住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

保坂俊司先生に学ぶ-真言宗大覚寺派教学講習会速記録

2010年03月12日 06時35分23秒 | 仏教に関する様々なお話
3月5日福山市のニューキャッスルホテルにて、真言宗大覚寺派中国教区(胎蔵寺住職竹原善生教区長)、平成21年度教学講習会が、比較宗教論がご専門の中央大学大学院教授保坂俊司先生を招いて『21世紀の仏活―癒しと鎮めの仏教の復活論』と題して行われた。先生には、『インド仏教はなぜ亡んだのか』『戒名と日本人』『癒しと鎮めと日本の宗教』など多数のご著書がある。当日は教区外からも沢山の参加者が詰めかけた。この場をかり、遠路はるばる私どものためにお越し下さり熱意溢れるご講演をなさって下さった先生に心より御礼申し上げます。以下に要点を速記した原稿を掲載させて頂きます。(なお各章のタイトルは筆者が便宜上付けたもの・誤り誤記等はすべて筆者に責任があることを明記する)



心の荒廃をもたらしたもの

お寺のお堂や門が荒廃するのはすぐに分かることでもあり、それを復興することはたやすい。しかし、形のないものはどうか、たとえば、宗教などの信仰や人々の共通に大切にしている思い、心の荒廃はわかりずらくその復興はとてつもなく難しいものであろう。

今日本の国は10年も続けて自殺者が年間3万人を超え、10年間では30万人もの人が亡くなっている。さらには何万人もの社会的な基盤を失ってホームレスになってしまった人々もいる。勝ち組負け組という言葉があり、高級車に乗りブランド物を惜しげもなく身につけている人たちがいる一方で、負け組となって社会の掃き溜めのような扱いをされている人々がいる。

昔だったら、おそらく、そうした人々が何らかの救済、それは地域であり、宗教の力によって救われていたのではないか。イラクで日本人の若者が惨殺されたとき、それは自己責任だと言われた。政府の要人がそういう発言もなした。しかし、それに対する批判は聞かれなかった。

だが、国家とは、本来国民一人一人の生命を守るものであり、それが本義であるべきなのに、そうした本来の立場さえ忘れ去られている。そこには、国家レベルでも個人レベルでも、人に対する思いやりの心を忘れている、ないがしろにしているということを如実に表していると言えよう。

母親が子供に食べ物を与えずに餓死させる、昔だったら鬼女と言われるようなことをしている。まさに今の日本はそんなことが日常茶飯事となり、地獄の様相を呈している。まさに冷たい戦争状態にあるのではないか。経済の停滞ということもあるが、それよりも、心をおろそかにして、経済第一、拝金主義が蔓延している。

明治以後、排仏そして嫌仏主義のもとに仏教の教えが忘れ去られ、大国に並ぶため経済さえ良ければいい、自分さえ良ければいいという精神が、人々の心に他を思いやる気持ちをおろそかにさせてきた。経済の良かった時代にはその歪みが見えにくく問題視されていなかっただけなのかもしれない。

しかしそもそも、今私たちが使う宗教という言葉は、明治以降キリスト教などの教えを意味するRELIGIONを訳したときに用いた言葉で、それ以前に宗教と言えば、深い教えを言葉に表したものを言い、仏教ではそれぞれの宗派の教えを意味していた。しかし明治以降、宗教という言葉は、キリスト教的な神が中心にあり儀式儀礼を伴う教えを意味するようになった。

明治政府は、その中に神道は含まれないという見解を取り、神国日本にとって神道こそが国民の崇敬すべきものであって、仏教、キリスト教などの宗教は、迷信であり、呪的なものであり、それは弱い者、おんな子供など水準以下の者がするものであると国民に教え込んでいった。それは初等教育の道徳の教科書などにより広く流布していった。

