日々の生活は穏やかに過ごしているつもりだけれど、なんとなく落ち着かない日が続いていた。
しばらく行くのを見合わせていたAAミーティング………
先日、身内でのBBQの時に弟(三男)に言われた言葉も頭のなかに残っていたので、約一ヶ月ぶりにAAミーティングへ行ってみることにした。
会場にはミーティング開始30分ほど前に到着。
部屋に入るとチェアマン(司会)が一人でミーティングの準備をしていたので、互いの近況を話しながらの雑談。
私はこの雑談タイムが好きだ。
ミーティング最中には"言いっぱなしの聞きっぱなし"というルールがあるが、雑談では私の意見や考えに対して、その人の考え方などを気兼ねすることなく訪ねることが出来るし、その人の意外な一面も垣間見ることが出来る時もあるからだ。
チェアマンと雑談していると、一人、また一人と部屋に入ってきた。
本日は私を含めて5名でのミーティングだった。
「少ないな。。。」
………というのがぶっちゃけな感想だった。
去年の今頃、私がこのグループに繋がった頃には少なくとも7~8名ほどは会場に来ていたような気がする。
そんな中、見慣れない顔の人が私の隣に座った。
「ニューカマーか?」
…………と思ったけれど、どうやら違うらしく、 仕事の都合で暫くの間他県から来ているAAメンバーのようだった。
ミーティングではビックブック(書籍アルコホーリクス・アノニマス)の輪読を行い、その後、読んだ部分について、又は今自分が感じていることなどを仲間に聞いてもらう "分かち合い" が行われる。
そもそも何故"ビックブック"というのか?
普段のミーティングでの輪読や、自分自身で持っているビックブックは日本語に翻訳されている文庫サイズ。
しかし、アメリカから伝わってきているこのAAという団体。
なので当然ながら、その原本は英語で書かれている。紙の質なども当時は今と違い、とてつもなく分厚い聖書のような感じで出来ている。
なので通称"ビックブック"と呼ばれているらしい。
(数回だけチラッと見たことがあるけど)
去年、私のスポンサーは私にステップを引き継いでくれていた時、何気なくその原本を読んでいた。
私はその時に
『スゲー、読めるの?これ。』
とスポンサーに聞いたことがあったが、スボンサーは
『うーん、内容がチョット難しいけどね😃』
…………などとサラリと言っていたな、確か💧
なので、私は英語で書かれているビックブックの原本などは読んだことはない、…………というか
ムリ。。。読めん。
今日のミーティングでの分かち合いに戻るが、他県から来ていたその仲間は、度々
『えーと、これは文庫版には載ってはいません。
原本に書かれていたことですが…………』
……………などと言いいながら自分の話をしていた。
今日、何回そんなことを言っていただろうか、あの人。。。
貴方がビックブックについては、英語の原本も読んでいる博学な方なのは充分すぎるほど分かりましたので、もう原本の話は結構ですから
(-_-)ハァ
などと思いながら、その方の話を聞いておりましたよ。
まぁ、僻みと言えば、僻みかもしれないけれど、本日この場所にいる仲間のほとんどは原本など読んだことのない人達ばかりであり、チェアマンは「みなさんで輪読した部分についての分かち合いを」と言っている。
わざわざ文庫本には載ってはいないことを強調して話すことないのに……
「ムリだ、この人。同じAAの仲間ではあるけれど、絶対友達にはなれない(なりたくない)タイプだな。」
…………と、ぶっちゃけ思ってしまった。
今後これから、あの人と私は何回会うことになるのだろうか。
12ステップ、またミーティングを通して自分の過ちを見つめ、いかなる人に対しても寛容な気持ちで………
などとあるけれど、同じAAの仲間であっても、私の中では苦手なヤツは確かに存在する。
ま、私を含めて「自己中、自我の塊」のような連中の集まりだから仕方がないような気もするが……………。
だが、これはAAやGAに限っての話ではないと思う。
学校、会社、サークル活動、etc……………
世の中に出ればいろんな人がいる。
人を変えることはできない。
変えられるのは自分だけ。
イロイロなことに対して知識が豊かな人のことを私は個人的には尊敬している。
だが、その知識をわざわざひけらかすことにより、その人の器を露呈してしまっているのでは?
