舞い上がる。

日々を笑い、日々を愛す。
ちひろBLUESこと熊谷千尋のブログです。

みんな適当に生きて適当に幸せになってくれ俺もそうする。

2019-01-24 14:54:58 | Weblog


1/21(月)、この日は一日中曇っていたのに、夜にコンビニに行った時に空を見上げたら、ちょうど雲の切れ間から今年最初のスーパームーンだという満月が見えました。
その二日後、同じコンビニのレジで間違って不要なレシートを入れる箱にお釣りを入れてしまい、自分の行動に焦りながらも笑ってしまったんですが、店員さんも笑いをこらえながら丁寧に接客してくれたので、まさにセブンイレブンいい気分でした。



突然なんですけど、十代の頃から現在に至るまで「がんばれ受験生」的な空気に触れたり、そういう話題を見聞きするだけで、具合が悪くなってしまうので、その手のものは出来るだけ避けるようにして生きています。
それでも、1~3月くらいの季節はどうしてもテレビのCMなんかにもそういうものが増えるし、なかなか避けるのは難しいんですよね。

受験勉強が嫌いだった人は大勢いると思いますが、自分くらい「受験」という概念そのものを受け入れられなかった人間は32年間生きてきて一人も見たことがないので、おそらくなかなか理解されないマイノリティなことなんだと思います。
「受験」なんてこの世から消えてなくなれ!と心の底から思ってしまいながらも、「受験生は悪くないんだ!」と自分に言い聞かせてなんとか毒を吐かないようにしています。

だから好きな人が受験勉強を頑張っていたとしても、「がんばれ」は絶対に言わないし言えません。
もし仮に自分に子供がいたとしても、言えるかどうか分かりません。子供はいないしこの先予定もありませんが。

これ、前に家族とも話したことがあるんですけど、「受験を受け付けない」って、僕の発達障害というものを語る上での重要ポイントだと思うんですよ。
発達障害って、人によって症状がまったく違うから一言で「発達障害とはこういうもの」って一般論的に語れない病気なんですけど、僕には僕の症状があって、その結果「受験を受け付けない」に繋がっていると。

もうちょっとかいつまんで説明しますと、僕の幼少期からの特徴として「将来のことを考えられない」っていうのがありました。
小さな子供が考える「おおきくなったら○○になりたい」レベルの夢から、中高生の「○○高校/大学に行きたい」、そして就活生の「こういう仕事に就きたい」まで、まったく考えられませんでした。

こういうことを言うと、「いや、そんなのちゃんと考えられてる人の方が珍しいよ」って言われたりするんですけど、そういうレベルじゃないんです!
本当に!まったく!考えられないんです!一度だって考えられたことがないんです!もう一生無理だと思います!

ここで特徴的なのが「勉強ができないから受験が嫌だった」訳ではないんです。寧ろ勉強はわりと嫌いじゃなく、成績もそこそこ良かったと思います。自分で言うなって話ですけど、大事なポイントなので言います。
勉強は普通にしているし成績も悪くないのですが、「将来を考える」「受験を考える」っていうその一点のみ、まったく出来ないという、この歪な部分が、僕の他の人とは違う特徴的な部分だと思うんですよね。

受験勉強が嫌いっていう中高生は普通に多いので、僕も最初はみんなも僕と似たような感じだと思っていたんですよね。将来なんて、受験なんてまったく考えられないからしたくないという。
でも、受験シーズンが近付くにつれて、今まで受験勉強が嫌いと言っていた周りのみんなも何だかんだ頑張って勉強を始めるようになったのを見て、「ど、どういうことだ…?嫌いじゃなかったのか…?」と、自分と周りとのギャップに混乱したのを覚えています。

僕は、受験勉強のこととなるとまったく頭が働かず、一度家族と進路について話し合った時に頭が混乱して泣きだしてしまったこともあるくらいなのです。
混乱と言えば、その時の家族もかなり混乱したと思いますし、そこそこ成績は悪くないのに進路の話になるとまったく頭が働かなくなる僕に対して先生も困っていたんだろうなと今では思います。

だから、本当によくそんな人間が高校や大学に進学できたなと思うんですけど、これはもう要するに、自分の中に何の選択肢もなかったから、たまたま周りから「そうした方がいい」と言われた意見が進学だったから、意外に何の理由もないんですよ。
そんなこと言うと、世の中には高校や大学に進学したくても様々な理由で出来なかった人が聞もいるからちょっと言いにくいんですけど、本当にそうだった、としか言いようがないんです。

最近これについて家族と話し合った時に、僕が今書いてきたようなことを話したんですけど、母から「要するに、普通は進学先を自分の成績とか色々な理由で妥協する人もいるけど、ちひろの場合は進学するっていうのが妥協して選んだ選択だったんだよね」って言われました。
これ、本当にその通りで、将来を何も考えられなかったから進学したいとも思えなかったけど、何の選択肢もなくなった中でたまたま一番目立った選択肢が進学だった、そしてたまたまそれが出来てしまった、っていう、本当にもうそれだけの理由なんですよね。

そして、そんな人間なので、当然そのまま大人になって就活のタイミングになっても、周りと同じように就活ができなかったのも当然の流れなんだろうなあと思うんですよね。
そして、自分のこの感じを理解してくれる人もまずいなかったし未だに出会えていないし、今後出来るようになれるとも思えないし出来ないから仕事もなかなか続かないので、一生この面倒な症状とともに生きていくんだろうなあ…と半ば諦めのような感情を抱いています。

ただ、そんな人生が不幸かと言われたらそこまで不幸じゃないと思うし、何だかんだここまで生きてくることが出来たのは結構幸せなことなのかなって思うんですよね。
まあ、そんな人間なので、話は戻ると、受験というものを未だに受け入れられないし、受験生頑張れ的な気持ちにもなれないんですけど、僕は「がんばれ受験生」の代わりに、「みんな適当に生きて適当に幸せになってくれ」という言葉を送ります。

受験生と受験生じゃない人達への俺なりのメッセージです。
そして、僕もそうします。
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