こうした近代における歪められた宗教観を私たちは教え込まれ今日に至っているということさえ全く認識していない。そのことがまずもって大きな問題なのである。その終結となるのが先の大戦であり、だからこそ私たちは、戦後宗教に対する関心を端に置いて、経済の復興、国際的な地位の向上だけにばく進することなった。だから今の私たちは、宗教の体系的な見方を全く知らないし、知ろうともしないのだと言えよう。

仏教文明論

では宗教とは何か、特に仏教とは何かと言えば、それは、一つの文明なのであると言えよう。保坂先生は仏教を文明として捉える考え方が大切なのだと言われる。日本では葬式法事、仏事のための仏教のように誠に限定した見方しかされないが、本来の仏教は、政治理念、経済活動、芸術文化までを含む一つの大きな文明として捉えられるものなのだという。

日本は国家の形成期にすでに仏教があり、聖徳太子は、四方極宗(よもおおむね)と言って、当時のグローバルスタンダードとして仏教を採用し、国際レベルの国家形成をはかるために、仏教と一体となって国造りがなされた。仏教伝来時には日本の神と抗争したかに言われるが、それは豪族の権力争いに利用されたに過ぎず、死にまとわれた存在だった日本の神は仏教にその穢れを救って欲しかったのである。

気が枯れることを穢れとも言うが、仏教に本来穢れはなく、または穢れそのものとも言える。本来修行僧は死体置き場で瞑想するよう指導されたのであり、その身にも糞掃衣という糞にまみれた布で作った袈裟を纏った。神々、人々の死の穢れを引き受け、清らかにしていったのが仏教であり、その根底にはすべての者に価値を認め、立場を与えるという理念があった。

そうした考え方を政治理念として、聖武天皇により大仏が造られ諸国に国分寺が造られて国を統一した制度の下で機能させていく方針がとられた。さらに立派な堂舎建築の技術、経典になる紙や筆墨の製法、仏像仏具を造る精密な金属加工、木工技術、法要に用いる歌舞音曲や仏画などの絵画芸術に至るすべての当時の先進文化技術を仏教によって取り込むことが出来た。こうして仏教の教えを中心にして国家が形成されたのである。

さらに三宝の奴と言われる天皇は、すべての者の頂点にありながら、最底辺にあった民すべての苦しみを引き受けた。飢饉疫病によって国土が荒れ民が苦しみ疲弊するのは自らの徳が薄いからであるという思いを持っていた。そうした政治理念も当然仏教の慈悲、自他同置という教えのもとに醸成されたものだった。

正しいと思っているのは自分だけではない、自分を他者の立場で眺め自分を客観視して他を認め、よいところを評価する、自分も絶対ではないかもしれないという思いを持つ。そういう自己を客観視するためにも空(無我)という教えがあり、何物も切り捨てることなく総体としての幸せを考えた。その共通原理に基づいた経済、社会、文化を形成していく。その中心に、仏教があったのである。

明治時代の宗教観の変化

明治以前の日本はこのように仏教一色だったので、何が仏教なのか、何がありがたいのかも分からなくなっていたと言える。今日では葬式法事仏事にきわめて限定されたものとしか見られない仏教だが、遙かに大きな広がりのある総合的なものとして捉える必要がある。では、なぜ今日のように仏教を限定的なものと捉えるようになってしまったのであろうか。

明治時代はある意味革命であり、世界の列強によって圧迫されていく世界情勢の中で日本の国が生き残りをかけて国力を集約する意味からも、また薩長による政権交代に権威付けする意味からも日本の国の伝統ある天皇の後ろ盾が必要であった。そこでそれまでの幕府の統制に荷担し民衆掌握のために国家の官吏の役割をはたしていた仏教を排除して、神道を国教化して、近代国家形成のために西欧の思想文化を採用していった。

