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住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

仏飯御茶湯の効用

2025年04月26日 13時17分16秒 | 仏教に関する様々なお話
仏飯御茶湯の効用




毎朝、鐘をついて仏飯、御茶湯を三十数ヵ所差し上げ、燈明お線香を灯しお勤めする。5時に鐘をついて、お勤めが始まるのが5時25分。もうこれを毎日、土日祭日なく25年間続けているだろうか。午後にはそれらを下げて、香華など明日のお勤めの準備をするのは、毎日の日課。

皆さんも仏壇にお供えしお勤めされていると思うが、皆さんのご家庭でも何十年と続けられていることだろう。勿論御供えは仏飯御茶湯に限られたものではなく、常に花は勿論、果物や饅頭などもあがっているとは思うが。

毎日換えられるのは仏飯御茶湯であろうか。毎日毎日、なんで御供えするのだろうか? 習慣になり、何でなどと考えることもないかもしれない。お母さんに言われたとおりしてきて何の疑問も感じずにしているかもしれない。

四恩という言葉がある。様々な解釈があるようだが、一般には父母・国王・衆生・三宝の四つとされる。だから、まず第一には私たちが恩を感ずべき対象である亡き父母への供養のためということもある。

お釈迦様は、善き人、良識ある人の立場とは、自らの恩恵に気づいている人だと言われた。自らがいまこうしてあるのは誰のお陰か、何によっていまにいたっているのかと、考えたとき、いまは亡き先祖、御縁有った人々ということになろうか。お寺では先師、歴代住職、そしてお寺を守ってきてくれた檀信徒、その先祖代々、そして本尊様、仏様方ということになる。

そうした皆様に、毎朝少しずつの仏飯ではあるが、今あることの感謝の気持ちを顕す、今あるのは自分たちの力でなどないのだと確認する意味でも大切な行いであろう。

そうして行う功徳が自らの善業となりよい未来をもたらし、よき家族身内の幸福繁栄をもたらすということになる。

報恩謝徳という言葉があるが、それは単に対象となるお世話になった人や神仏に対するばかりか、四恩の中に衆生とあるように、ありとあらゆるものたちのお陰でいまあることへ思いをはせ、感謝を捧げることを含むのではないか。とても幅広い意味として受け取るべき言葉であろう。

つまり、この言葉からは、生きとしいけるものがよくあって欲しい、幸せでありますようにという思いが自然と湧いてくるものであろう。そこには国や人種や宗教も、年も性別も関係ない、人も動物も昆虫も微生物も、化生も、あらゆるいのちがよくあって欲しいそういう差別のない思いを作る言葉であるとも言えようか。

家に仏壇や神棚がない方もあるだろう。それでも、日々先祖や亡き父母に感謝の気持ちを表すために、何かお供えするような習慣はあった方がよいだろう。家に祀るものがなければ近くのお寺神社に詣るとか、仕事の合間に通りかかった寺社に参ったり。

昔親兄弟を立て続けに亡くされた方があって、自然と亡き人たちの戒名を紙に書いて棚に置き、毎朝出がけに手を合わせていたという。それから、そこに何か御供えを置くようになり続けていたら、自然と自分が何かあっても守られていると感じるようになったと言われていた。その方はその後末期のガンにもなるのだが、そのお蔭か奇跡的に最先端の医療者と出会い、痩せられはしたが今も元気に活躍されている。

そんな先祖や周りの生きとし生けるものに感謝するなど当たり前ではないか。そう考える人もあるだろう。また、心で思っていたら良いと言われる方もあるかもしれない。が、やはり形に顕して初めて果報が期待されるものではないだろうか。これからも毎朝の仏飯御茶湯をひとつ一つ大切に御供えさせてもらおうと思う。


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大日如来とは何か2

2025年04月23日 11時06分23秒 | 仏教に関する様々なお話
大日如来とは何か2




同じような話をいくつ書けば気が済むんだと言われそうだが、先月のことにはなるが、大日如来とは何かと話をした際に、皆さんキョトンとされていたのを思い出し、仏さんってどうなのって言う感じで気楽に書きはじめてみたい。

みんな、それぞれに仏さんに対する思いは違い、それぞれ信じられているように、そのままに信仰されるのが本当は一番なのだ。昔チベットのお坊さんが、こんな話をしていたのを今も思い出すのだが。毎日観音様の真言を唱え歩いているお婆さんが居て、頭の上を見れば観音様がずっと見守っておられたという。

だが、そのお婆さんの真言を聞くとどこかおかしい。それであるとき、いやいやそれはこう唱えるのだと間違いを正してあげたら、その正しい真言を唱えながら歩き出したお婆さんの上から、それまでいた観音様の姿が消えていたという話。正しい真言を唱え、それがしっくりとそのお婆さんの真言になっていけばまた観音様が現れるということもあるかもしれないけれども、その人なりのお唱え、仏さまへの向き合い方を尊重すべきということなのだろう。

仏さんとは私たちに救いをあたえ、願いを叶えてくれるものと思い、そこで仏さんとは、形あり実在するものと思ってしまう。だが、もともと仏さまは真理真如と一つになった者のことのことだそうで、お釈迦様は真理真如を発見し、そのものとなられ悟られた。つまり仏とは真理真如のことであり、悟りの智恵であり、それによるご利益、働きのことだということになる。

実在した仏さんはお釈迦様だけであり、お釈迦様はこの世の真理を発見され悟り、それを集まりきたる弟子や有縁の人々に教えた。それが仏教の教えとなっていく。お釈迦様は三法印といわれる仏教の標示たる無常・苦・無我の真理、縁起とも空とも言われる法、真理を発見され、私たちにもそれを見つけられるように教え諭されたのだ。心経に言うように、すべてのものが空であり、空だから存在しているという。

悟った弟子は沢山いたが、そうした事例も含め、仏滅後400年大乗の教えが興起すると、様々な教えが展開して、各々の智恵働きご利益が名前をもらって、沢山の仏菩薩を誕生させ、○○如来、○○菩薩となる。悩み苦しみ困りはてた人がきても、少しお釈迦様の言葉を聞いただけで救われ安心し満ち足りて帰る。そして、その人が亡くなった先まで心配されて一言二言アドバイスされる。そういうお釈迦様の智恵、教え、働きが各々様々な仏さまに姿を換えていったのだ。

