嗚呼、まさに“巨星墜つ”の訃報が届いた。
東京新聞 2019年3月18日付記事
「内田裕也さん死去 希林さん亡くして半年 ~おくやみ」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/obituaries/CK2019031802000257.html
ロック歌手で映画俳優としても活躍した内田裕也(うちだゆうや)(本名雄也(ゆうや))さんが3月17日、
肺炎のため死去した。
79歳。 兵庫県出身。
葬儀・告別式は近親者で行う。 後日お別れの会を開く予定。
昨年九月に妻で俳優の樹木希林(きききりん)さんを亡くしたばかりだった。
10代でロックンロールに夢中になり、音楽活動を始めた。
日劇ウエスタンカーニバルなどを経て、1966年のビートルズ来日公演に前座の一人として出演した。
その後「内田裕也とザ・フラワーズ」のボーカルを経て「フラワー・トラベリン・バンド」をプロデュース。
ロックフェスティバルの開催に取り組むなど、日本のロックの普及に尽力した。
俳優としても活躍し、映画「水のないプール」「十階のモスキート」に主演。
「コミック雑誌なんかいらない!」「魚からダイオキシン!!」では脚本も手掛けた。
型破りな言動で知られ、強要未遂などの疑いで逮捕歴がある一方、
政治やボランティアへの関心が高く、阪神大震災や東日本大震災では被災地支援活動に携わった。
俳優の本木雅弘(もときまさひろ)さんは娘婿。
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東京新聞 2019年3月19日付「筆洗」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2019031902000144.html
日本語で歌うべきか、それとも英語か。
1970年にこんな対立があったそうだ。
「日本語ロック論争」である
日本のロックに独創性を加えるため日本語にこだわった大滝詠一さん、細野晴臣さんらの「はっぴいえんど」に対し、日本語はロックの音にはなじまないと強く異議を唱えた人がいる。
亡くなった内田裕也さんである。
若い人には樹木希林さんの夫で、やや風変わりな人物に見えていたかもしれぬ。
が、間違いなく日本のロックの土台を築いたお一人である。
英語で歌うべきだという当時の主張の裏にあったのは内田さんの世界戦略である。
日本にロックがあるなんて世界では誰も知らぬ。
世界に出るには英語で歌うしかない。 そう考えていた。
ビートルズ来日時に前座を務めた。
前座と言われると機嫌が悪くなった。
「前座」ではなく共演。 世界そして日本人であることを強く意識していた人だろう。
その成果として内田さんプロデュースの「フラワー・トラベリン・バンド」がある。
歌詞は英語。
それでいて強烈な東洋のにおい。
カナダでもヒットした『SATORI』(1971年)は今なお輝き続ける日本のロックの最高峰である。
Flower Travellin' Band - Satori Part II
私生活は安定を欠いていたかもしれぬ。
無謀な都知事選出馬もあった。
それも自由で何ものにもとらわれぬ内田さん流のロックの態度だったか。
79歳。
大音響のレコード盤が今止まった。
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こんな記事もあります。
週プレNEWS 2019年3月25日付記事
「シーナ&ロケッツ・鮎川 誠の追想する“内田裕也さんとの45年間”」
https://wpb.shueisha.co.jp/news/society/2019/03/25/108486/
では、在りし日の内田裕也さんの映像を観てみましょう。
内田裕也&1815ロックンロールバンド witrh クリエイション (ロックンロールメドレー)
その一方で、かなり衝撃的な映画に多数出演していました。 一例として、
1982年「水のないプール」
1983年「十階のモスキート」
1986年「コミック雑誌なんかいらない!」
「YouTube」で予告編が見られますが内容が過激で、人によっては嫌悪感を刺激するものなので
興味のある方だけ「YouTube」をご覧ください。
詳細は、ウィキペディア解説も参照ください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E7%94%B0%E8%A3%95%E4%B9%9F
曲に戻ります。
(36th)NYRF 2009 「ジョニーBグッド(ルート66)」
コミック雑誌なんかいらない/内田裕也&1815 Rock'n Roll Band
本当にロックンロールしてました。
「ロックはファッションじゃない、生き方だ」という言葉を地でやっていました。
お見事です。
そして、泣きのバラードも良いです。
内田裕也 - 朝日のあたる家(The House of the Rising Sun) NYWRF 40th(2012-2013)
代表的なアーチスト・アニマルズ・バージョン&訳詞はこちらをどうぞ。
「洋楽の奇妙な和訳」
https://blogs.yahoo.co.jp/subaru360yss/56192365.html
ここで、ひとくちメモを。
日本でギターを弾けるようなった者はよく「禁じられた遊び」(スペイン民謡)を弾きたがるけど、
アメリカではその「朝日のあたる家(House of Rising Sun)」を弾くそうだ。
テレビ東京「タモリの音楽は世界だ」(1990-1996)で有名なギタリスト:パット・メセニーが
ゲスト出演した時にそんな話をしたのを覚えている。
また、NHK教育テレビ「ミュージック・ポートレート」で樹木希林と寺田農(みのり)の対談で
「人生最後に聴きたい歌」というテーマで、希林さんが選んだ歌が内田裕也氏の「朝日のあたる家」を
選んだのだ。
7種 リクルート ゼクシィ CM 樹木希林 内田裕也 「家族になろうよ」
一時は離婚について裁判沙汰にまで発展したのですが、やはり希林さんを愛していたんですよね。
ほんとうに希林さんを追いかけるように逝ってしまったようです。
「ロックンロール!」
合掌。
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2019年3月24日付訪問者数:240名様
おつきあいいただきありがとうございました。