だから仏教は、すぐれた宗教観念としての一神教ではない多神教であり、呪術にまつわれた野蛮な教えと貶められた。しかしはたして一神教とはいかなるものか。一神教には二つの捉え方があり、それは「一神多現教」と「排他的一神教」と表現できる。一神多現教とは、ヒンドゥー教などのように一つの原理、法の下に多くの神々が現れていると考える宗教であり、多くの神々が化身、または権現として現れるが、それらも大きくは一つの神と見る。

一方、排他的一神教とは、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などのように、唯一の神をたて他を排除する宗教をいう。しかしキリスト教は三位一体と言い、カトリックはマリア様などの多くの神を認めている。だからイスラム教徒はキリスト教は多神教であると考えている。神道は、明治時代初めには大教と言ったが、明治政府が他の宗教と違うものと認識させるために神道と言うようになった。しかし仏教を否定した明治政府も後にキリスト教が蔓延するとの懸念から限定的に仏教を認めていったのである。

仏教の特質

しかし本来仏教こそ道であり、法であった。だから、本来は仏道、または仏法と言った。単なる教えなのではなく、一生を通しての行、生きる道として捉える必要がある。仏教はインドの教えであるが、インドでは最大時で人口の三割ほどが仏教徒だったと言われるが、実際はその双璧としてあるヒンドゥー教徒とかなり重なり合いヒンドゥー教徒でありながら仏教徒でもあるという人々が多くあった。日本人の多くが仏教徒でもあり神社の氏子でもあるというのと似ている。

では仏教とヒンドゥー教と何が違うのであろうか。仏教は絶対平等のもとに社会を作った。しかしヒンドゥー教は階級社会、カーストを規定し、不可触民は輪廻転生できず、寺院にも立ち入ることが出来なかった。しかし仏教は、人の価値は生まれではなく、行いによって決まるとされた。これは当時インドでは革命的な教えであり、一つの道徳運動、自分にも周りにも多くの人々のためになる経済、政治、芸術活動によって、仏教による一つの社会が出来ていった。その代表たる存在がマウリヤ王朝のアショカ王であり、すべての民の底辺を支える者として自分を位置づけ、民衆のためのアショカと言った。

日本でも、それを歴代天皇が体現し、世界でも最大の仏教外護者として天皇があられた。だからこそ、京都の御所は塀一つの無防備とも言える構造にもかかわらず、軍勢も盗賊もほとんど侵入することがなかった。民衆から敬われ、守られてきたのはそうした信仰心、仏教に基づく民を思いやる御心あったればこそであったと言えよう。

ところで、仏教は、インドでは都市住民に浸透していくが、生まれたときから仏教徒なのではなく、改めて自らが決めて改宗して仏教徒になる改宗宗教である。しかし江戸時代には幕府の檀家制度によって家の宗教となり生まれてから仏教徒と認識されるようになってしまった。しかし明治4年に氏子調規則が制定され、日本人は生まれると誰もが神社の氏子になるとされた。

インド仏教の変遷と衰滅

ところで、インドの仏教は、紀元前後に大乗仏教が現れ、民衆化していく。西アジアからの影響もあり、僧侶だけが救われるというのは納得できない在家信者たちが日常生活の中の行体験から悟りの階梯に進む、つまり救いの平等の要求であったと言えよう。そこでは様々な救いの道を新発見してきた。だからこそ中国日本において様々な人々が仏教を受け入れる素地となった。

そして、その民衆化した仏教がさらにより民衆に近い形で理念を説こうとすると、インドにあっては当然のことながら教化の対象であったヒンドゥー教の人々に合わせて説くことになるのであり、それが密教であった。だから、仏教のヒンドゥー教化は避けがたいものであったが、それが最高の到達点であったと見ることも出来る。

それはインドの社会の変化に伴う当然の変容であったと言えるが、それを仏教の堕落と見る向きもある。非合理で非理性的な教えに堕したとの受け取り方を特に明治以後になされたが、その見方自体が、東洋的ではなく、近代西欧の理性というもの、つまりカント的な、言葉で合理的に納得できるものを指すからであるが、本来宗教とはそのように言葉ですべてを説明できるものではない。言葉で仏教が分かるというものではない。必ずそこには行、実践が必要であるように、より実践と体験を重視する密教に仏教は移行していった。

