松田聖子がNHK紅白歌合戦に出場するという情報が流れていたが、NHKは25日、出場を辞退したことを発表した。
聖子の歴史はだれもが知るように数々のスキャンダルの歴史と背中合わせでもあり、もとをたどれば、1985年、36年前の「聖輝の結婚式」といわれたサレジオ教会での結婚式とホテルニューオータニの披露宴で始まった。
閑静な住宅街にある教会の前は結婚式当日、800人を超える報道陣とやじ馬でごった返し、前の道路を走る東急バスは停留所を移動させ、近くのたばこ屋は臨時休業した。空には大騒音のヘリが飛び交い、300羽の鳩が解き放たれた。
移動に乗ったリムジンは赤信号で止まった時にファンにアンテナをへし折られ、ホテルに到着するとやぐら太鼓の音が鳴り響いた。披露宴会場には電球60個が埋め込まれた高さ5.5メートルのウエディングケーキ。招待客は芸能界は言うに及ばず政財界の大物500人。
司会は徳光和夫。料理のメインは「松阪牛のシャトーブリアン」。このために300頭の松阪牛が使われた。その費用は2億円。もちろんテレビで生中継されて視聴率は34.9%を記録した。まさに「世紀の結婚式」だった。
しかし、穏やかだった結婚生活は沙也加さんが生まれた翌86年あたりまで。聖子は男性アイドルや人気俳優、米国人青年らとの交際が次々に報じられ、97年に離婚する。この間、聖子との交際を暴露したジェフ・ニコルスを単独インタビューしたこともあった。喜々として聖子との交際を語るジェフは虚栄心の塊のような青年だった。そんな騒動を幼心に見ていたに違いない娘の胸中はいかばかりだったか。
その後、母娘の確執が幾度も語られ、結婚を反対され、母親との葛藤は続いた。しかし、どんな事情があったにせよ、一粒種の沙也加さんが不慮の死を遂げた今、どんな思いが去来するのか、それこそ他人に推し量ることはできない。
そんな聖子が晴れがましい紅白のステージでは「赤いスイートピー」を披露することが決まっていたという報道もあった。
だが、「喪に服す」という言葉もあり、出場を辞退するという選択は妥当だったと思う。
(峯田淳/日刊ゲンダイ)