誰でも癒されてしまう徳はお薬師さまとなり、観音さまなら人々の心の声を聞いて身近な存在に姿を換えてお救いくださるというように。阿弥陀さんなら、亡くなった信者を救ってあげよう浄土に迎えてあげようという慈悲心が形になったものであろう。そうして、お釈迦様の智恵、教えが、それぞれの仏さんとなる。その様々な仏さんの総体となるのがヴィルシャナ如来、大日如来であり、お釈迦様の真理真如に基ずく教え、その真理の言葉が虚空に満ちていると考え、その全体を体とするもの。

そして、大日如来の真言でもあり、また仏菩薩すべての総呪と言われるご真言に光明真言がある。「オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン」という。これはインドの聖典語サンスクリット語ではあるが、中国に来て漢字で表記され、さらに日本語なまりになった読み方で、本来の読み方は、「オーン・アモーガ・ヴァイローチャナ・マハームドラー・マニ・パドマ・ジュヴァラ・プラヴァルッタラ・フーン」となる。

オーンは、聖なる音で、神仏に御供えをするようなときに唱えられる呼びかけの言葉。アモーガは、空しからざる。ヴァイローチャナは、遍照なる大日如来のこと。マハームドラーは、どの仏さんも特徴的な手の組み方があるけれども、それを印相といい、マハーは大きなという意味で、マハームドラーで大印あるものとなり、偉大なる働きをなす者という意味となる。

マニは、摩尼宝珠という言葉があるように、宝珠のことで、願いを叶え、福寿安楽をもたらすことを意味する。パドマとは、蓮花のことで、蓮のように汚れの中にも穢れなき花が咲くように、世間の中に清らかな仏の心を有すること。ジュヴァラとは、光明のことで、永遠に光り輝く智慧を表す。プラヴァルッタラは、転ぜしめよとの意味で、迷い穢れを転じて悟りに至ること。フーンは、力を込めて祈り願うこと。

この光明真言にある、大印と宝珠と蓮花と光明は、つまり、仏さんとは、偉大な働きであり、宝珠のように願いを叶えて下さり、清らかな存在であり、永遠なる輝く智慧を有するということであろう。光明真言が総呪であることから、これらはすべての仏さんに共通するお徳、特徴とも言えようか。どの仏さん菩薩さんも、そのお姿に表れるように、働きを表す印を備え、願いを叶えてくれて、蓮花に乗り、光背を有する存在なのであるから。

けっして、遠く離れたところにおられるととらえずに、森羅万象も、作られたものも、私たち生きとしいけるものも、こうした仏さん方の働きやその智慧、真理により存在し、その因果応報の真理のままに生きている。つまり仏さんは身近な存在であり、私たちの心の中にあるとも言える。実はそう思って、そう自覚して、そう思えるようになったら、つまり仏さんと実感できたら、それが即身成仏といわれるのだとか・・・。


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四国遍路とは何だろう

2025年04月20日 19時33分22秒 | 仏教に関する様々なお話
四国遍路とは何だろう



先週18日東京のお寺の御開帳法会に参加させてもらいました。一時間ほどの法会のあと恒例の四国霊場のお砂踏みをしました。きれいにお寺の名前が書かれた一尺四方ほどの布団に御砂を入れられ、一番札所から八八番へ、そして最後に高野山の御砂を踏んで結願となる御砂踏み霊場が本堂内陣に特設されていて、参詣の皆様と共に御宝号をお唱えしつつ歩きました。

実は、こちら國分寺でも十年ほど前までは4月の21日にお砂踏みをしていました。本堂内外陣にぐるっと八十八箇所のお砂を置いて掛け軸をその前に取り付けて、護摩供の後皆さんで御宝号を唱え巡っていました。

また、30年も前になりますが、実際に四国を歩いて遍路したのも4月でした。4月の後半から、一度目は36日、二度目は39日かけて歩きました。その間車の御接待なども受けたりしましたから、それがなければ余計に三、四日は要していたでしょう。そんなこともあり、4月になると四国霊場を思い出し、またゆっくり歩きたいと思います。

二度目に歩いて遍路したとき、妙絹尼を愛媛の番外札所・鎌大師に訪ねたことがありました。お四国病で尼にまでなってしまいました、そう言われてました。関東から毎年、春になると四国にきて、公共のバスや電車で近くまで行き、あとは歩いて遍路するという方法で歩かれた方でした。気がつけば尼になり、縁あって鎌大師の庵住さんになられていたとか。

団体参拝のバスや車での巡拝は点を結ぶ巡拝ですが、歩いて巡ると、線となり面や立体として四国のお参りを体感することができます。お大師さんが歩かれた道であり、その前には行基さんや沢山の修験者、数数え切れないお遍路さんたちが修行した道です。そうした古の遍路行者たちの霊気をいまも感じられる遍路道を踏み歩くと、ふとタイムスリップして、現実世界から抜け出したように感じられるものです。

今もお遍路さんは菅笠をかぶり白装束に金剛杖をもって歩きます。バスで巡拝する方々も同様に皆さん白装束で参るのが慣習となっています。これはご存じのとおり、死装束で、杖は途中で息絶えたら墓標にしました。そうした昔からのお遍路さんのスタイルが今に伝わっているのですが、それはどういうことかと言えば、四国遍路とは、つまり生き直す、生まれ変わるための旅だったということです。お大師様への信仰心ばかりか、生きるのに疲れ、人生に絶望し、救いを求めて訪れる人も多かったことでしょう。

だから四国巡拝はいまも絶大な人気があり、人々の関心を失わないのではないかとも思われます。海外からも精神世界に関心のある方たちが歩きに来る場所でもあります。私も以前インドのリシケシで出会った外国の人とばったり遍路道で出会ったこともありました。