七世紀頃のインドには沢山の小国があり仏教僧と王が仏教を中心に統治していた国々があり、ヒンドゥー教の国と対立を生んでいた。そうした中にイスラムが侵攻していく。711年に初めてイスラム軍のインド侵入があり、ヒンドゥー教の国々はこれと闘うが、仏教徒の国では、仏教や社会を守るためであっても、暴力を用いたり、血を流すことは戒律に反するとして闘わず、特に西インドの仏教国はイスラムに飲み込まれていった。

仏教の精神がそこまで浸透していたかと驚くほどであり、当時のインドにあった一つの仏教文明として彼らが何を重視したのかを良く表した事例であると言える。こうして13世紀初頭には仏教はインド社会から衰滅したとされるが、今日でもヒンドゥー教徒たちが菜食を尊重し、非暴力を賞賛することに仏教精神が彼らの中に生きていると見ることが出来る。

今日インドでは仏教徒はごく一握りの存在と見なされがちだが、実際には、戦後インド憲法を起草した、ネルー政権の初代法務大臣で、アウトカーストであったアンベートカル氏が、世界の様々な宗教を研究して最も人類の平等を説く仏教が優れた教えであるとして、同じマハールの人々30万人とともに宗団改宗をして、今日も増え続け、インドでの仏教徒は今日、公称で700万人、実際には3000万人とも言われるようにインドで仏教は息を吹き返しつつあるといえる。

仏教に救われた日本

1951年、サンフランシスコ講和会議で日本は連合国四カ国に分割統治されようとしていた。しかし、スリランカ代表ジャヤワルダナ蔵相の演説によってそれをまぬがれることが出来た。悪魔の国と罵られた日本に対し、彼は、怨みは怨みをもって消え去るものではなく、愛によってのみ消え去るものであると法句経第5偈を引用して、日本には仏教がある、長年彼らとの関係をそれによってつなぎ、諸大臣から僧侶、庶民に至る国民が、今も偉大な平和の教師ブッダの影響の元にあり、さらにそれに従おうと欲しているという印象を受けた。だから、日本を許しすべての賠償を放棄するとの演説をなした。その演説にインド、パキスタンが同調して国際社会から孤立し窮地に追い込まれた日本は救われたのであった。

日本は戦後仏教によって救われたのである。だからこそ今の繁栄がある。それなのに今私たち日本人はまったくと言っていいほどにこの事実を忘れ、仏教に対して無関心無視を決め込んでいる。仏教こそが唯一平和な教えである。仏教だけが世界に広まるときに暴力軍事力を用いずに浸透していった唯一の宗教である。お釈迦様は現地語で教えを語れと言われた。キリスト教は一千年にわたって翻訳はなされず、イスラム教は未だにアラビア語以外の聖典は認めていない。つまりアラビア語圏しか対象にしていないということだ。

日本は古来この仏教の平和思想に基づいた国造りがなされてきた。聖徳太子に始まり歴代天皇がそれを継承した。それを破ったのが明治政府であり、仏教を捨ててから多くの戦争をする国となってしまった。廃仏毀釈によって、七割八割の寺院が廃寺となった。明治四年には46万か寺あったとも言われるが、現在はわずかに7万か寺である。

日本における仏教の性格

明治4年には修験道が廃止になっている。神仏を融合し自然の中にその実践活動の場を見いだした修験道は、すべてのものに価値を見いだし、その役割を認め多元的世界観を表現するものとして存在したが、それはそのまま本来の仏教が持っていた性格であり、それを体現するものが密教であった。

