《 「赤蜻蛉」はトンボの歌か?
「赤蜻蛉」を作曲した山田耕筰さんが旅の途中町を歩いていたらとてもいい曲が流れてきた。山 田耕筰さんは思わず足をとめて流れて来る曲に聴き入った。しばらくしてため息をつきながら言った。「すばらしい曲だ。こんないい曲をいったい誰がつくったんだろう」。一緒にいた人たちが驚いてしまった。「先生、何をおっしゃるんですか。これ、先生の『赤蜻蛉』じゃありませんか」。天才ってこういうものなんだろうね。
「赤蜻蛉」、曲もすばらしいが、歌詞がまたいいんだね。三木露風という明治二十二年生まれの詩人がつくった。兵庫県の龍野という町の人だ。まだ僕は一度も訪ねたことはないが、いつかかならず行ってみたい町だ。たぶん「赤蜻蛉」の歌詞の舞台となっている町にちがいないし、もし、そうでなくても、こんなすばらしい詩をつくった詩人のふるさとがどんなところか見たいものだ。今日は「赤蜻蛉」を読んでみよう。
「赤蜻蛉」 三木露風
夕焼、小焼の
あかとんぼ
負われて見たのは
いつの日か。
山の畑の
桑の実を
小籠に摘んだは
まぼろしか。
十五で姐やは
嫁に行き
お里のたよりも
絶えはてた。
夕やけ小やけの
赤とんぼ
とまっているよ
竿の先。
静岡県の磐田市に桶ヶ谷沼という池があって、有名なトンボの棲息地だ。行ったことはないが、 65シオカラトンボからミヤマアカネ、アキアカネ(これが赤トンボだ)、カトリヤンマ、ギンヤンマ、66ムカシヤンマ、オニヤンマ、ハグロトンボなど、それはたくさんのトンボがいるそうだ。その桶ヶ谷沼でトンボを守ろうという会があって、その席上、この「赤蜻蛉」の歌が歌われたそうだ。この例もご多聞に洩れずというところだが、「赤蜻蛉」というと、トンボの歌だと思っている人がほとんどではないだろうか。しかし、ほんとだろうか。まあまず、じっくり詩を読んでみてくれ。そして何をうたった歌なのか思ったところを聞かせてもらおう。
で、読む時に注意しなければならない言葉がいくつかある。それをまず押さえておこう。第三連にある「姐や」、これはお姉さんではないんだよ(お姉さんだったら大変なことになってしまうんだが)。これは子守りのことだ。多分十四歳ぐらいかな。名前は、ゆき、おゆきさんだ。それから第一連の「負われて」だが、これは「追われて」ではないね。文字通り「負われて」だ。おんぶされて、という意味だね。誰が誰におんぶされていたんだろう。さ、読んでみてくれ。さっき言ったように何をうたった歌なのか。
「負われて見たのはいつの日か。」「負われて」というのは誰が誰におんぶされている? そう、主人公だ。かりにまた正夫さんとしておこうか。おんぶされているのだから三つくらいかな。正夫さんが「姐や」つまり子守りのおゆきさんにおんぶされている。するとおゆきさんが言った。「正夫さん、ごらんなさい、あれが赤とんぼよ」。正夫さんは赤とんぼを見るのははじめてだった。きれいなトンボだなあと思った。しかし正夫さんは三つにしてはおませだった。赤とんぼの赤もきれいだったが、姐やの首も白い、と思った。それから姐やの背中はやわらかいなあ、とも思ったんだ。どういう奴だろう正夫くん。しかし今ではそれも「いつの日か」と言うしかない遠い日のことだ。
第二連。桑の実を知っているだろうか。濃い紫色をしている、けむしのように毛の生えているようなものもあれば、木いちごのようにつやつやしているものもある。小さい頃はよく食べた。おいしい。その桑の実を山の畑に摘みに行った。誰が? 誰と? もちろん正夫くんがおゆきさんと。桑の実はおいしかったが、それより正夫くんの目に焼きついているものがある。おゆきさんはかすりの着物に前掛けをかけていた。着物は少し短かった。短い着物からおゆきさんの白い足がまぶしかった。だが、今ではもうまぼろしのような遠い昔のできごとだ。