遍路道を歩くと、四国の人たちは何かしら御接待として、果物や菓子、飲み物を下さったり、時には小銭をそれらにのせて下さったりします。それは自分ができない遍路を外から来てして下さっているお遍路さんへの、供養であり、賛同する気持ちを添えられています。日常を離れ、四国に来て信仰をもって修行する、遍路する人に対する励ましであり、同じ気持ちをもって生きていることを表すものなのかもしれません。

私たちも時に日常を離れ、自分ひとりになり、ものを考える、人生を振り返る、日頃の我のあり方に思いをはせる、そんな時間が必要ではないかと思います。毎日の生活に埋没して、あっという間に年をとっています。気がつけば還暦をすぎて、年金までもらう年になってしまいます。生きるとはなにか、どういうことなのか、静かに人生を振り返ることも必要であろうかと思います。

旅は誰かと何人かで行きたいと思い勝ちですが、四国の遍路は、特に歩き遍路は一人で参ることをお勧めします。一人になり考える、考えて考えて何も考えられなくなり、ただ足下だけを見て歩く、そうした体験もよいものです。

私ももう一度ゆっくり四国を歩いて遍路したいと思います。




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備後國分寺だより 第70号(令和7年4月6日発行)

2025年04月11日 08時40分01秒 | 備後國分寺だより
備後國分寺だより 第70号(令和7年4月6日発行)




令和六年十月十三日  
ふくやま美術館特別展「ふくやまの仏さま」記念法話
『仏さまとの出会い方』
〈後編〉


ここまで、ご覧いただいた仏さまについて、少し整理してみますと、まず、形のある仏さまと教えなど形のない仏さまがあり、形のある仏さまでも、ご像としてあるものと心の中でイメージする仏さまもあるということです。

ご像としてご覧いただいたのは、大日如来像、弘法大師像、インドの様々なお釈迦様のご像、藥師如来像と見ていただきましたが、他にも、たとえば観音様、お地蔵様、阿弥陀様と、沢山の仏さまがおられるわけです。

ですが、そのすべての始まりはと考えますと、お釈迦様ということになります。お釈迦様の悟りがなければ仏教の教えもなかったのです。

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そこで、なぜ仏さまは人の心を引きつけるのかと考察するにあたり、まず、すべての仏さまの大本であるお釈迦様とは、そもそもどのようなお方であったのかと、歴史を簡単に振り返ってみたいと思います。

主に、ご誕生とお悟りになる晩の思索、それに説法されるいきさつの三つについて見てまいります。

お釈迦様は、二千六百年ほど前の人です。日本の歴史では縄文時代の最晩期となります。西暦では紀元前六世紀半ばに、現在のネパール領ルンビニで釈迦族の王子として、お釈迦様はご誕生になります。

過去世で何回も生まれ変わる中で徳を積み、前世で十波羅蜜という修行を完璧に成し遂げられ、その功徳により、悟りを開くためにインドの地にお生まれになられたと考えられています。

生まれたとき、すぐに立ち上がり七歩歩いて「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)、我は世界の最年長者であり、これは最後の生まれである」と言われたとされています。(中部経典123『希有未曾有経』参照)

七歩というのは六道の輪廻の世界から一歩踏み出すということです。

生まれたばかりなのに最年長者であるというのは、未だ悟った人のいない時代に、最初に輪廻からの解脱(げだつ)を果たすので自分は生まれ変わることがないけれども、他の人は皆生まれ変わるのであるから、誰よりも年長なのであるという意味の言葉として伝えられています。

そして、お釈迦様は、王子として跡取りが生まれるのを確認して、二十九歳でお城を出て出家しています。ルンビニ近くのカピラ城からガンジス河中流域のマガダ国の都ラージャガハへ歩いて行かれ、二人の仙人について瞑想を習い、その後、呼吸を止めたり断食したりと六年間の苦行をなされます。

その後、尼連禅河(にれんぜんが)で沐浴し、スジャータ村の娘から乳粥を供養され体力を回復されます。そして、現在のビハール州ブッダガヤで禅定に入り、お釈迦様は最高の悟りを得られ、成道(じょうどう)を成し遂げられたとされています。三十五歳のときのことでした。

この、お悟りになる晩、お釈迦様はどのような思索をなされたのか。これはとても大事なことであると思えますが、なぜか日本ではあまり取り上げられることがありません。

まず、お釈迦様は、深い禅定に入り、最初に思念されたのは、自らの過去世でした。何万回ともいわれる過去世での名前、家族、食べ物、善かったこと、苦しかったことなどを回想していかれたのだそうです。

つぎに、他の人々がどのように死に変わり生まれ変わるのかと、その様子を見て、それは業によって、つまりその人の行いによって、しかるべき生まれとなることを見ていかれたとされています。

そして最後に、苦について、煩悩について思索し、煩悩がどのように生まれ、どうしたら消えていくのか、その全容を解明されると、智慧を生じ、煩悩がなくなり、解脱を果たされたということです。(中部経典36『大サッチャカ経』参照)

この誕生と悟りに至る伝承は、私たちに何を教えてくれているのでしょうか。

私が思うには、誰もが過去の行いにより、今ある自分に生まれるべくして生まれ、あるべくして今があり、未来を導くものとして今をいかに生きるべきかということが大切なのであるということだと思います。

そして、この三世にわたる善悪の因果応報なる理を知り、善い行いを重ねて生きよと教えられていると受け取ることが出来るのではないかと思っています。


ところで、ここまでのお話で、輪廻とか過去世という言葉が何度となく登場してまいりましたが、違和感をお持ちの方もおられたかもしれません。

今日、日本仏教では、このことに触れないという申し合わせでもあるかのように避けられています。

ですが、ここに持ってまいりました英国のオックスフォード大学出版の『Buddhism a very short introduction』「第3章Karma and Rebirth」の冒頭には、今申し上げた、お悟りの晩にお釈迦様が何回もの過去世を回想されて悟られた事蹟を紹介されています。

また、ブライアン・H・ワイスさんというアメリカの医師は、退行催眠によって患者の過去世を回想させることで様々なストレス障害を治癒させている事例を『前世療法』(PHP文庫)という本で紹介されていますし、日本でも産婦人科医の池川明さんは、『前世を記憶する日本の子供たち』(ソレイユ出版)という本を出されています。是非参考にしていただければと思います。


