「日本の儒教」に、面白い方からのトラックバックがはいり、サイトを拝見させていただきました。
世界三大宗教に突進したのは、本当に世界を知らないという、爆発的嫌悪感、憔悴感が、あったからかもしれません。(アフガン戦争の時に、全マスコミが手も足も出なかった。ぶざまだった。私たちにとって、世界史はまだ対岸の火事なのだろうか?江戸幕府の長い鎖国政策も終わり、明治維新と共にヨーロッパの知識が入ってきた。そして戦後の黙々とした努力の結果、焼け野原から経済大国といわれるまでになった。結果、人々は、今はどんどん世界に出ていけ、また出ていっているというのに、この有様は何だろう?ショックだった。あの時、都内の某所に集合した悲嘆にくれた全マスコミの有志と市民の出した結論は、専門家を信用するな、情報は自分で集めなければならない、だった。)
ピンポイント作戦でざっと項目を拾い上げる作業は、落としも多かったかもしれませんが、そこは割り切って、まずは切込みが大事、詳細は後からとやりましたので、大したことはなかったのですが、頭のなかに炭酸ガスが充満して、ばてました。特にヤクザや政治家の派閥争いから始まり、広く国内にみられるという「親分・子分」の記事には、毒気にあたり吐き気がしました。
社会を「親子」になぞらえて考える発想は、決して悪くはないと思います。ルソーの『新エロイーズ』にも理想の社会として出てきたような気がします。まあ、恋愛小説に、突如「理想の社会」がでてくるのは、ルソーらしいですけれど、そこが、よかった。それなのに、日本においては、どうして、支配・自己利益が中心のヤクザや政治家の派閥争いになってしまうんだろうか?
ああ、トラック・バックをいれてくださった方のサイトの感想でしたよね。面白く、拝読させていただきました。ドイツ語・哲学・ヨーロッパ系の方でしょうか?
まず、逃げに逃げていたヘーゲルの文字が目にはいり、吐き気がしていたところだったので、目がつぶれました。ちょっと、本箱を探ったら『歴史哲学講義』出てまいりました。名高い長谷川宏氏の訳には、うれしさのあまり、ちょっと目が開きました。
最初の凡例だけ読みました。
1~7までのうち、
3.訳文は平明達意を旨とし、日本語として読みやすい文章になるように心がけた。
4.原書が講義録であることを考えて、訳文は「です」「ます」体を採用した。
5.訳語は、いわゆる哲学専門用語のたぐいをなるべく避けた。たとえば、原書に頻出するSittlichkeint は、「人倫」の訳語をあてるのが通例だが、本書ではこの訳語はとらず、文脈に応じて、「共同体」「共同精神」「共同の倫理」「共同感情」「社会性」「道徳的」などの訳語をあてた。(私注:当方ドイツ語まるでダメ。だから、ドイツ語系の方には、ただがんばってくださいとしか言えません。)
6.原文は一段落がかなり長いが、本書では改行箇所を大幅にふやして、一段落を短くした。話の展開の多彩さをうかびあがらせることと、文章の理解を容易にすることとをねらいとした方策である。
7.章や節のたてかたにも多少の変更を加えた。
これだけ読んでも、感動しました。長谷川氏のようなことを言える翻訳者は、そう、なかなか居ないと思います。
ああ、「ヘーゲル」でしたね。あとは、『美学(講義)』『宗教哲学(講義)』が、とりあえず待っているようですね。でも後半の2著作は前者は長谷川氏の訳だが単行本しかないので、 あまりにも値段が高いし膨大な量のようだ。文庫本をだしてほしい。後者は長谷川氏の訳ではなさそうだし、やはり単行本しか出ていないので、ばかに高い。考えてしまう。ああ、トーマス・マンの『魔の山』も書いておられましたね。忘れてはいませんですよ。
そろそろ年貢の納め時でしょうか。読めばいいのでしょう。読めば.....