(怖い数字や……)
東京新聞 2019年3月18日付記事
「内田裕也さん死去 希林さん亡くして半年 ~おくやみ」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/obituaries/CK2019031802000257.html
ロック歌手で映画俳優としても活躍した内田裕也(うちだゆうや)(本名雄也(ゆうや))さんが3月17日、
肺炎のため死去した。
79歳。 兵庫県出身。
葬儀・告別式は近親者で行う。 後日お別れの会を開く予定。
昨年九月に妻で俳優の樹木希林(きききりん)さんを亡くしたばかりだった。
10代でロックンロールに夢中になり、音楽活動を始めた。
日劇ウエスタンカーニバルなどを経て、1966年のビートルズ来日公演に前座の一人として出演した。
その後「内田裕也とザ・フラワーズ」のボーカルを経て「フラワー・トラベリン・バンド」をプロデュース。
ロックフェスティバルの開催に取り組むなど、日本のロックの普及に尽力した。
俳優としても活躍し、映画「水のないプール」「十階のモスキート」に主演。
「コミック雑誌なんかいらない!」「魚からダイオキシン!!」では脚本も手掛けた。
型破りな言動で知られ、強要未遂などの疑いで逮捕歴がある一方、
政治やボランティアへの関心が高く、阪神大震災や東日本大震災では被災地支援活動に携わった。
俳優の本木雅弘(もときまさひろ)さんは娘婿。
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東京新聞 2019年3月19日付「筆洗」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2019031902000144.html
日本語で歌うべきか、それとも英語か。
1970年にこんな対立があったそうだ。
「日本語ロック論争」である
日本のロックに独創性を加えるため日本語にこだわった大滝詠一さん、細野晴臣さんらの「はっぴいえんど」に対し、日本語はロックの音にはなじまないと強く異議を唱えた人がいる。
亡くなった内田裕也さんである。
若い人には樹木希林さんの夫で、やや風変わりな人物に見えていたかもしれぬ。
が、間違いなく日本のロックの土台を築いたお一人である。
英語で歌うべきだという当時の主張の裏にあったのは内田さんの世界戦略である。
日本にロックがあるなんて世界では誰も知らぬ。
世界に出るには英語で歌うしかない。 そう考えていた。
ビートルズ来日時に前座を務めた。
前座と言われると機嫌が悪くなった。
「前座」ではなく共演。 世界そして日本人であることを強く意識していた人だろう。
その成果として内田さんプロデュースの「フラワー・トラベリン・バンド」がある。
歌詞は英語。
それでいて強烈な東洋のにおい。
カナダでもヒットした『SATORI』(1971年)は今なお輝き続ける日本のロックの最高峰である。
Flower Travellin' Band - Satori Part II
私生活は安定を欠いていたかもしれぬ。
無謀な都知事選出馬もあった。
それも自由で何ものにもとらわれぬ内田さん流のロックの態度だったか。
79歳。
大音響のレコード盤が今止まった。
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こんな記事もあります。
週プレNEWS 2019年3月25日付記事
「シーナ&ロケッツ・鮎川 誠の追想する“内田裕也さんとの45年間”」
https://wpb.shueisha.co.jp/news/society/2019/03/25/108486/
では、在りし日の内田裕也さんの映像を観てみましょう。
内田裕也&1815ロックンロールバンド witrh クリエイション (ロックンロールメドレー)
その一方で、かなり衝撃的な映画に多数出演していました。 一例として、
1982年「水のないプール」
1983年「十階のモスキート」
1986年「コミック雑誌なんかいらない!」
「YouTube」で予告編が見られますが内容が過激で、人によっては嫌悪感を刺激するものなので
興味のある方だけ「YouTube」をご覧ください。
詳細は、ウィキペディア解説も参照ください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E7%94%B0%E8%A3%95%E4%B9%9F
曲に戻ります。
(36th)NYRF 2009 「ジョニーBグッド(ルート66)」
コミック雑誌なんかいらない/内田裕也&1815 Rock'n Roll Band
本当にロックンロールしてました。
「ロックはファッションじゃない、生き方だ」という言葉を地でやっていました。
お見事です。
そして、泣きのバラードも良いです。
内田裕也 - 朝日のあたる家(The House of the Rising Sun) NYWRF 40th(2012-2013)
代表的なアーチスト・アニマルズ・バージョン&訳詞はこちらをどうぞ。
「洋楽の奇妙な和訳」
https://blogs.yahoo.co.jp/subaru360yss/56192365.html
ここで、ひとくちメモを。
日本でギターを弾けるようなった者はよく「禁じられた遊び」(スペイン民謡)を弾きたがるけど、
アメリカではその「朝日のあたる家(House of Rising Sun)」を弾くそうだ。
テレビ東京「タモリの音楽は世界だ」(1990-1996)で有名なギタリスト:パット・メセニーが
ゲスト出演した時にそんな話をしたのを覚えている。
また、NHK教育テレビ「ミュージック・ポートレート」で樹木希林と寺田農(みのり)の対談で
「人生最後に聴きたい歌」というテーマで、希林さんが選んだ歌が内田裕也氏の「朝日のあたる家」を
選んだのだ。
7種 リクルート ゼクシィ CM 樹木希林 内田裕也 「家族になろうよ」
一時は離婚について裁判沙汰にまで発展したのですが、やはり希林さんを愛していたんですよね。
ほんとうに希林さんを追いかけるように逝ってしまったようです。
「ロックンロール!」
合掌。
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2019年3月24日付訪問者数:240名様
おつきあいいただきありがとうございました。
(怖い数字や……)