そして、お釈迦様は悟られた後、この深遠な真理は普通の生活を送る人々には悟ることが難しいと考えられ、説法することを躊躇されています。

ですが、そこに、インドの最高神梵天が現れて、「貴方が法を説かなければ、この世は闇に覆われてしまいます、貴方の教えを聞けば教えを理解し悟れる人も居りますから」と説法を乞われます。

三度逡巡された後、天眼通(てんげんつう)で世の中を見回すと、欲深い人ばかりではなく、皆様のように仏さまの話を聞いてみようという人が沢山居られることを知り、世の中の人々の幸せのために法を説くことを決意されるわけです。(中部経典26『聖求経』参照)

ここでは、他者の申し出を拒絶するのではなく、受け入れ共存するという平和な関係を保ちつつ、その法は、この世界の人々に光をもたらし、誰もが明るく幸せになれる方法を教えて下さっているのだということが解ります。

そしてこのことに表れているように、仏教の教えは寛容で、差別なく、誰をも受け入れ、包容力ある教えであり、すべての生命の幸せを願う教えとなるわけです。

その後、先ほど申し上げたサールナートで、最初の説法をなされて仏教の教えが始まります。

そして、四十五年間お釈迦様は弟子や出家者、一般の在家信者にも法を説かれたと言われます。そして、沙羅双樹に囲まれたクシナガラの森の中で八十年の生涯を閉じられています。

最後の言葉は「すべてのことは過ぎ去っていく、疾くつとめよ」と、この世の無常なるがゆえに修行にしっかり励みなさいと言い残されています。

ところで、お釈迦様の生きている時代は勿論ですが、歿後三百年ほどは仏像はありませんでした。釈迦の一生を仏塔の欄干(らんかん)などに掘る様なときには、菩提樹や法輪を描き、お釈迦様を表現していました。有り難すぎてお姿はとても作ることが出来なかったのです。

その後、西暦紀元前二世紀頃より、西域からペルシャ人、ギリシャ人、クシャーン族、フン族など異民族がインド北西部に侵入し、ガンダーラ地方などに新しい国を作ります。

その影響で、多民族を統治するイデオロギーとして、「空(くう)」というスローガンのもと、自らを絶対視せず、互いに他者を尊重する、差別のない普遍的な思想として大乗仏教が展開し、大量の経典を作り、沢山の仏さまを誕生させていきます。

実際に実在する仏さまはお釈迦様だけですから、お釈迦様の悟りの智慧を分け与えられて、様々な物語が創作され、沢山の仏さまが作られていきます。そして、西域の文化の影響により仏像も制作されるということになります。

その膨大なお経と仏像が、中央アジアを経由してシルクロードを通って中国、朝鮮、そして日本にやってきます。西暦五三八年、欽明天皇の時代に、百済の聖明王が仏教を伝えたとされ、仏教公伝と言われます。

初めは朝鮮、中国の仏師の指導により造られた仏像も、次第に日本独自の技が究められて、今日に至っています。

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では次に、その形ある仏さま、つまり仏像とは何かということについて考えてみたいと思います。

実はインド僧の時に、私のインドの師で、教団の総長をされていたダルマパル大長老に、どうして仏像があるのかと尋ねたことがあります。一言、「仏像があったからこそ仏教が世界に広まったのだよ」と言われました。仏像のお蔭で信仰の対象があるという事は多くの人が信仰に入りやすいということだと思います。

ですが、仏像は、単なる信仰の対象ではないと私は思っています。

たとえば、多くの人々の信仰をあつめる観音様は、衆生の悩み苦しみの心の声を聞き、その人の居る場所に現れてお救い下さるという慈悲の仏さまですから、そのご像は、とてもやさしげで清らかな存在として多くの人があこがれを持つわけです。

ですが、正式なお名前を観世音菩薩というように、大乗の菩薩として、自ら悟りに至る前に、人々に慈悲をもって仏の道に導き、彼岸に渡ってもらうという役割があります。これを「自(おの)れ未だ度(わた)ることを得ざるに先(ま)づ他を度す」と言います。

彼岸とは悟りの世界の比喩的な表現であり、私たちの居る此岸から彼岸にある悟りの世界に誘い、最終的にはお釈迦様同様のお悟りを開いてもらいたいというのが、菩薩の願いです。

ですが、それは、菩薩だけの話ではなく、如来も同様で、そのために法を説かれているのです。

このように、大乗仏教の教えにより、沢山おられる仏菩薩明王などの仏さま方は、それぞれに役割や持ち味に違いはありますが、根本の部分では、お釈迦様がお悟りになられた事蹟を踏襲(とうしゅう)され、信仰する人々に、どんなに時間がかかったとしても、お釈迦様のように最高に安らいだ心、悟りの心にいたってもらうのだという願いをもって派遣されている存在であると言えます。

そのため、仏教は信仰だけではなく実践を大切にするわけです。

ですから、皆様の中には、仏さまを信仰されて、誰に言われるまでもなく、お寺などに行かれて、礼拝し、お経を習い、唱え、意味まで知ろうとする方が居られます。写経や坐禅といったものを熱心にされている方もあります。

が、それはどういうことかと言えば、ただ手を合わせ懺悔(さんげ)し願うというのではなく、実践ということを誰に言われずともなされているということです。

それは、少しでも功徳を積み、自らもよくありますように、願いが叶いますようにというお気持ちもあるかもしれませんが、それは確実に仏さまの所に近づいていく功徳ある実践であり、仏さま方の願いに叶うものであると言えます。そうあってこそ、また、願いもお聞き届け下さるのではないかと思います。

そして、その時、仏さまは、皆様にとっての導き手としてあり、生きる手本として存在しているのではないかと思うのです。

ですから、仏さまの座り方や身体の安定、表情や安らいだ顔を見たとき、心が改まり、手を合わせると同事に、ご自分もそのようにありたい、そういう心境になりたいという思いも生じているのではないでしょうか。

そしてさらには、そのお姿や表情のように、自分も身を整えてみる、心静かに何も考えない時間を楽しんでみる、そうした修養のために手本となるのが形ある仏さま、仏像ではないかと思います。

