採点をつけるタイプのレビューサイトには必須のことを書いていなかったので、今ここに記そう。
採点するという行為は、傲慢だ。偉ぶっている。しかし同時に、「面白かった」「つまらなかった」と一言で済ます感想も全く同様に傲慢である。にもかかわらず、採点という行為が一見したところ「つまらなかった」の一言よりも傲慢であるように見えるのは、それが客観性を装っているためだ。点数化という作業は、採点される個別の例それ自体によらない物差しを使って、絶対的にではなく相対的に行われる。一方で、「面白かった」「つまらなかった」という表現は絶対評価であり、はじめから主観的であることを表明している。だから清清しい。
ということは、採点を行う人間がそれを傲慢さから救うためには、主観的であることを宣言すればいい。しかし、主観的な採点などにどれだけの意味があるのか。採点に使う物差しが客観的でなく主観的であるなら、それによって計られた長さを信頼することなどできるはずがないではないか。
そこで肝心なのは、その物差しがどれだけ「自分にとって」正確であるかということである。採点者にもっとも求められるものは客観性などではない。一貫性である。自分と正反対の物差しを持っているレビュアーがいたとしても、その物差しが正確でありさえすれば、立派に信頼できるのだ。評論家という人種のアイデンティティは、自分の物差しをどれだけ磨けるかということの中にある(芸術家という人種のアイデンティティは、自分の物差しをどれだけ信じられるかということの中にある)。精進したい。
採点の方法にも色々あって、日本人に馴染み深いところでは「五つ星評価」がある。一方で、その感覚で海外の批評などを見ると、満点の作品が全く存在しないことに気づく。それもそのはずで、「四つ星評価」が主流なものの一つだからである(五つ星と四つ星で決定的に違うのは、「普通」という評価を許されているか禁じられているかという点だ。四つ星評価では、どんな作品に対しても「良い」か「悪い」かを答えなければならない)。半分に欠けた星、あるいは白い星を使って、実質的な十段階評価にする方法もよく見られる。星でなくABC...などを使う手ももちろんあるし、学校のテスト式に100点満点で刻むというのも当然ある。
俺は0.5点刻みの10点満点という二十段階評価を採用しているが、これはスポーツのジャーナリズムから拝借したものだ。その特徴は、6.0点という「標準」を明確に設定してしまうことにある。その標準を上回るか下回るかが、最大の分水嶺である。当然、6.0点を中心にして5~7点台がもっとも多くなる。4.5点以下はかなり厳しい評価だし、8.0点以上はかなり高い評価である。
最後にイメージとしては。
【10点】 ……基本的につけない。自分の映画観に土台から影響を与えたり、あまりにも思い入れの強い作品限定。
【9.0点】 ……大々傑作。年に一本出るかどうか。
【8.5点】 ……大傑作。これ以上の点数は基本的に絶賛しまくる。
【8.0点】 ……傑作。年間ベスト級。
【7.5点】 ……極めて優れた作品。年間ベストテン級。
【7.0点】 ……優れた作品。佳作~名作ぞろい。
【6.5点】 ……一歩抜きん出た魅力のある作品。ただし大々的に褒めるまではいかない。
【6.0点】 ……標準。
【5.5点】 ……やや不満。何らかの明確な弱点があるか、ややパンチが足りないか。
【5.0点】 ……不満。
【4.0点】 ……凡庸な作品、もしくは残念な失敗作。
【3.0点】 ……見るべきところが皆無なわけではないが失敗作。
【2.0点】 ……見るべきところのない失敗作。
【1.0点】 ……個人的にはもはや「嫌い」な部類だが、映画ではある作品。
【0点】……映画ではない。