とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

日本 3

2007年04月22日 07時06分14秒 | 地理・歴史・外国(時事問題も含む)
[現在主義]

 現世主義は,また現在主義である。現世すなわち日常的現実は,現に目の前にあるものの世界である。過去はもはやなく,未来はまだない。あるものの世界は,現在である。現在は次々に現れて,次々に去る,その現在の継起 (連続) が時間である。この時間には始めがなく,終りがない。したがって中点がなく,その時間を構造化することはできない。あるいは,無限の直線上のどの点も,すなわちいつの日の現在も中心点とみなすことができる。時間の流れの中で,真に現実的であり,真に重要なのは現在だということになるだろう。

 《古事記》は,おそらく大陸の神話の影響のもとで〈国生み〉について語るが,それは真に宇宙と時間の始まりを意味するものではない (その意味で旧約聖書の天地創造とは異なる)。また終末論がそこに含まれぬことはいうまでもない。日本の神話の中の時間は,その最も整理された形においてさえも,現在の継起――その無限の連続であった。

 このような時間の概念は,鎖連歌にも典型的に表れている。日本人の発明したこの集団的詩作の遊戯は, 13 ~ 14 世紀ごろから社会の各層に流行し,ほとんど国民的芸能になった。その要点は,付句のおもしろさにあり,付句は前の句との関係で決まる。前の句よりも先に何があったか,その後に何が来るかは,ほとんどまったく関係しない。前句と付句と併せての現在が,過去からも未来からも切り離され,それだけで完結した世界をつくる。そういう現在が鎖のように限りなく続いてゆくのである。

 またたとえば,尺八や三味線の音楽も,多くの人々が指摘してきたように,起承転結の全体の構造によって訴えるよりは,与えられた現在の〈間 (ま) 〉や複雑な音色によって勝負する。現在の感覚的内容がつくり出す迫力は,過去―現在―未来の関連する構造 (有限の演奏時間の知的構造) の全体から独立して,その場で発揮されるのである。

 日常生活においても,今日なお多くの日本人が好む表現は,不愉快な〈過去を水に流す〉ことである。それは一面で無責任の制度化を意味するとともに,他面では小集団内部での調和を保つために大いに役だちうる。個人的水準においてしかり,また大きな社会的水準においてもしかり。たとえば 15 年戦争の〈戦争犯罪〉に対する戦後日本社会の態度は,よくそれを示す。アウシュビッツの責任は,ドイツ人自身により法廷で追及された。南京虐殺の責任を追及する裁判は,日本人自身によって一度も行われなかった。もしそれが行われていたら,戦後日本には鋭く苦い対立が長く残ったかもしれない。しかしそれが行われなかったことが,責任をあいまいにし,したがって戦争の経験の意味をあいまいにしたのである。

 未来について,典型的な態度は〈明日は明日の風が吹く〉である。それは,未来が予測不可能であるということに対する一種の楽天的なあきらめである,といってよいだろう。それがあきらめであるのは,予測できない未来と不安感とは結びつかざるをえないからである。しかし楽天的でありうるのは,未来を忘れて現在を楽しむことができるからである。江戸の町人は,明日の大火を心配するよりも,今日の繁栄を楽しんでいたにちがいないし,東京の市民は,いつ起こるかわからぬ地震に備えるよりも,現在の身辺の雑事にまぎれていたにちがいない。たしかに明治政府には富国強兵の長期的な目標があった。しかしそれさえも,西洋帝国主義の圧倒的な軍事力が目の前に現れたのちでの,緊急の反応であったと考えることができる。のちの東条英機の政府に至っては,真珠湾を攻撃したときにさえも,その後で何をするのかというなんらの具体的な計画をもっていなかった。 〈明日は明日の風が吹く〉。しかしその風が日本側に有利に吹かなかったことは,いうまでもない。

 現在の経験は,まず感覚を通して与えられ,感覚的経験は,つねに特定の時点 (=現在) において生じるから,このような現在主義の一面は,ことに美味領域において,対象に対する感覚的洗練へ向かうだろう。日本の芸術的表現からその例を引くことは容易である。たとえば太棹の三味線のばちのさえは,その瞬間において複雑微妙を極め,恨みや悲しみや喜びを反映する人の声の質の千変万化に,かぎりなく近づく。これは西洋の鍵盤楽器によるフーガの構造的な音楽と比べれば,明らかに感覚的=情緒的である。またたとえば桃山時代の楽の茶碗,長次郎や光悦のそれの表面の性質と色調は,絶妙の変化とつり合いをそれ自身のうちに内包する。その複雑な温かさは,宋磁の冷たい輝きと端正な形から,はるかに遠い。いわんやマイセンの磁器の純白の表面とはまったく異なる。琳派の画面が,線と面と色彩のあらゆる絵画的要素を動員して,感覚的喜びを二次元の空間に封じ込めたことは,いうまでもない。代表的な歌舞伎芝居 (たとえば《義経千本桜》の話の筋は荒唐無稽であり,劇の全体はなんらの知的内容を含まない。しかし各場面は,感情的緊張を盛り上げるために巧みに設計され,多様な視覚的効果に豊富である。ゆえにシェークスピアの一幕のみを上演するということはけっしてなく,今日の歌舞伎は一幕か二幕のみの上演を原則とする。その一幕は,前後から離れて意味をもつからであり,その意味は,感情の高揚または感覚的効果の密度を内容とするからである。

 現在主義のもう一つの面は,日常生活における一種の実際的な態度である。過去にはこだわらず,未来の計画は絶対的価値によって束縛されることもないとすれば,現在の状況には実際的な見地から敏捷に対応することができる。平安朝の猟師は,《今昔物語集》が伝えるように,旅の途中で立ち寄ったムラの娘を,猿神への犠牲から救うために,身代りとなって山へ行き,隠し持った短刀を振るって猿を生捕りにし,ムラ人に示して,〈これはカミにあらず,ただの猿にすぎない〉と宣言する。目的は娘を救うことであり,手段は合理的で,行動は敏捷果敢である。その結果は偶像破壊的で,実際的である (彼は人心を掌握して,娘と結婚し,ムラに定住する)。

 元禄時代の大坂町人は,西鶴が描いたように,カミやホトケにはこだわらず,状況判断の正確さ,適応の速さ,みずからの努力によって金をもうける。西鶴の商人たちは,自己に有利に市場を操作するのではなく,彼の意思とは独立に変化する市場の動きを見抜き,その動きをすばやく利用する。環境を変えるのではなく,自分自身を変える。この態度は,環境の変化の予測が困難であり,たとえ望んでも,環境を操作することの困難な場合に,ことに実際的であろう。第 2 次大戦後の日本政府は,アメリカの〈中国封込め〉政策の続くかぎり,日中関係改善のために,ほとんどなんらの働きかけもしなかった。日本の外で,日本の政策とはまったく関係なく米中接近が起こり,極東の国際的環境が変化するや,その後 1 年もたたぬうちに,田中角栄内閣は北京の中国政府を承認した。現在主義の実際的な一面は,個人的な水準での〈その日暮し〉の楽天主義ばかりでなく,外交政策の特徴さえも,少なくともある程度まで説明するのである。

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