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それでは、最後に、もう少し本質的な話になりますが、そもそも仏さまとは本来何かということについて考えてみたいと思います。

皆さん、「山川草木悉皆成仏(さんせんそうぼくしっかいじょうぶつ)」、または「草木国土悉皆成仏」とも言うようですが、このような言葉を聞いたことがありますか。山も川も草木も、つまり森羅万象みな悉く成仏している、みんな仏なんだという意味の言葉です。

これは中国の仏教で言われるようになり、日本でもこの言葉を受け入れるようになったとされ、環境問題の会議で突然登場することもあるのだとか。

どうしてこんな事が言えるのか、私には長いこと理解できなかったのですが、あるとき閃(ひらめ)きまして、仏とは法を説く者だとしたらどうかと思ったのです。

自然界のものたち、たとえば、川のせせらぎや風の音、木の葉が落ちたり、海の波も、それらはすべて自然の摂理のそのままにあり、そうありながら、何事かを私たちに語りかけてくれています。自然界の法則、真理というものを見せてくれています。

それを見たり聞いたりした人はそこに自然の摂理や真理を見て何事かを悟ることができるのではないか。それは無常であったり、無我など、そのものの移り変わっていく姿を悟らせてくれるものだと言えます。

そう考えますと、自然界のすべてのもの、森羅万象は真理を見せ語りかけ悟らしめてくれる存在であり、つまり仏であると言いうるのではないかと思ったのでした。

そして、真理のままにある自然が仏なのですから、本来、仏さまとは、真理である法を説くと同事に真理そのものを顕しているということになろうかと思います。

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以上、ここまで、なぜ仏さまは人々の心を引きつけるのかと考察を進めてまいりました。

すべての仏さまの大本であるお釈迦様の足跡をたどり、仏像とは何か、また仏さまとは本来何かとたずねてまいりました。

仏さまとは、私たちがいかに生きるべきかを示して下さり、他者と共存する平和な教えを説く者であり、信仰し実践する人の手本でもあり、真理を顕していると見てまいりました。

ですが、本当は、そういう有り難い存在であると、漠然とかもしれませんが、皆様、わかっているからこそ、そのお姿、表情に強く引きつけられるのではないでしょうか。

冒頭に申し上げたとおり、仏さまとこう出会わなければいけないなどということはありません。皆様がそれぞれに望まれるように出会われたらよいのだと思います。

ですが、その出会い方によって、仏さまに何を求めておられるのか、皆様にとってどんな意味があるのか、価値があるのか、皆様の人生にとって仏さまはどういう意味あるものなのか、がわかるのだと思います。

繰り返しになりますが、仏さまは、この世の真理とともにあり、私たちを幸せな、平和な、安らかな世界に導いて下さる有り難い存在であるからこそ、そのお姿に底知れぬ魅力を感じさせてくれるのではないでしょうか。

仏さまを見上げるとき、またその横顔に、心安らぎ、幸せな気持ちになれる。その安らぎをどんなときにも感じていられるようにするにはどうしたらよいのか。いつも仏さまのような安らいだ顔で、落ち着いた心でいられたらどんなに良いことかと。

もしもそんな風に思い感じられるなら、既にすばらしい仏さまとの出会いを果たされているのではないかと思います。

仏さまはとても楽なお姿で安らいだお顔をされています。怖い顔をされている仏さまも居られますが心の中は慈しみに満ちておいでです。

私たちもそうなれますように皆様を導いて下さる有り難い仏さまと、是非出会っていただきますことをお願い申し上げまして、本日の記念法話とさせていただきます。

ご静聴、誠にありがとう御座いました。
=============================
〈質疑応答〉
まず、①「大乗仏教と小乗仏教の違いはなにか」との質問がありました。

「今現在、小乗仏教との言い方はしないことになっていまして、インドからスリランカ、タイ、ミャンマーなど南方に伝搬した仏教のことですが、これらは上座仏教という言い方をします。これに対し私たち日本仏教などインドから一度中央アジアを通りシルクロードによって中国、朝鮮に伝えられた仏教が北伝仏教、大乗仏教です。お釈迦様の古い時代の仏教を伝える教えが上座仏教で、それより五百年ほどして興った新しい教えが大乗仏教です」

次に、②「インドでは英語も話されているとは思うが、現地での言葉はどうされていたか」

「インドでは初め片言の英語を用いていましたが、長期滞在する際に拓殖大学語学研究所でヒンディー語を学び渡印し、現地で揉まれて困らない程度にヒンディー語を話して生活していました。ただインドの言葉はとても発音が複雑なので日本人には聞き取れない音もありました」

最後に③「インド人はヒンドゥー教徒が大部分と聞いているが仏教に対する認識はいかがなものか」

「インドの人口の八割はヒンドゥー教徒で、私の関係していたベンガル仏教徒はわずか三十万人程、仏教徒全体でも人口の1%に満たないのです。ただ、ヒンドゥー教徒の中に仏教信奉者が沢山おり、サールナートのお寺に付属する学校の役員たちは皆ヒンドゥー教徒ではありますが、仏教の教えに基づいた教育をしています。・・・」 以上




雲照律師ゆかりの
 島根の寺院参拝の記


昨年七月二日三日と、明治の傑僧・雲照律師ゆかりの寺院を参拝した。

その日は大雨の予報があり、決行が危ぶまれたが、一時間毎の天気予報では二日午後からは島根県は小降りになるとのことだったので、強く雨の降る中、神辺町御領から車で出雲方面に向かう。

尾道自動車道から松江道に入る頃にはまだ強く雨が降っていたが、島根県に入る頃から雨脚が弱まり、出雲自動車道に入り出雲インターで下道に下りる。

まず向かったのは、律師が出家得度に臨んだお寺といわれ、師の慈雲上人がその頃住職されていた多聞院(たもんいん)に向かった。

出雲市知井宮町の細い路地をいくつも曲がり開けた所に出たと思ったら、前方に茅葺き屋根が突き出た建物の前に出た。山門の前は入口にお地蔵さんが両脇に立つ二十メートルほどの参道があり両脇はまだ田植えのされていない田圃が広がっていた。山門には「養龍山多聞院」と書かれた細長い板が右の柱に掛けられている。

