とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

レヴィ=ストロースの『神話論理』の翻訳が、ついに出た!

2007年10月06日 03時26分36秒 | 宗教・哲学・イズム
神話論理〈1〉生のものと火を通したもの (神話論理 1) (単行本)
クロード レヴィ=ストロース (著), Claude L´evi‐Strauss (原著), 早水 洋太郎 (翻訳) 8,400

食卓作法の起源 [神話論理III] (神話論理 3) (単行本)
クロード・レヴィ=ストロース (著), 渡辺 公三/榎本 譲/福田 素子/小林 真紀子 (翻訳) 9,030

クロード レヴィ=ストロース のライフワークと言われていた『神話論理 』の翻訳はなかなか出なかった。原書では4冊だが、邦訳は5冊になるらしい。

これを一人で訳す人は、きっと餓死するか衰弱死すると思っていた。げんに何年か前に邦訳がでているかどうか、丸善の店員さんと調べ上げたことがあった。翻訳者の名前は忘れたが、なんと本当にその人は途中で死んでしまっていたのである。

 それが、まだ2冊だが、邦訳が出ていたのである。非常な驚きだった。

 ただ問題がある。出版社が「みすず書房」であるということだ。あそこの翻訳書は当たりはずれが大きいように思える。名著の翻訳権はたくさんゲットしているのは、さすがだと思うが、危険である。立ち読みしてからでないと本当は買ってはいけない。外れると、頭痛を伴う意味不明の翻訳文を読まさせられる羽目になるから。一読者として、そんな気がしてしょうがない。

 お値段も高い。
通常、急がない場合は、単行本は大体古本がでてくる。文庫本にいつ~か、なるかもしれないが、何年も先のことになるのではないだろうか?『野生の思考』の邦訳が、ずっと単行本でがんばっているから。(話は脱線するが、『野生の思考』の翻訳本も高かったので、安い原書を買っておいた。けれど、誰が外国語を読むなんて、めんどうな事をするものか、邦訳がでているというのに。日本語が一番すらすら読めて気分がいい。外国語というのは、仕方のないときだけ読もうというモチベーションがあがる。考えてみると翻訳本のファンなんですね。翻訳者は訳すために何回も原書を読んで、訳すために読解に努力し、背景の事情なども調べ上げているはずなので、いいとこどりもできるし。ただし、語学力を職業とする人、原語の味わいを好む人は、別問題が発生するだろう。私は......たぶん、あきれられて無視されているので単純に問題外というカテゴリーにとっくに入れられているだろうから、問題は発生しない。発生しないってば!ううう....)


 しかし、今回の邦訳が出たということは、かなり長い時間がかかっている作業であるのではないだろうか?それは、とても価値があることだ。借金をしてでも買うべきか?(笑い)

 あとの問題が残っている。この『神話論理』は結論が文明悲観に終わるらしいので、それは楽しみだ。
しかし、レヴィ=ストロースの著作は、かなり高度な数学的発想法で書かれているらしいという解説本を読んでから恐れをなして、今まで他の著作を3~4冊ほどを積読しておいた。だってまだ肝心な『神話論理』の邦訳がでてこないから。しかし、『神話論理』の翻訳が出てきた以上は、全巻の翻訳が出揃うのは時間の問題であろう。つまり、積読しておく理由がなくなった、ということだ。それが一番困った問題だ。いよいよ読まなくてはならない....。別の言い訳で、積読をのばす シャープなアイデアが絞りだせない。翻訳者があまりの苦しみのために餓死・衰弱死するかもしれないので、もう少し冷静に様子をみることにしようか?今すぐにでも発注しようか?悩ましいところである。積読がまた溜まるとストレスがかかり、またまたハーブをむしりとるかもしれないし.......

 とにかく、これは事件にも匹敵する邦訳刊行ではないだろうかと思う。とにかく驚いた!!
アンデルセン4が、また、ふっとぶのが恐い。
 
 迷ったあげく、一番近い丸の内のオアゾ内の丸善に行くのさえめんどうくさいので、とりあえず、神話論理〈1〉生のものと火を通したもの (神話論理 1) (単行本)が予想どおり1600円引きの古本がでていたので、ネットでこれだけ発注した。変な時間に起きたら、思いがけず衝動買いをしてしまった。またお小遣いを使ってしまった。もう使ってしまったので、あきらめよう。そして、また、寝よう。
 今、寝ると寝過ごして朝の玄関の掃除に間に合わないかもしれないが.....

PS,レヴィーストロースの『神話論理』に刺激を受けて書いたという北山修の『心の消化と排泄』は、なかなか面白かった。ただし、まだ半分しか読んでいない。たぶん、読んでいる途中急用が入り、勢いがそがれてそのままになってしまったものとみえる。育児書ではないが、私には育児の原理がかかれてあるように思えた。こちらは文明をお料理に例えているのではなく、こころを消化器官にたとえて、この世に生れ落ちた赤ん坊が成長するに従って、一人の人間として、いかなるプロセスを経て自力で外界というもの(食べ物=こころ)を摂取・消化して始末をつける終着点に到達するかが、わかりやすく書かれてあった。(半分の読後感想であるが.....泣き。)かといって自分の子どもが「心の消化と排泄」を上手に自力で果たせ得る人間に育つかは、別題である。)目標はオボロに感知しても、現場という現実のなかで目標が果たせるか否かは、常に別問題。たいがい、うまくいかない。思った通りには進まず、意外なトラブル発生続出でおたおたしながらなので、非常に困難に感じる。 だからこそ、どんどん現場主義になっていく。
 けれども、本なんていくら読んでもムダだ、と早計・やけっぱちな結論を出す方もいらっしゃるが、私はそうは思わない。目指すべき光が見えるというのは、大きな励ましになる。
 息子たちは、とっくに大きくなっているが、この本に出会ったことは遅すぎもしないとも思っている。自分の育児を客観視してふりかえることができるし、「心の消化と排泄」は、一生を通じるテーマだと思うから。
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