強く攻撃する気持ちです
でも、愛には形があってじぶんの知っている形でしか愛を愛と認識できない、とセラピーで学んだときに強い衝撃を受けました
でもとても深いところから、この言葉の納得感?理解?がやってきたことを覚えています
じぶん以外の人の気持ちはわからないので、本当のところはわからないのですが相手がわたしにはわからない、伝わらない形で愛を届けていた可能性はとてもしっくりきました。当時の言い方であれば『大変残念だけど、わたしにはわからない形でわたしへ愛が届いてことはあり得る』と思ったのです。
相手を許せないので、大変残念だけどという言葉がついていました。
『これは許せないという形であなたも、その人を決して忘れないという愛の形かもしれませんね』と師匠がとても静かに言った時には、わたしは崩れました。足元の崩壊でした。
『そういう抱きしめ方もあるのかもしれません』と。
訳の分からない強い衝撃でした。
愛はじぶんの知っている形しか認識ができず、愛だと理解できないそうです
欲しかった形で愛がもらえず、相手を許せなかった
でもこれをじぶんの視点で見直すと、欲しかった形で愛が来なかったので、愛だと認識できなかったしそれはとても残念でさびしく、悲しくわたしはみじめな気持ちもありました。
わたしはあの時、さびしくて悲しくてみじめな気持ちだったのです
それが本当に辛くて、みじめなじぶんが辛かった。
誰かのせいにしたらちょっとは楽になったのでしょうか
かわらなかったけど、みじめなじぶんを感じなくて済んだと思います
今でもこの経験は思い出すとぐっと喉が絞まるし、やっぱり涙もでます
でも本当にすごく静かに、残念だったといえるところまでは来ました
じぶんに向かい合うことの辛さや厳しさを痛感した出来事でもあったのです
でもここからまた違う角度で世界をみることができるようになった気もしています
愛にはじぶんのわかる形があったなんて、知らなかったんです
はあ…なんでこのことを思い出して、しかもブログに書いたんでしょう(笑)
もう一度ここに戻って見直すことがわたしにはあるのかもしれません。
だってまだまだ辛い。思っていた以上に。
少し時間をとって見直してみます