中に入ると綺麗に整備され草一本ない境内で、正面に茅葺の本堂、茅葺屋根が高勾配でせり上がり突端は銅板が覆っておりその下には板で覆いがある。草繋全冝師の『雲照大和上伝』(大本山大覚寺)には、本尊が胎蔵界大日如来、脇仏に千手観音とある。右手に客殿庫裏、手前左側には大きな仏像が納められたお堂がある。

山門左側に掲示されている案内板によれば、多聞院は、もとは南隣に鎮座していた智伊神社の神宮寺で、何度か天火のためというから雷のことであろうか、そのため焼失を繰り返し、現在の本堂は、宝暦二年(一七五二)再建という。 庫裏は弘化年間(一八四四~四八)改築とあるので、律師生存中の出来事である。

享保九年智伊神社が移転したため多聞院と改められた。大阿弥陀堂は貞享二年に郡代官鵜飼七右衛門によって再建されたとある。左側の小さな御堂に御堂一杯の大きな仏さまは阿弥陀如来であった。

ひっそりとして誰も居られない様子であったが、玄関口で御挨拶すると奥様がおいでになり、雲照律師の得度のお寺と知られていると教えて下さった。建物の中は大きな幅広の梁の立派な建物であることが解る。その再建の際には律師もお越しになっていたとも伺った。お昼時のお忙しい時間帯でもあり、早々にお暇(いとま)した。

それから、東園町に向かった。律師の生家のあった場所である。曹洞宗にはなっているが高野寺という名のお寺が東園町にあってお訪ねした。

こちらは広い車道に面して立派な鐘楼が山門横にあって塀も新しい。本堂前に進むと、奥様が落ち葉を掃いておられたので、律師をご存知が尋ねてみたが一向にご存じない。宗派も違い、二百年も前にこの地に生まれた一人の真言僧についてご存知がなくても当然であろう。

お参りを済ませ早々に失礼した。駐車場から見る出雲大社方面の緑鮮やかな山並みは、昔のままだろう。車道もなく大きな建物もなかった当時は、水路が張り巡らされた田圃が広がるだけで山並みもさぞ大きく見えていたに違いない。

それから、律師自ら長く住職なされた、雲南市大東町須賀の普賢院(ふげんいん)に向かった。宍道湖(しんじこ)沿いの道に出て水波を見ながら車を走らせた。国道五十四号線を右に曲がり山に入る。須我神社の標識に沿って左に道をとり、神社手前の広場に駐車場があった。須我神社は県社で立派な風格ある神社である。鳥居に太い注連縄が目に入る。

神社の左側に五六メートル上の境内に上る階段があり手前に「高野山真言宗鏡智山普賢院」と彫られた石柱が建っている。

階段を上がり山門をくぐると、平らな整備された境内がひらけ、正面の建物が本堂と庫裏であろうか、左に玄関、中程にガラス戸の中に障子が開けられ正面に本尊大日如来が祀られている様だ。ガラス戸の中から廊下手前に書額が見える。「大覚寺管長 大僧正密雄書」とあり、「八正道・・十悪人不行」とある。ひっそりと誰もいない様子だったので、隣の須我神社に伺う。

授与所に居られた方から、普賢院はしばらく無住になっていることと直に後住さんが来られる予定らしいと伺った。

もう一度普賢院境内に戻り、境内の石仏を参る。一番建物寄りのところに、大きな縦長の石に、梵字で五点阿字の下に「雲照大和上位」と彫られていた。

後ろに回ると、「東京目白僧園開基 明治四十二年四月十三日示寂 現住北脇智寬代」とあった。右側に板に書かれた案内板があった。

「雲照和上墓碑 雲照和上は弘化四年(一八四七年)から二十四年間、、当山住職としても務められ、江戸幕末明治維新の動乱時には政府へ、仏教革新の意見を上申し、八十歳の時には国内はもとより朝鮮満州にまで供養行脚なされるなど、更には皇族の方々からの帰依信望も得られ、八十三歳の生涯を通して戒律主義堅持に盡せられた、島根が生んだ名僧である。鏡智山普賢院」と書かれていた。

翌三日は、松江市内のゆかりの寺院を訪ねた。まず向かった先は松江市米子町の自性院(じしょういん)。ここは律師が講伝のため何度か訪ねているお寺である。本堂はじめ諸堂をお詣りする。周りに墓地が間近に造られた町中の菩提寺という装いであったがとてもきれいに整備されている。

本尊不動明王に手を合わせ、玄関に住職様をお訪ねする。講伝は今ではもう行われていないとのことであったが、雲照和上と書いた袈裟が一領あるとのことだった。探して下さったが見当たらず、また出てきた際に写真を送って下さるようお願いをし失礼する。

次に伺ったのは、律師が四度加行(しどけぎょう)を行った尊照山千手院(せんじゅいん)という松江藩の祈願寺である。松江市石橋町にあり、自性院からは車なら七分ほどの距離である。松江市街が展望できるお寺としても有名で、さすがに高台にあるため、駐車場からしばし坂道を上る。山側には地蔵や不動の石像が迎えてくれている。大きな枝垂れ桜が葉桜になった枝をのばし、それをくぐるように境内に出た。この桜は、樹齢二百五十年といわれ松江市の天然記念物に指定されている。

手前に納経所があり、その右隣に本堂があって、本尊千手観音像を祀る。その右隣に県内最大の平安仏・不動明王を祀る不動堂がある。

玄関にお訪ねすると、名誉住職様がお出ましくださり、応接に通されお話を伺う。かつてはその不動堂の後ろに三人が加行できる加行道場があり、本堂と不動堂の間の廊下から後ろに回って道場に行けるようになっていて、本尊と供物壇のみの簡単な設えであったという。

不動堂の右側に小倉寺という松江市西持田町小倉にあったお寺が廃寺となりこちらに建物が移築されていた。その前に「雲照大和上」と彫られた大きな石碑が祀られていたことについてお尋ねすると、以前は市内が見渡せる展望の良いところに置かれていたが崖崩れの後こちらに移設されたと教えてくださった。律師が逝去された後まもなくに祀られたということだった。