第三連。ところがおゆきさんは十五の時隣村の米作のところへ嫁に行ってしまった。正夫さんはその夜ふとんの中で泣いた。嫁に行ったおゆきさんから手紙が来た。「まさおさんおげんきですか。ゆきもげんきです。まさおさんはじき中学校のにゅうがくしけんですね。いっしょうけんめいべんきょうしてどうか合格して下さい。ゆきも毎日村のちんじゅさまにおまいりしておねがいしています」。その年の年賀状も来た。暑中見舞もきた。ところがその後手紙はぱったり来なくなった。年賀状や暑中見舞さえも来なくなった。ゆきの夫の米作がひどいやきもち焼きだったのだ。ゆきがいろりばたで鉛筆をなめなめ正夫への手紙を書いている。焼酎をチビチビ飲みながらいろりばたで焼い 67たにんにくを食べている米作がジロリとゆきを見て言う。「おめえ、誰に手紙を書いてるんだ、見せ 68てみろ!」「ウン? 誰だ、正夫様っていうのは!」
第四連。正夫さんは隣町の中学に合格した。寄宿舎に入っているのだが、今は夏休みで帰省している。今日は八月の二十八日。リーダーの訳も、代数の宿題もやってしまったし、国語の作文も書いてある。そろそろ明日あたり中学校の寄宿舎に帰ろうかしら、と縁側でぼんやり庭を眺めていた。するといたのだ。庭の竿の先に。おゆきさんの背中ごしに初めて見た赤とんぼと同じ赤とんぼが。正夫さんの胸の中に、おゆきさんへのせつない思い出がよみがえってくる。
三木露風の「赤蜻蛉」はけっして赤とんぼをうたった歌ではない。おゆきさんへの、正夫さんの淡い初恋の思い出の歌なのだ。正夫さんになったつもりで、三木露風作詞・山田耕筰作曲の「赤蜻蛉」を思いを込めて歌ってみようじゃないか。
おわりに
詩を読む、とは詩を発見することだ。詩を発見した喜びが、さらに深い読みに誘っていく。くりかえすが、「詩を発見する」ことこそ「読むこと」の出発なのだ。》
「赤蜻蛉」を作曲した山田耕筰さんが旅の途中町を歩いていたらとてもいい曲が流れてきた。山 田耕筰さんは思わず足をとめて流れて来る曲に聴き入った。しばらくしてため息をつきながら言った。「すばらしい曲だ。こんないい曲をいったい誰がつくったんだろう」。一緒にいた人たちが驚いてしまった。「先生、何をおっしゃるんですか。これ、先生の『赤蜻蛉』じゃありませんか」。天才ってこういうものなんだろうね。
「赤蜻蛉」、曲もすばらしいが、歌詞がまたいいんだね。三木露風という明治二十二年生まれの詩人がつくった。兵庫県の龍野という町の人だ。まだ僕は一度も訪ねたことはないが、いつかかならず行ってみたい町だ。たぶん「赤蜻蛉」の歌詞の舞台となっている町にちがいないし、もし、そうでなくても、こんなすばらしい詩をつくった詩人のふるさとがどんなところか見たいものだ。今日は「赤蜻蛉」を読んでみよう。
「赤蜻蛉」 三木露風
夕焼、小焼の
あかとんぼ
負われて見たのは
いつの日か。
山の畑の
桑の実を
小籠に摘んだは
まぼろしか。
十五で姐やは
嫁に行き
お里のたよりも
絶えはてた。
夕やけ小やけの
赤とんぼ
とまっているよ
竿の先。
静岡県の磐田市に桶ヶ谷沼という池があって、有名なトンボの棲息地だ。行ったことはないが、 65シオカラトンボからミヤマアカネ、アキアカネ(これが赤トンボだ)、カトリヤンマ、ギンヤンマ、66ムカシヤンマ、オニヤンマ、ハグロトンボなど、それはたくさんのトンボがいるそうだ。その桶ヶ谷沼でトンボを守ろうという会があって、その席上、この「赤蜻蛉」の歌が歌われたそうだ。この例もご多聞に洩れずというところだが、「赤蜻蛉」というと、トンボの歌だと思っている人がほとんどではないだろうか。しかし、ほんとだろうか。まあまず、じっくり詩を読んでみてくれ。そして何をうたった歌なのか思ったところを聞かせてもらおう。