いつ読み終わるか知らぬが......
世界三大宗教に突進したのは、本当に世界を知らないという、爆発的嫌悪感、憔悴感が、あったからかもしれません。(アフガン戦争の時に、全マスコミが手も足も出なかった。ぶざまだった。私たちにとって、世界史はまだ対岸の火事なのだろうか?江戸幕府の長い鎖国政策も終わり、明治維新と共にヨーロッパの知識が入ってきた。そして戦後の黙々とした努力の結果、焼け野原から経済大国といわれるまでになった。結果、人々は、今はどんどん世界に出ていけ、また出ていっているというのに、この有様は何だろう?ショックだった。あの時、都内の某所に集合した悲嘆にくれた全マスコミの有志と市民の出した結論は、専門家を信用するな、情報は自分で集めなければならない、だった。)
ピンポイント作戦でざっと項目を拾い上げる作業は、落としも多かったかもしれませんが、そこは割り切って、まずは切込みが大事、詳細は後からとやりましたので、大したことはなかったのですが、頭のなかに炭酸ガスが充満して、ばてました。特にヤクザや政治家の派閥争いから始まり、広く国内にみられるという「親分・子分」の記事には、毒気にあたり吐き気がしました。
社会を「親子」になぞらえて考える発想は、決して悪くはないと思います。ルソーの『新エロイーズ』にも理想の社会として出てきたような気がします。まあ、恋愛小説に、突如「理想の社会」がでてくるのは、ルソーらしいですけれど、そこが、よかった。それなのに、日本においては、どうして、支配・自己利益が中心のヤクザや政治家の派閥争いになってしまうんだろうか?
ああ、トラック・バックをいれてくださった方のサイトの感想でしたよね。面白く、拝読させていただきました。ドイツ語・哲学・ヨーロッパ系の方でしょうか?
まず、逃げに逃げていたヘーゲルの文字が目にはいり、吐き気がしていたところだったので、目がつぶれました。ちょっと、本箱を探ったら『歴史哲学講義』出てまいりました。名高い長谷川宏氏の訳には、うれしさのあまり、ちょっと目が開きました。
最初の凡例だけ読みました。
1~7までのうち、
3.訳文は平明達意を旨とし、日本語として読みやすい文章になるように心がけた。
4.原書が講義録であることを考えて、訳文は「です」「ます」体を採用した。
5.訳語は、いわゆる哲学専門用語のたぐいをなるべく避けた。たとえば、原書に頻出するSittlichkeint は、「人倫」の訳語をあてるのが通例だが、本書ではこの訳語はとらず、文脈に応じて、「共同体」「共同精神」「共同の倫理」「共同感情」「社会性」「道徳的」などの訳語をあてた。(私注:当方ドイツ語まるでダメ。だから、ドイツ語系の方には、ただがんばってくださいとしか言えません。)
6.原文は一段落がかなり長いが、本書では改行箇所を大幅にふやして、一段落を短くした。話の展開の多彩さをうかびあがらせることと、文章の理解を容易にすることとをねらいとした方策である。
7.章や節のたてかたにも多少の変更を加えた。
これだけ読んでも、感動しました。長谷川氏のようなことを言える翻訳者は、そう、なかなか居ないと思います。
ああ、「ヘーゲル」でしたね。あとは、『美学(講義)』『宗教哲学(講義)』が、とりあえず待っているようですね。でも後半の2著作は前者は長谷川氏の訳だが単行本しかないので、 あまりにも値段が高いし膨大な量のようだ。文庫本をだしてほしい。後者は長谷川氏の訳ではなさそうだし、やはり単行本しか出ていないので、ばかに高い。考えてしまう。ああ、トーマス・マンの『魔の山』も書いておられましたね。忘れてはいませんですよ。
そろそろ年貢の納め時でしょうか。読めばいいのでしょう。読めば.....
いつ読み終わるか知らぬが......