また昭和天皇御幼少の頃川村伯爵邸にて律師が間近に息災のご祈祷をなされておられたとも伺った。立派なお寺のたたずまいはさすがに松江城築城にあたり、その鬼門に造られたお寺としての風格があった。お忙しい中律師の生涯についてご教示下さいました名誉住職様に感謝申し上げます。

そのあと自性院住職様にご紹介いただいた西浜佐陀町の満願寺に向かう。こちらは宍道湖を足下に見下ろす風光明媚なお寺で、椿の鉢植えが所狭しと置かれていて、誠に綺麗に寺内整備が行き届いている。住職様のご案内で、ロウケツ染めによりお寺の縁起を描いた見事な襖絵や本堂の向拝の椿の花を木彫りにした格天井、また本堂では、不動の頭も彫られた両頭愛染明王など珍しいものを沢山拝見させてくださった。境内の四国霊場のお砂踏み道場も参考になった。お忙しい中熱心に解説くださった住職様に御礼申し上げます。

そして、そのあと律師の袈裟が見つかったとご連絡をいただいたので、再度松江城下の自性院に伺う。住職様が応接間に通してくださり袈裟の写真を撮らせてくださった。袈裟を拝見すると、「雲照大和上 発願袈裟千衣之内」とあり、この一条隣に「裁縫人 横浦田鶴子 八百五十八号」とも記されていた。この袈裟は、『大和上伝』に「千枚袈裟の発願」という章に書かれているものであろう。

律師は明治二十八年九月に千枚袈裟の供養を発願されている。この袈裟はその一領に違いない。一枚の袈裟は、生地を供養する人、袈裟を縫って供養する人、袈裟を着て供養する人の三人の尊い仏縁が結ばれ、これが種子になり後世に芽が出て仏法の興隆になると、律師はお考えになられた。律師生前には六百枚ほどが成就したという。その後遺弟たちが継続して律師の志を完成したとあり、この袈裟は律師入滅後も継続されていた証として、とても貴重な袈裟であると言えよう。お忙しい合間に快く撮影を許可して下さった住職様に御礼申し上げます。

このほか律師ゆかりの寺としては、十八歳で住職された安来市大塚村下吉田の観音寺があり、また実兄宣明師の住職した寺で、律師が何度も求聞持法を修法された仁多郡奥出雲町中村の岩屋寺もあるが、すでに廃寺となってかなりの年月が経っているためお訪ねしなかった。

なお、岩屋寺については、登山アウトドア向け Web サービス・スマートフォンアプリを手がける会社の「YAMAP」というサイトに詳しく現在の様子を伝えてくれている。
https://yamap.com/activities/10612793/article

帰りは出雲道から松江道に入り、そのまま尾道道を通って世羅で下道におり、御調、府中、神辺へと無事帰還した。この度は、突然に押しかけたにもかかわらず、いろいろと便宜をはかってくださいましたお寺様方に改めて感謝申し上げます。 合掌



昨年十一月の護摩供後の法話
「過去の記憶を塗り替える」


今年は三月に御開帳があり、以来いろいろとお役が当たる巡り合わせで、やっと、それらが終わりホッとしているところなのですが、そんな最後のお役の準備をしている最中に、一本の電話が入りました。切羽詰まったように、お助けを願いたいとのことで、兎にも角にも来山したいとのことでした。

その日の午後急遽お越しになられることとなったのですが、何かお話をお伺いすれば良いのだろうと気軽に考えていたところ、スロープがある本堂へお越しになり、足も不自由なので、こちらでお願いしたいとのこと。本堂にあがられて、お話を伺うと、五十年も前に誤りの末に水子ができ、それも色々と事情があって、十分な供養もできていなかったので、以来気にはなっていたけれども、そのまま今日迄来てしまったのだということでした。

ですが、この四、五年、事故続きで、足は骨折するは、肩を怪我するは、この度は手首を捻挫して不自由で物も持てなくなって困っているのだとか。人に言われたわけでもないが、その五十年前の水子がたたっているのかもしれないので供養にお経を上げて欲しいと、先代の時に一度来たことがあるという縁でお越しになられたのでした。

突然のことで、水子の供養は特別していなのですが、五十年も前の水子が今障りをするとは考えにくいとも申し上げましたが、どうしてもお救い願いたい、お経を上げて欲しいと言われるので、先代がよく水子の供養でお参りしていた境内の地蔵尊の前で、簡単な荘厳をして、着の身着のまま、お経を唱えさせていただきました。

お経を唱えている間、不自由な手を合わせ一心に何か念じておられるようにも感じ、こちらも声に力が入り、ご供養が叶うようにとお唱えしました。唱え終わると、気持ちが晴れたのか、そのままお帰りになられました。

悪いように考えずに、供養が済んだと思って、考えれば考えるほどつらくなりますから、考えないことですよと申し上げお見送りしました。

その方がお帰りになられてから、思うに、五十年も前の記憶がまるで昨日のことのように思い出され、そのことにとても不本意な思いや、つらかったこと、嫌な思いが甦られたのだということと、お経を聞くと安心され気持ちが済んだのは良いけれども、やはりもう少しその後、過去の記憶に対するケアが必要だったのではと二つのことが頭に去来しました。

日本人は、仏教というと、唱えること、お経や真言や念仏、題目などを唱えることと思っているのかもしれないけれども、その上にやはり、心の癒やしを十全にするには、そのつらい記憶についての自分の思いや感情、判断、受け取り方を改めることで、その記憶を甦らせることで味わう二次的三次的な心の負荷、負担を解消することが必要ではないかと思えました。

昔の、子供の頃の嫌な記憶、つらい思い出をいつまでも引きずっている人も多いのではないでしょうか。何度も何度も、ことある毎に思い出され、いつも嫌な思いを甦らせてしまうという方も多いのではないかと思います。