と、ふと感じてしまった今日の出来事。
知らず知らずのうちに、私自身もそんなことをしてしまっているのかもしれない。。。
さりげなく
がやっぱりカッコいい。
しばらく行くのを見合わせていたAAミーティング………
先日、身内でのBBQの時に弟(三男)に言われた言葉も頭のなかに残っていたので、約一ヶ月ぶりにAAミーティングへ行ってみることにした。
会場にはミーティング開始30分ほど前に到着。
部屋に入るとチェアマン(司会)が一人でミーティングの準備をしていたので、互いの近況を話しながらの雑談。
私はこの雑談タイムが好きだ。
ミーティング最中には"言いっぱなしの聞きっぱなし"というルールがあるが、雑談では私の意見や考えに対して、その人の考え方などを気兼ねすることなく訪ねることが出来るし、その人の意外な一面も垣間見ることが出来る時もあるからだ。
チェアマンと雑談していると、一人、また一人と部屋に入ってきた。
本日は私を含めて5名でのミーティングだった。
「少ないな。。。」
………というのがぶっちゃけな感想だった。
去年の今頃、私がこのグループに繋がった頃には少なくとも7~8名ほどは会場に来ていたような気がする。
そんな中、見慣れない顔の人が私の隣に座った。
「ニューカマーか?」
…………と思ったけれど、どうやら違うらしく、 仕事の都合で暫くの間他県から来ているAAメンバーのようだった。
ミーティングではビックブック(書籍アルコホーリクス・アノニマス)の輪読を行い、その後、読んだ部分について、又は今自分が感じていることなどを仲間に聞いてもらう "分かち合い" が行われる。
そもそも何故"ビックブック"というのか?
普段のミーティングでの輪読や、自分自身で持っているビックブックは日本語に翻訳されている文庫サイズ。
しかし、アメリカから伝わってきているこのAAという団体。
なので当然ながら、その原本は英語で書かれている。紙の質なども当時は今と違い、とてつもなく分厚い聖書のような感じで出来ている。
なので通称"ビックブック"と呼ばれているらしい。
(数回だけチラッと見たことがあるけど)
去年、私のスポンサーは私にステップを引き継いでくれていた時、何気なくその原本を読んでいた。
私はその時に
『スゲー、読めるの?これ。』
とスポンサーに聞いたことがあったが、スボンサーは
『うーん、内容がチョット難しいけどね😃』
…………などとサラリと言っていたな、確か💧
なので、私は英語で書かれているビックブックの原本などは読んだことはない、…………というか
ムリ。。。読めん。
今日のミーティングでの分かち合いに戻るが、他県から来ていたその仲間は、度々
『えーと、これは文庫版には載ってはいません。
原本に書かれていたことですが…………』
……………などと言いいながら自分の話をしていた。
今日、何回そんなことを言っていただろうか、あの人。。。
貴方がビックブックについては、英語の原本も読んでいる博学な方なのは充分すぎるほど分かりましたので、もう原本の話は結構ですから
(-_-)ハァ
などと思いながら、その方の話を聞いておりましたよ。
まぁ、僻みと言えば、僻みかもしれないけれど、本日この場所にいる仲間のほとんどは原本など読んだことのない人達ばかりであり、チェアマンは「みなさんで輪読した部分についての分かち合いを」と言っている。
わざわざ文庫本には載ってはいないことを強調して話すことないのに……
「ムリだ、この人。同じAAの仲間ではあるけれど、絶対友達にはなれない(なりたくない)タイプだな。」
…………と、ぶっちゃけ思ってしまった。
今後これから、あの人と私は何回会うことになるのだろうか。
12ステップ、またミーティングを通して自分の過ちを見つめ、いかなる人に対しても寛容な気持ちで………
などとあるけれど、同じAAの仲間であっても、私の中では苦手なヤツは確かに存在する。
ま、私を含めて「自己中、自我の塊」のような連中の集まりだから仕方がないような気もするが……………。
だが、これはAAやGAに限っての話ではないと思う。
学校、会社、サークル活動、etc……………
世の中に出ればいろんな人がいる。
人を変えることはできない。
変えられるのは自分だけ。
イロイロなことに対して知識が豊かな人のことを私は個人的には尊敬している。
だが、その知識をわざわざひけらかすことにより、その人の器を露呈してしまっているのでは?
と、ふと感じてしまった今日の出来事。
知らず知らずのうちに、私自身もそんなことをしてしまっているのかもしれない。。。
がやっぱりカッコいい。