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《宮内庁幹部が告白》「雅子さまは人権侵害を受けてきた」適応障害を発症された本当の理由 「文藝春秋」

2023年12月07日 12時58分10秒 | 皇室
「文藝春秋」編集部 によるストーリー  • 22 分

 12月9日に皇后雅子さまが還暦を迎える。心身の不調を抱えて、長い間、苦しい闘いを続けてこられたが、12月8日発売の「文藝春秋」2024年1月号では、平成の時代から雅子さまのご様子を見続けてきた宮内庁幹部がその実情を本誌取材班に語っている。

皇室という場所は個人の人権が一切守られていない

 雅子さまは2003年に帯状疱疹を発症され、2004年には「適応障害」という病名を発表。公務をお休みになることも多く、長い療養生活を送られてきた。

 

 だが、天皇陛下が即位されてから5年が経った今、お出ましの機会が増えており、ご体調はかなり回復されているという。今年6月には約21年ぶりの国際親善としてインドネシア訪問を果たされ、その後も「全国豊かな海づくり大会」や「特別国民体育大会」「国民文化祭」などへのご参加のために全国各地を精力的に回られている。

 ここまでの長い道のりを振り返り、宮内庁幹部はこう明かした。

「個人の人権が一切守られていないのが、今の皇室という場所です。選挙権や戸籍も無く、職業選択の自由や信教の自由も持たず、財産権も制限されている。どこへ行くにも側衛官が付き、何をするにも両陛下や警察庁長官、そして総理大臣に逐一報告されてしまう。皇族方は、監視下での生活を余儀なくされています。赤坂御用地や御所など、高い塀に囲まれた空間で、幽閉されているのと同じです。あるいは囚われの身にあると言ってもいいかもしれません。

 

 現在、17人の方がいらっしゃる皇族の中で、精神面で鬱的な状況に陥っていない方は、一人もいません。皆さま、それを押し隠して公務や儀式に臨まれている」

雅子さまが現在に至るまで抱く問題意識

 煌びやかな生活を送っているかのように見える皇室には、実は「人権侵害」が蔓延っているという。そして、皇族の中で人権侵害を一身に受け続けてきたのが、雅子さまだという。

「1993年に雅子さまは今の天皇と結婚されて皇室に入られたが、当時は、今以上に人権擁護など考えられない組織でした。体調が悪くても『公務に出るのが当たり前』と言われて、無理を押してご臨席され、なかなかお世継ぎが出来なかった時期には、『早く。国民が待っているから』と批判される。これらは人権侵害以外の何ものでもありません。

 雅子さまはハーバード大学、東大、外交官という華々しい世界を歩まれてきましたが、突然、皇室に入られた。そこで人権が侵害されている状況を目の当たりにするわけで、雅子さまは、『一体、どうなっているの?』と強い疑問を抱かれたのです。

 そんな皇室の環境に馴染めなかったからこそ、『適応障害』と診断されることになった。雅子さまは現在に至るまで、一貫して『皇族は人権が守られない立場でよいのか』という問題意識を抱いていらっしゃる。ご結婚されてから、ずっと戦い続けてこられたのです」(同前)

適応障害を発症後、主治医のもとで療養生活に入られることに

「お世継ぎ」を生むことへのプレッシャーに苛まれ、疲弊された雅子さまは、2003年12月には「帯状疱疹」を発症され、宮内庁病院に入院。皇太子(現・天皇陛下)が雅子さまを庇って、会見で「雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と「人格否定発言」をされたのは翌04年5月のことだった。

 その後、雅子さまは「適応障害」と診断され、主治医で精神科医の大野裕氏のもとで療養生活に入られることになる。

 公務の際には「体調を考慮したうえで参加を検討」という留保が付くようになり、欠席される機会も増えた。毎年のお誕生日に発表される雅子さまのご感想の文書にも、〈お医者様のご指導の下で快復に努める〉という文言が、頻繁に記載されるようになった。

 2005年からは、雅子さまの誕生日文書と同時に「東宮職医師団見解」という文書も公表されてきた。医師たちが専門の立場から、雅子さまのご病状を説明するものだ。

文章の最後に書かれた、雅子さまの“内なる叫び”

「雅子さまは、どうしても行事を欠席せざるを得ないほど、体調が深刻な時が多々ありました。ですが、せっかく招いてもらっている身で、自ら断るわけにはいかない。また、政府が主催する行事に、なかば強制的に参加させられる場面もある。皇族方はまるで操り人形のように振舞わなければならず、『人権が無視されている』と感じるような耐え難い状況です。それでも雅子さまは、自分の意思で拒否するわけには到底いきません。そんなことをすれば『税金泥棒!』と批判が殺到するでしょう。ですが医師たちの判断であれば、いわばお墨付きを得る形で、何とか欠席できるわけです。

『東宮職医師団見解』の文書作成にも、実はすべて雅子さまご自身が関わっています。誕生日に発表されたご感想の文書を、今度は医師の立場で考えたらどうなるかという視点でご覧になるのです。文章の最後に必ず書かれている『温かい目で見守っていただきたく』という文言は、雅子さまの“内なる叫び”なのです。

 大野医師や東宮職医師団とのこうした緊密な体制は、雅子さまが皇室内で生き延びていくために必要なものだったと言えます」(同前)

 12月8日発売の「文藝春秋」1月号では「 雅子さま還暦『内なる戦いの30年』 」と題して、雅子さまのご近況から皇室での30年の生活、さらには愛子さまとのご関係など全10ページにわたり詳報している(「 文藝春秋 電子版 」では7日公開)。

(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2023年12月号)

 

皇室という場所は個人の人権が一切守られていない

 雅子さまは2003年に帯状疱疹を発症され、2004年には「適応障害」という病名を発表。公務をお休みになることも多く、長い療養生活を送られてきた。

 
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