絶対
最近、絶対が無くなってしまいました。
いや今までだって無かったはずですが一層無くなってしまいました。
緊急事態宣言、濃厚接触、市中感染、または発症。自分には絶対無いと言い切れないものが目の前に一気に、ゴッソリ増えました。
僕は舞台スタッフの中でも割と稽古場に現れない人々のひとつ、宣伝美術とカメラマンをずっとやってきました。
今はコロナウイルスの流れで身辺の公演があらかた延期や中止されていて、長らく舞台関係者さんとお会いできていません。
(市中感染の可能性はもちろんありながらですが)関係者さんの誰とも会わないなら自分は舞台クラスターの可能性だけはゼロなわけです。
宣伝美術は要はデザイナーなのでテレワークが可能です。対面せずメールやネット会議で打ち合わせしてネット入稿して先方宛で仕上がり到着。不可能では無いし何回かやっていることです。
ただ、撮影はその場に行かないわけにいかない。
しかも(今はともかくとして)普段は同時期の掛け持ちも当たり前の仕事です。
となると今後本格的に舞台が動き出した時、公演AとBでクラスターを媒介しない保証がない。
Bからもお声をいただいたとして、自分は大丈夫であると保証できない。それを言い出すとAの時点で誰かからもらわない保証もないですが。
となると掛け持ちを自粛するのが良いのか?違うのか?
カメラマンはどうあるべきか?
そんな脳内会議してますが結論が出ません。まだ動いてもいないものを心配するのは早いでしょうが、動く前に考えておかないとなのと、こんな情勢ではいやが応にも頭をグルグルしますし。
いま世の中の仕事は皆このジレンマと戦っているわけで、経済活動全てを止めるわけにはいかないし自分もいつかは活動再開するだろう、けれど、治療法が確立するまでは?うがい手洗い消毒マスクディスタンス換気、、、
結局僕たちはやれる事をやるしか無い。
しかもやれているかどうか(安全か否か?)が目に見えないのが不安。
これが僕は大きいですかね。
安全性を可視化できないかなあスマホとかで。分かってる、無理だよな、僕もそう思う、未だ人間は無力だ。
やっぱりやれることをやるしかない。
あと、人ごと感覚にならない。
正しく怖がるというのも併せて。