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そもそも自分を信じるとは?

2024-03-05 12:41:08 | 日記

今日は3月5日です

ブログをはじめて1か月も経ちました

気持ちの赴くままに自分の仮説や妄想や気づいたこと、体験したことなどを書いてまいりましたが、今更のようにひとつ気になる事があります

『自分を信じる』ってどういう感覚なんだろう、です

散々じぶんを信じるという言葉を書いているわたしがそれを言うのか~と最初から読んでくださっている方は思うと思います

ハイ、そうですね。その通りです

実は今日はじぶんを信じるについて書こう!と昨日から思ったのです

ですがいざ『自分を信じる』を体験をとおして書こうとすると思うほど書けないのです

う~ん・・・と悩みます。でも今日は今日の時点でわたしが思うじぶんを信じる、を悩みながら書きます



じぶんをもっと信じるように、と高次の方は皆さんおっしゃいます

それからしか始まらないようです

大天使ザトキエルさんは以前『自分の感じたことを信じるように。考えすぎです。今ここで感じたことを信じて進みなさい』というようなことを言っていました

『うまくいかない想像をすることで進めなくなっている。そうではなく今ここでの判断を信じるように。判断はジャッジ(いいか悪いか)ではない』といっていました。(チャネリングのブログに書いています)

そうなんです。その通りだと思います

じぶんから湧き上がるその感覚を信じる、そのことなのでしょう。考えすぎて動けなくならないように、という注意もありました

じぶんを信じられないのは過去の失敗でしょうか

それが重なると確かに行動へ移しにくくなりますよね

じぶんを信じて行動すると、責任が持てる

他人の評価や視線を気にせずじぶんを信じて選択したことは、誰かに何か言われても説明ができるし腹もくくっているので責任を持てる気がします

これでだめなら、もしくは怒られたら?謝るしかない

それしかできない、それでもこれはやる、みたいな感覚

でもこの感覚は他者を意識したものです

もっと個人的な感覚な気がするのです

わたしをわたしが信じる

わたしへの信頼

じぶんをコントロールできている感覚

行動も感覚もわたしがわたしそのものである感覚

じぶんの感情に正直であるわたし

その感情をどうするのか(表現するのかしないのか)はわたしが決める

わたしの面倒はわたしがみる


怖い、そんなの怖いよ!と思うのは、じぶんの面倒が見られない感覚かな

他者により私が否定される、とか?

でもそれ、もしかすると他者の嫉妬とか評価されてずるいとかそういうもので、意地悪されているかもしれない

だとしたらそんなものは放っておけばいい

それは他人の感情だもの

その人が自分の嫉妬心を処理しなさいよ、です

その人が自分の嫉妬心と向き合って欲しい、とわたしは思う

地球では多くの人と一緒に住んでいるから最低限のルールは守るけど、それとは違うところでじぶんの感覚や感情を後回しにしないで、むしろそれを頼りに進んでみることが大切なのかもしれない

じぶんを信じてみよう

そうやって体験をしていってみよう

また何かがわかるかもしれない、と思った




ガブリエルさまにちょっとおききしてみました

じぶんを信じるとは大変シンプルなことですよ

じぶんの気持ちに正直であることです

じぶんの気持ちを素直に受け取り、それを信じること

湧き上がった感情を疑わないことです

今の気持ちをすべてすくいあげてください

そうすることがじぶんを信じるです

感情に正直に、というとまるで感じたことをまき散らすように感じるので躊躇うのではないですか

そういうことではないですよね

ただじぶんの感覚、感情に正直であること

やってきた直感を疑わないことです

それがじぶんを信じるですよ