私はこのフリージャーナリストと相互フォローの関係なのだが、この「知的レベル」質問は非情に良かったと思う。殆どの記者はおべんちゃら質問ばかりではないか。権力に切り込む質問ができるジャーナリストは皆無に近い。他の記者もこのジャーナリストを見習えと言いたい。
立民代表選 吉田晴美氏が立候補へhttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20240907/k10014574451000.html… 7日午前、江田氏と吉田氏が再び議員会館で会談した結果、消費税の食料品への非課税などで一致したとして、候補者を一本化することで合意し、吉田氏が立候補することになりました。
小泉進次郎氏vsフリーランスの田中の件、ヤラセくせー。フリーランスの記者が質問できる機会なんて普通ない。フリーのやつが入れる感じも違和感を感じる。報道ってそういうふうにできてる。しかもあの会見はみんな神経尖らしてるから、普通誰かに止められる。またあの答えは優秀過ぎる。出来過ぎじゃね
患者(特に高齢者)が食事を口から取れなくなって回復の見込みがなくなった時、点滴を希望する家族は多い。
でも、「点滴」って本来は「回復し得る人のため」のもの。 例えば、ちょっとお腹壊したり風邪をこじらせたりして食事が食べられなくなった時に、一時的にこれを使い回復までの時間を稼ぎ体力維持するためには、最高の道具。
一方で、「戻ってくる見込みがない人」に、点滴を続けると悲惨。 水をからだに入れ過ぎれば、その水すら消費し切れずブクブクに浮腫み、痰が喉元に溢れてゼイゼイ言いながら死んでいく。
逆に、点滴を少なめにしても「生き延びられてしまう」 500mlの外液点滴(ほぼ栄養成分のない脱水予防の点滴)だけで1-2ヶ月くらいは生きられる。水で体の脂肪や蛋白質(筋肉)を分解してエネルギーをつくることができるから。
しかし、やがて消費する脂肪そして筋肉が無くなり命脈は尽きる。 最期は骨と皮だけの変わり果てた姿を見る。 「婆ちゃん痩せちゃったなあ」と側で看取る家族も辛い。
人生の最期の時間において本人も周囲も一番穏やかなのは、食べられるだけ飲めるだけのもので時を過ごす事。
徐々に脱水が進むことで意識がぼんやりし、やがて静かに眠り始め微熱(時に38度になる)を発し、眠り続けて眠り続けて程なく静かに息を引き取る。
人類の歴史は700万年あると言われるが、そうして自然死を迎えた私たちの祖先の今際の際が、そんなに壮絶で苛烈であったはずがない。
医療の名のもとで、この自然の過程に抗おうと余計な手出しをするようになって、この穏やかな死を邪魔するようになった。 死に際がこんなに苦しくなったのは、現代だけ。 自然は過酷にはできていない