住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
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四国遍路行記-28

2012年05月22日 13時45分21秒 | 四国歩き遍路行記
翌朝、6時前に目を覚ます。遍路中というのに、ご住職にすすめられるまま、十時半過ぎまで宴をしていたのに頭は意外と爽やかだった。住職は6時過ぎに本堂へ入られ一座の行法を修され、終えられてから、外の地蔵堂や石仏を拝みに行かれた。その後、私もお経を上げさせていただいた。

御本尊は高野山別院なので弘法大師であり、その前に大日如来像が安置されている。修法壇にも大日如来が厨子に祀られていた。須弥壇の周りはスピーカーやマイク、コードがからみ、器材類が所狭しと散在している。高野山の御詠歌の詠監さんと言って、とても高い地位におられることもあって、いろいろな行事をされていることが覗われた。

朝食は、トーストに玉子と生野菜。同期の友人は付属保育園のお迎えのバスを運転に出たので私もお暇した。出がけにお昼のおむすびと御接待まで用意して下さっていた。誠に申し訳ない気持ちに包まれながら、隣の五十五番南光坊へ向かう。

南光坊は江戸時代までは、大三島の別宮としてお参りされていたのであろう。隣に今でも別宮大山祇神社が鬱蒼とした森の中に鎮座している。寺伝によれば、大宝三年(703)に伊予水軍の始祖越智玉澄が文武天皇の勅命によって、航海安全のために大山積明神を大三島に勧請した際に二十四坊の別当寺を建立したのが始まりという。その後和銅五年(712)に行儀菩薩来訪の折、この地にそのうちの八坊を移した。

天正年間には八坊が全焼するが、その後今治城を藤堂高虎が築城の折、祈願所に定め復興された。明治初年の神仏分離令に伴い、大山祇神社の本地仏である大通智勝如来を南光坊に遷し、境内を分割したという。この如来は余り聴いたことのない仏だが、「法華経化城諭品第七」に説かれる如来で、お釈迦様の師にあたるとある。ゆっくりとお勤めをした後、御本尊の真言に迷った。とりあえず「南無大通智勝仏」と唱えたが、後から調べたら、「おん まか びじゃな じゃなのう びいぶう そわか」という聞いたこともないご真言があるようだ。

大師堂前のベンチには、お年寄りたちがのんびりと朝の散歩帰りなのか座られている。のどかな雰囲気に時間の経つのを忘れたかのような空間を感じる。開放感のある境内に別れを告げ、次なる泰山寺に向け歩き出す。JR予讃線の線路を越えて南西に進む。国道を越えて進むと右側上に綺麗な瓦の建物が見えてきた。

泰山寺は、珍しく弘法大師開基の寺である。大師が巡錫の折、この辺りを流れる蒼社川が氾濫し、田地、家屋、多くの人を流したことから、堤防を築き、七座の土砂加持を修して祈願したところ地蔵菩薩を感得したので御像を造り、お堂を建てたという。元は金輪山の頂にあったと言うが、兵火で焼かれ今はその麓に石垣を積んで境内としている。どの建物も真新しく瓦が白く輝いていた。少し早い気もしたが、別院でいただいた、おむすびを頬張る。そこへまたお遍路さんの団体が来て、御接待を頂戴した。

しばし休憩の後、五十七番栄福寺へ歩き出す。南東に道を取ると程なく蒼社川に出た。通りの下に河床を見ながら進む。山手橋を渡り山側に入ると程なく山の上に神社が見えてきた。そこを回り込んだところに栄福寺はあった。栄福寺も大師を開基とする。嵯峨天皇勅願によって瀬戸内海の海難事故を防がんと祈願したときに、海中から阿弥陀如来が顕現して、その姿をとどめる御像を彫像して、この府頭山の頂きに寺を建てたのだという。

その後、貞観元年(859)石清水八幡宮を造営せんとして行教上人が、宇佐に向かう折、海が荒れこの地に漂着して、府頭山を見ると石清水八幡を造営する地・男山に似ている、さらにそこに祀られる阿弥陀如来は八幡神の本地仏ということで、境内に勝岡八幡宮を建てたのだという。

現在、少し手狭に感じさせる境内だが、それも明治初年の神仏分離によって、お寺が山の麓の現在地に移されたためである。軒を貸して母屋を取られるという言葉通りの推移を表しているようだが、このような例はここだけの話ではなく、全国各所に見られるのは残念なことである。

ところで、行教上人は備後新市の出身、この人の弟がかの有名な本覚大師益信僧正であり、平安初期に最初の法皇となられる宇多天皇の出家の戒師並びに伝法灌頂の伝授阿闍梨となられた。東寺長者、東大寺別当、石清水八幡検校を歴任。後々の真言宗の事相法流の広澤流流祖としても崇められる方である。

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