すべてのものがそのままで意味あるものと捉え日本の神々も不可欠のものとして、その思想体系の中に入れて調和ある社会、精神世界を醸成した。それが日本仏教の姿だったが、鎌倉時代には切り捨て主義とも言える専修仏教、念仏、禅、題目などに絞られた一行主義が流行したが、それはキリスト教で言えばプロテスタント的なものであった。

そもそも仏教は、お釈迦様が成道されたあと誰に説いてもこの境地は理解されまいと思われたのに梵天がやってきてこの世の中には煩悩が薄い者もあり教えを垂れることによって悟れるでありましょうとの進言により仏教がある。いわゆる梵天勧請があって仏教が生まれた。つまり、他の刺激によって開かれていく教えであり、他の者を自らのために役立て、また他を生かしていく教え。他の言葉、神、地域に応じて教えを説いていく。他のすべての価値を認め、それらすべてを対象にして教えがある。

このような、たぐいまれなすべての者に優しい平和な教えである仏教を否定したのが明治政府であり、それは維新と言われる前には御一洗、一新と言った。仏教にまつわる旧弊を洗い流す、一新するのだとの意味があった。神道を国の教えとして仏教を貶めたもののキリスト教が猛威となると手のひらを返したように仏教をごく限定的に認めていく。

その仏教は、西欧の近代科学思想を学んだ人々によって好まれた、つまりプロテスタント的な一行主義の鎌倉仏教が珍重され、総合仏教である密教、特に真言宗は貶められ、その祖である弘法大師は仏教学者たちの世界での立場を失っていった。しかし戦後京都学派の湯川博士らが日本における最も才能あふれる人物として弘法大師に注目したが、これからの日本社会には空海の思想、密教的なる世界観が不可欠であろう。

世界に求められる仏教

人は自分が良くあるために必ずその世界観を必要とする。もともと日本人はその世界観を仏教に求めてきた。だからその世界観、理想の世界観を表したものとして寺院があった。それは仏菩薩の世界であり、浄土の世界であり、死後の救いの世界であった。インドでもヒンドゥー教もシク教も寺院とはそのような作りとなっている。

本堂は救済のモデルルームであり、人々はそれを見て、何事かを体感して日々の苦しみの中にあっても安心を得て救われていった。仏教のすばらしさに安堵した。そして仏法を学び仏道としての実践の中に人生を位置づけていった。他を助けともに先に進むことを考えた、皆一緒にという考え方があった。

仏教は自らの意志で入門し自分で歩んでいく。自らの行いによって救われていくもの、だから、僧は救いのガイドであり、導き手として存在する。私たちは今、恵まれた国に生きてはいるが、仏教という我々の先祖が持ち合わせていた心臓をもぎ取られてしまったことに全く気づいていない。そこに心の荒廃、修羅のような、餓鬼のような、地獄のような世間が現出している。

信のみでよいとする教えは簡単のようだが、それに徹することはそう簡単なことではない。イスラム教は、信仰と義務を要求するが、それは一生かけて休むことを許されないものだ。一日5回の礼拝と一年一回28日間の断食は、休めば地獄に堕ちるとされる。それは自分で決めることも許されない。浄土教的な絶対的な信も同じこと。

それよりは自分で決めて日々行じて少しずつ上っていける本来の仏教の方が優しい教えといえる。いろいろな意味ですぐれている仏教を自信をもって人々に勧め、教え施して欲しい。草の根レベルでの寺院僧侶の力なくしては仏教の復興はあり得ないのであるから。

仏教は、まさに平和の教えであり、誰にも門戸を開放している。今日でも仏教圏ではほとんど争いがない。世界に目を転じれば、ガンジーさんの非暴力に学んだマーチンルーサーキング牧師を尊敬するオバマ氏は、世界に平和をもたらさんとしているかに見える。そしてまた、鳩山現日本政府も友愛を掲げて人々に優しい政治を標榜している。回りまわって新しい仏教的な発想が世界を変えようとしていると言えよう。

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コメント (3)
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