私が彼女と、そして子供たちとの同棲を始めた頃にも私には借金があった。
大手消費者金融プロ○ス
通常金利では返済していくことが難しくプロ○スと相談した結果、これからは返済のみという条件で金利を12%ぐらいにまで下げてもらうことができ、毎月給料日には欠かさず返済を続けていた。
給料日には四人で外食をすることが多く、食事前に無人契約機のあるATMへ行き返済をすることが多かった。
『とうちゃん、ここドコー?』
………と娘たち二人に聞かれていたが、適当にごまかしていたように覚えている。
その頃、元嫁は妊娠5ヶ月目ぐらいだった。だが、たまには二人でパチ屋に出掛けスロットを打っていたりした。
昨今問題になっている子供の車中放置………さすがにそんなことはしたことは無い。人としての常識はあったつもり。その時には孫二人が可愛かったジジ(元嫁の父)が二人を連れ出して出掛けていた時だったような気がする。
確か、あの頃は北斗、秘宝伝、番長などをよく打っていたような気がする。
そんな生活を続けてはいたが、私は毎月の返済は確実に続け、約2年で完済することができた。
やっと借金も終わったし、安心して子供を産めるよな、これならば。
『今までありがとう、そしてごめんな。』
彼女への感謝と謝罪を伝え、ホッとした。
しかし………
そう思っていられたのは束の間だった。。。
男の子が無事に産まれ、私の母、そして今は亡き私のオバちゃんはスゴく喜んでくれていた。
彼女の両親は無事に彼女の出産が終ったことは知っていながらも、やはり気まずい状態が続いていた為か、すぐ近くに住んでいながらも顔を出すことはなかった。
私は当時、どうしても彼女の両親だけは許すことが出来なかった。
なぜならば、妊娠4ヶ月が経過した頃に、一人で暮らしていた私の母の自宅に彼女の両親、そして彼女の姉、三人で訪ねて来ていたらしく、
『息子に子供をおろすように母親から説得しろ。』
…………と母は彼女の両親、姉の3人からキツく叱責されていたことがあったようだった。
私の母は三人に向かって冷静に
『二人の問題ですから、私から子供をおろすようには言えません。申し訳ありませんが、お帰りください。』
…………と言い返したらしい。
今考えてみれば、彼女(元嫁)には私には言えなかったツラい思いを抱えさせてしまっていたのかもしれない。。。
私は大嫌いだったが、彼女にとってみれば大切な両親。
だが当時の私は、その彼女の気持ちを理解してやれるような気づかいは無かったように感じる。
そんな状態ながらも、産まれてきた子供もスクスクと育ってくれた。
1歳の息子、小学生の長女と次女、そして毎日弁当を欠かさず作ってくれる嫁さん。
『家庭もうまくいっている。』
そう思っていた。
会社から帰宅すると、普段なら
『お帰りー!』という小学生の娘二人の元気な声がするはずだが、この日は珍しく誰もアパートには居ないようだった。
『なんだ、誰もいねーのか。。。』
仕方なく缶ビールを「プシュ」……と開け、キッチンの椅子に腰掛け一人でくつろいでいた。
『ん?なんだこれ。』
居間へ行くと、こたつの上に置かれていたメモ書きを見つけた。
「ずっと黙っていてごめんなさい。
パチンコをやめられない。借金も作ってしまいました。
今までありがとう。
さようなら。」
メモ書きにはそう書かれてあった。
大手消費者金融プロ○ス
通常金利では返済していくことが難しくプロ○スと相談した結果、これからは返済のみという条件で金利を12%ぐらいにまで下げてもらうことができ、毎月給料日には欠かさず返済を続けていた。
給料日には四人で外食をすることが多く、食事前に無人契約機のあるATMへ行き返済をすることが多かった。
『とうちゃん、ここドコー?』
………と娘たち二人に聞かれていたが、適当にごまかしていたように覚えている。
その頃、元嫁は妊娠5ヶ月目ぐらいだった。だが、たまには二人でパチ屋に出掛けスロットを打っていたりした。
昨今問題になっている子供の車中放置………さすがにそんなことはしたことは無い。人としての常識はあったつもり。その時には孫二人が可愛かったジジ(元嫁の父)が二人を連れ出して出掛けていた時だったような気がする。
確か、あの頃は北斗、秘宝伝、番長などをよく打っていたような気がする。
そんな生活を続けてはいたが、私は毎月の返済は確実に続け、約2年で完済することができた。
やっと借金も終わったし、安心して子供を産めるよな、これならば。
『今までありがとう、そしてごめんな。』
彼女への感謝と謝罪を伝え、ホッとした。
しかし………
そう思っていられたのは束の間だった。。。
男の子が無事に産まれ、私の母、そして今は亡き私のオバちゃんはスゴく喜んでくれていた。
彼女の両親は無事に彼女の出産が終ったことは知っていながらも、やはり気まずい状態が続いていた為か、すぐ近くに住んでいながらも顔を出すことはなかった。
私は当時、どうしても彼女の両親だけは許すことが出来なかった。
なぜならば、妊娠4ヶ月が経過した頃に、一人で暮らしていた私の母の自宅に彼女の両親、そして彼女の姉、三人で訪ねて来ていたらしく、
『息子に子供をおろすように母親から説得しろ。』
…………と母は彼女の両親、姉の3人からキツく叱責されていたことがあったようだった。
私の母は三人に向かって冷静に
『二人の問題ですから、私から子供をおろすようには言えません。申し訳ありませんが、お帰りください。』
…………と言い返したらしい。
今考えてみれば、彼女(元嫁)には私には言えなかったツラい思いを抱えさせてしまっていたのかもしれない。。。
私は大嫌いだったが、彼女にとってみれば大切な両親。
だが当時の私は、その彼女の気持ちを理解してやれるような気づかいは無かったように感じる。
そんな状態ながらも、産まれてきた子供もスクスクと育ってくれた。
1歳の息子、小学生の長女と次女、そして毎日弁当を欠かさず作ってくれる嫁さん。
『家庭もうまくいっている。』
そう思っていた。
会社から帰宅すると、普段なら
『お帰りー!』という小学生の娘二人の元気な声がするはずだが、この日は珍しく誰もアパートには居ないようだった。
『なんだ、誰もいねーのか。。。』
仕方なく缶ビールを「プシュ」……と開け、キッチンの椅子に腰掛け一人でくつろいでいた。
『ん?なんだこれ。』
居間へ行くと、こたつの上に置かれていたメモ書きを見つけた。
「ずっと黙っていてごめんなさい。
パチンコをやめられない。借金も作ってしまいました。
今までありがとう。
さようなら。」
メモ書きにはそう書かれてあった。