【労使関係(Industrial Relations System)と社会システムがどんなかたちになるべきか、アメリカと日本で追っかけています。スワローズファンでもあります。2014年11月に「『働くこと』を問い直す」岩波新書、を出しました。 2020年から大学の中の人になりました】(明治大学准教授)
あえていうとこれなんだろうな。 辻村江太郎(1977)『経済政策論』を根拠にすれば、企業特殊的な能力しかないと、労働者が一つの企業としか交渉できないので、交渉力が下がる。 だから労働市場を流動化させれば、労働者の転職コストが下がり、企業は手放したくないので賃金を上げる。
だけどなあ。 ミクロでアメリカ企業をみてるとどうやって転職してるか、なんだよなあ。 もしくはどうやって社内で転職するか、なんだよなあ。
転職の多くはリファラル,人づて。つまり、プロジェクトで関わっていて、「あいつはいいな」と思われると声がかかる。 社内ポスティングもそうで、まわりから認められてないと、推薦が得られない。
だから、社内からも社外からも引きがある場合、賃金が高まるので転職コストも下がる。 これが僕が調査でみてきた話。 この姿は企業特殊的というより、「プロジェクト人脈依存的」という方がしっくりくる。
じゃあ、その「プロジェクト人脈依存的」が外部労働市場で形成されんのか? というと、ちょっと違う気がするなあ。 プロジェクトそのものが、外部企業や外部人脈に頼らざるを得ないから、結果として、人間関係が企業外にも形成されるという。
企業特殊的技能というものが議論されてた時代と、現代のようにプロジェクトチームがベースになっているグローバル企業やテック企業の場合、 まずは部門を超えて社内のプロジェクトに参加できる人脈がないといけないという、この部分が無視されている気がするなあ。
だから、労働市場を流動化すれば人が外に出てくる、 というんじゃなくて、プロジェクト方式が進めば、企業外で評価が高まる人が産まれるが、その人をリテンションするために報酬を上げる、 こういうサイクルはあったとしても、
労働市場を流動化すれば(解雇しやすくすれば)、「プロジェクト人脈依存的」な人が賃金が上がって、外部労働市場を形成する、みたいなことにならない。 つまり、グローバル企業やテック企業のような競争力のある企業のミクロな人事管理が、やろうとしてるマクロの話とずれてんじゃないか?