私は医者もののドラマが好き。
命を題材として扱う、そして普段目にすることもない医療の最前線の様子は、フィクションであると分かってはいながらも、見ていてハラハラするのと同時に、命の大事さ、生きるということを意味をその都度考えさせられる。
私も昨年の2月、息絶え絶えに病院に連れていってもらったときには
『よくこれで生きていましたね。』
と医師に言われたことがあった。
弟に付き添ってもらい病院へ連れていってはもらったが、本人(私)は意識はあるけれど、全身の感覚が鈍くなっていて歩くのもやっと。
腹水が3L溜まっていて、下半身は浮腫みパンパンになっていた。
診断は肝硬変。
即入院、利尿剤とカリウムの錠剤を飲み続け、血液を正常値までに近づけるように日々を送っていた。
確か"アルブミン(AL)"とかいう物質が異常に低くなっていたような気がする。
約3ヶ月間の入院を終え退院。
………そして退院し、一年経った現在では、入院当時より体重は10㎏ほど落ちたけれど、身体の痛みなどはほとんどなく、日常生活を送ることが出来ている。
退院してからは内科の検診などは1度も行ってはいないので、その後の肝臓の状態は分からないけれど、肝硬変になってしまえばもう治らないと言われている。
分かりやすく言えば、レバ刺に火を通してしまえば元には戻らないのと一緒…みたいな感じ。
アルコール依存症者の平均寿命は52歳ぐらいと言われている。
あと何年生きることができるのだろう……
誰でも1度は漠然と考えたことがあるのではないだろうか。
ましてや病気や怪我などで入院の経験をしたことのある人なら尚更。
話が反れてしまったが、
今日のドラマの内容は"臓器移植"だった。
今まで数々の医療ドラマは観てきたけれど、脳死患者から臓器の摘出するシーンを描いたドラマなど、これまで私は観たことなどなかったので、少しカルチャーショックを受けている。。。
もし……
私の命の期限が言い渡され、「肝臓の移植をすれば助かりますよ。」……と言われたならば、私はその移植を望んでいただろうか…………
私ごときがテーマにするには重すぎるテーマなのは重々承知しているが、このブログは、自分が今感じていることを書き残しておきたいと思っているので御許しいただきたい。
医療の進歩は日進月歩。
でも……
すでに神が決めることの領域にまで、人間が踏み込んでいるように感じるのは私だけだろうか………
それによって助かる命もあり、終わっていく命もある。
ドナーとなる人の家族の想い。
レシピエントとなる人の家族の想い。
永遠に正しい答えなど出ない問題のように感じた。
形はどうであれ、人はいづれは必ず死ぬ。。。
死は恐い。。。当然わたしも。
なぜなら、経験したことがないから。
あー、なんだろ、そんなことを考えてたら少し鬱っぽくなってきた(>_<)
"もし明日死んでしまったとしても、悔いのないように今日を生きる"
………とか、聞くこともあるけれど、そんなに私は人間が出来てはいない。。。
その、"悔いのないように生きる"
ためには人のため、よりもまずは自分のために………
なぜなら、自分の為に一生懸命生きることのできない人は、他人(ヒト)の為にも生きることはできないと思うから。
偉そうに書いてはいるが、私も呑んだくれていたときには他人のことなど一切考える余裕などなかった。
不安……
絶望……
「オレが死んだら、誰かが少しは悲しむかもな………」
などと、人の想いなど考えず、無責任にそんなことばかりを考えていたように思う。
ドラマを観ながらある言葉が頭に浮かんできた。
"あきらめを
十分に用意しておくことも
人生という旅には必要だ"
アルトゥル・ショーペン ハウアー
今日のドラマはチョット私にはヘビーだったな………
命を題材として扱う、そして普段目にすることもない医療の最前線の様子は、フィクションであると分かってはいながらも、見ていてハラハラするのと同時に、命の大事さ、生きるということを意味をその都度考えさせられる。
私も昨年の2月、息絶え絶えに病院に連れていってもらったときには
『よくこれで生きていましたね。』
と医師に言われたことがあった。
弟に付き添ってもらい病院へ連れていってはもらったが、本人(私)は意識はあるけれど、全身の感覚が鈍くなっていて歩くのもやっと。
腹水が3L溜まっていて、下半身は浮腫みパンパンになっていた。
診断は肝硬変。
即入院、利尿剤とカリウムの錠剤を飲み続け、血液を正常値までに近づけるように日々を送っていた。
確か"アルブミン(AL)"とかいう物質が異常に低くなっていたような気がする。
約3ヶ月間の入院を終え退院。
………そして退院し、一年経った現在では、入院当時より体重は10㎏ほど落ちたけれど、身体の痛みなどはほとんどなく、日常生活を送ることが出来ている。
退院してからは内科の検診などは1度も行ってはいないので、その後の肝臓の状態は分からないけれど、肝硬変になってしまえばもう治らないと言われている。
分かりやすく言えば、レバ刺に火を通してしまえば元には戻らないのと一緒…みたいな感じ。
アルコール依存症者の平均寿命は52歳ぐらいと言われている。
あと何年生きることができるのだろう……
誰でも1度は漠然と考えたことがあるのではないだろうか。
ましてや病気や怪我などで入院の経験をしたことのある人なら尚更。
話が反れてしまったが、
今日のドラマの内容は"臓器移植"だった。
今まで数々の医療ドラマは観てきたけれど、脳死患者から臓器の摘出するシーンを描いたドラマなど、これまで私は観たことなどなかったので、少しカルチャーショックを受けている。。。
もし……
私の命の期限が言い渡され、「肝臓の移植をすれば助かりますよ。」……と言われたならば、私はその移植を望んでいただろうか…………
私ごときがテーマにするには重すぎるテーマなのは重々承知しているが、このブログは、自分が今感じていることを書き残しておきたいと思っているので御許しいただきたい。
医療の進歩は日進月歩。
でも……
すでに神が決めることの領域にまで、人間が踏み込んでいるように感じるのは私だけだろうか………
それによって助かる命もあり、終わっていく命もある。
ドナーとなる人の家族の想い。
レシピエントとなる人の家族の想い。
永遠に正しい答えなど出ない問題のように感じた。
形はどうであれ、人はいづれは必ず死ぬ。。。
死は恐い。。。当然わたしも。
なぜなら、経験したことがないから。
あー、なんだろ、そんなことを考えてたら少し鬱っぽくなってきた(>_<)
"もし明日死んでしまったとしても、悔いのないように今日を生きる"
………とか、聞くこともあるけれど、そんなに私は人間が出来てはいない。。。
その、"悔いのないように生きる"
ためには人のため、よりもまずは自分のために………
なぜなら、自分の為に一生懸命生きることのできない人は、他人(ヒト)の為にも生きることはできないと思うから。
偉そうに書いてはいるが、私も呑んだくれていたときには他人のことなど一切考える余裕などなかった。
不安……
絶望……
「オレが死んだら、誰かが少しは悲しむかもな………」
などと、人の想いなど考えず、無責任にそんなことばかりを考えていたように思う。
ドラマを観ながらある言葉が頭に浮かんできた。
十分に用意しておくことも
人生という旅には必要だ"
アルトゥル・ショーペン ハウアー
今日のドラマはチョット私にはヘビーだったな………