で、読む時に注意しなければならない言葉がいくつかある。それをまず押さえておこう。第三連にある「姐や」、これはお姉さんではないんだよ(お姉さんだったら大変なことになってしまうんだが)。これは子守りのことだ。多分十四歳ぐらいかな。名前は、ゆき、おゆきさんだ。それから第一連の「負われて」だが、これは「追われて」ではないね。文字通り「負われて」だ。おんぶされて、という意味だね。誰が誰におんぶされていたんだろう。さ、読んでみてくれ。さっき言ったように何をうたった歌なのか。
「負われて見たのはいつの日か。」「負われて」というのは誰が誰におんぶされている? そう、主人公だ。かりにまた正夫さんとしておこうか。おんぶされているのだから三つくらいかな。正夫さんが「姐や」つまり子守りのおゆきさんにおんぶされている。するとおゆきさんが言った。「正夫さん、ごらんなさい、あれが赤とんぼよ」。正夫さんは赤とんぼを見るのははじめてだった。きれいなトンボだなあと思った。しかし正夫さんは三つにしてはおませだった。赤とんぼの赤もきれいだったが、姐やの首も白い、と思った。それから姐やの背中はやわらかいなあ、とも思ったんだ。どういう奴だろう正夫くん。しかし今ではそれも「いつの日か」と言うしかない遠い日のことだ。
第二連。桑の実を知っているだろうか。濃い紫色をしている、けむしのように毛の生えているようなものもあれば、木いちごのようにつやつやしているものもある。小さい頃はよく食べた。おいしい。その桑の実を山の畑に摘みに行った。誰が? 誰と? もちろん正夫くんがおゆきさんと。桑の実はおいしかったが、それより正夫くんの目に焼きついているものがある。おゆきさんはかすりの着物に前掛けをかけていた。着物は少し短かった。短い着物からおゆきさんの白い足がまぶしかった。だが、今ではもうまぼろしのような遠い昔のできごとだ。
第三連。ところがおゆきさんは十五の時隣村の米作のところへ嫁に行ってしまった。正夫さんはその夜ふとんの中で泣いた。嫁に行ったおゆきさんから手紙が来た。「まさおさんおげんきですか。ゆきもげんきです。まさおさんはじき中学校のにゅうがくしけんですね。いっしょうけんめいべんきょうしてどうか合格して下さい。ゆきも毎日村のちんじゅさまにおまいりしておねがいしています」。その年の年賀状も来た。暑中見舞もきた。ところがその後手紙はぱったり来なくなった。年賀状や暑中見舞さえも来なくなった。ゆきの夫の米作がひどいやきもち焼きだったのだ。ゆきがいろりばたで鉛筆をなめなめ正夫への手紙を書いている。焼酎をチビチビ飲みながらいろりばたで焼い 67たにんにくを食べている米作がジロリとゆきを見て言う。「おめえ、誰に手紙を書いてるんだ、見せ 68てみろ!」「ウン? 誰だ、正夫様っていうのは!」
第四連。正夫さんは隣町の中学に合格した。寄宿舎に入っているのだが、今は夏休みで帰省している。今日は八月の二十八日。リーダーの訳も、代数の宿題もやってしまったし、国語の作文も書いてある。そろそろ明日あたり中学校の寄宿舎に帰ろうかしら、と縁側でぼんやり庭を眺めていた。するといたのだ。庭の竿の先に。おゆきさんの背中ごしに初めて見た赤とんぼと同じ赤とんぼが。正夫さんの胸の中に、おゆきさんへのせつない思い出がよみがえってくる。
三木露風の「赤蜻蛉」はけっして赤とんぼをうたった歌ではない。おゆきさんへの、正夫さんの淡い初恋の思い出の歌なのだ。正夫さんになったつもりで、三木露風作詞・山田耕筰作曲の「赤蜻蛉」を思いを込めて歌ってみようじゃないか。
おわりに
詩を読む、とは詩を発見することだ。詩を発見した喜びが、さらに深い読みに誘っていく。くりかえすが、「詩を発見する」ことこそ「読むこと」の出発なのだ。》