
日本だけかと思いきや、
そういう世界は万国共通のようだ。
川でなくとも、お花畑が現れたり、
キラキラしたものや蝶々が舞ったり、
何かしらそういうものが見えるらしい。
かくいう私も、何度か死に目に遭っている。
母曰く、
「あんたがまだ小さい頃、階段から
転がり落ちたんや。抱きかかえたら、
“蝶々が飛んでる”って言うたんで、
お母さん、あんたの名前を必死で呼んだ」
それで意識が戻ったそうだ。
物心つく前なので、私は全く覚えていない。

三途の川やお花畑と同じく、
逆に、幼児が語り出す
「天国から、どのママの子になろうか見てた」
というのも万国共通のようだ。
「ママが悲しそうな顔してたから、
滑り台に乗ってママのところに来た」
など、割とシチュエーションは共通している。

(イメージ・布亀の救急箱のCM)
しかしながら、自ら選んだママの元に生まれ、
虐げられりするのは悲しいものだ。
結婚したら子供ができるものだと
思っていたが、そうではない。
なかなか子供に恵まれなかった者の
一人なので言えるが、ものすごい奇跡だ。

選んで生まれてきたのに、
早々川を渡ってしまうのは切ないね。
でも私達だって、「美味しそうなお店だ!」
と思って行ったら、接客が最悪だった、とか
あるだろう。それと同じかもしれない。
…命と一緒にするのは不謹慎だが。
過去にも書いたことがあるが、
死ぬ前は、えも言われぬ気持ちよさだそうだ。
このまま戻ってこなくてもいいや、と
思えるほどだそうだ。
私の敬愛するハリソン君さん風に言えば、
“チョメチョメ”の何倍もの快楽だと聞く。

(…挿絵、絶対間違ってる。むしろ、しんどそうだ)
私は、冗談でなく、本当に「もう死ぬ」
という絶体絶命の危機に瀕したことがある。
最初は必死に死から逃れようとするが、
もう無理だとわかると、
急激に落ち着きはじめる。
悪あがきはやめよう、というか。
死ぬ覚悟ができるというか。
どうせ死ぬときゃ裸じゃないか。
(by あばれ太鼓 坂本冬美)

もう死ぬ、と思ったとき、
走馬灯を見たんだよな。そこに
両親が出てきて、我に返った私は、
「こんなところで犬死してたまるか!」と
思い直し、神頼みならぬ万物頼みをした。
ほーら、どうだ。
死を覚悟した私が、今こうやって
記事を書いている。あのとき、
死んでたまるかと思い直していなければ、
私はいなかったかもしれない。
いやはや、さすがは生命線が
3本もある人物なだけある。
ではでは、またね。
私の親戚が経験した三途の川の話と、
私の走馬灯の話を読みたい方はコチラ。
私が初めて気を失ったときの話。