ですが、その記憶を、大人になって様々な経験したきた今の自分なら、その過去の記憶にある出来事の当事者やこの時の情況、自分のことを、背後からや様々な方向から見て別の解釈を付けることも可能なのではないだろうかと思うのです。

一人苦しんできた、その記憶の受け取り方は違っていたのかもしれない。他の人たちの立場や人間関係からの位置、それぞれの情況や思いを想像したとき、ただつらく苦しかった記憶が違って見えてくるということもあるのではないでしょうか。何事も自分一人が悪かったということはありえないのであって、その時の様々な因縁のもとに引き起こされたことにすぎないのですから。

過去の記憶の情況を立体的に双方の関係や思い、それぞれの思いや感情を想像して捉えたとき、過去の時点でその記憶に付着させてきた思いや感情とは違うものになって捉えることが可能になります。そうしてはじめて、私たちは過去何度も思い出す度に苦しんできた思いから解放されるのではないでしょうか。

かつて高野山での百日間の修行中に、何度も、すっかり忘れていた過去の記憶が甦ってきたことがあります。修行中ということもあったのかもしれませんが、それらの記憶はそれまでだったらとても嫌な思いをもって思い出されていたことであっても、何か平然とやり過ごすことができました。過去の記憶をそうやって塗り替えていくことで、何を思いだしても、何も心に影響されずに、心晴れやかに過ごせる自分になれるのではないかと思います。


【國分寺通信】 

◯月例行事・仏教懇話会では、昨年のお涅槃記念誌である『檀信徒のための仏教読本』を読みながら、皆さん楽しく仏教について学んでいます。現在第二章「仏教の教え」を読んでいます。お気軽にご参加ください。
◯御詠歌に参加される方を募集しています。未経験の方も大歓迎です。毎月第四土曜日午後三時から、ご一緒に楽しくお唱えいたしましょう。


  ◎ 薬師護摩供   毎月二十一日午前八時~九時
  ◎ 坐禅会    毎月第一土曜日午後三時~五時
  ◎ 理趣経読誦会 毎月第二金曜日午後二時~三時
  ◎ 仏教懇話会  毎月第二金曜日午後三時~四時
  ◎ 御詠歌講習会 毎月第四土曜日午後三時~四時


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大日如来とは何か

2025年03月11日 16時27分38秒 | 仏教に関する様々なお話
大日如来とは何か




真言宗の檀信徒の家なら仏壇の上段には、10㎝ほどの大日如来を祀っていることでしょう。胸の前で、左の人差し指を伸ばして、その指を右手の手のひらで包み、人差し指と親指の爪を付けています。どの仏さまも印相といって、両手の組み合わせ方によって、その仏さまの誓願なり御利益を表しています。

インド世界では右手は清らかな手、左手は不浄の手とされていて、箸やスプーンなどを使わずに手を使って食事する習慣のあるインドでは、食べ物を口に入れる手は右手であり、左手は逆に、トイレで用を足して水を掛けて洗うときに用います。大日如来の左手を右手で包む手の印相は、浄と不浄、聖と俗、善と悪、美と醜など二つに分けて捉えがちな私たちの認識の仕方を超えて、すべてを一つなるものとして全体なるものを表しています。

大日如来は宇宙の真理そのものをあらわす仏であり、すべてのもの、自然界も生ある者も皆大日如来の現れなのであるという言い方をいたします。昔そう言われたとき、今ひとつその意味が分からず、途方に暮れたものですが、あるとき高野山の先生にうかがったことですが、お釈迦様は35歳で悟り、それから80で入滅するまで45年間にわたり有縁の人々に向けて法を説かれたわけです。

お釈迦様は睡眠時間は一日二時間、起きて二時間瞑想されて、その日悟れる人が居るとその人の所に現れて説法して悟らせ、訪ねてきた人に法を説き、弟子らに法を説いて、まったく無駄のない、濃密な生涯を過ごされたとされています。その法は、三法印と言われる仏教の仏教たる所以とされる、無常・苦・無我に凝縮されるものであり、そこから展開していく八万四千とも言われる教えでした。

この世の無常なることは誰もが実感することではありますが、自分も含めた、すべてのもの、自然も作られたものも、硬く頑丈に見えるものも、一瞬も留まることなく変化している、それは原因となるものとその条件により、いまそう見えているに過ぎず、常に変化しつつある。それは苦と認識され、不完全な不満足な不安定なものの連続に過ぎない。だから、そのものをそれと認識できるような実体すら見いだせないものであるということになります。

そうした真理のことばを45年にわたり説かれた教えは、ダンマと言われる法であり、教えであり、自然界の法則、摂理、真理そのものであると考え、それは宇宙に放たれ、今も虚空に遍満していると捉えるのだそうです。それは自然、宇宙そのものでもあり、その法則とも見ることができ、私たちを幸せに導く教えであり、その恩恵とも受け取れるわけですが、その全体なるもの、虚空に遍満している教えそのものを身体とする仏が大日如来なのだというのです。仏壇の中の仏さまは10㎝でも、本当の大きさは宇宙大ということなのです。ですから、この世のものはすべて大日如来のあらわれであるということになるのだとか。

ところで、大日如来はインドでの名前をヴァイローチャナブッダといい、漢訳して毘盧遮那如来と言われる仏であり、奈良の大仏も同じ毘盧遮那如来です。そして、奈良の大仏と諸国國分寺の本尊釈迦如来は、華厳経に説く、華蔵思想によるとされています。華蔵思想とは、仏の世界を千葉に開く蓮華にたとえ、毘盧遮那如来はその千の蓮華世界の中心に位置する仏であり、周りのそれぞれの蓮花世界には釈迦如来がいて、法を説いている。それぞれは別々の世界でありながら、互いに相関して存在し、重々無尽にその関係性は続いていて、個々の蓮華世界は全体の縮図であり、そのひとつ一つに変化ある時には全体に変化が及ぶとされます。

こうした思想のもとに都の國分寺である東大寺に毘盧遮那如来を造り、諸国に釈迦如来を祀る國分寺を造っていったわけで、聖武天皇は、それによって日本の国土を華蔵世界そのものに造り換え、争いなく天災のない、人々が幸せに暮らせる日本にしたかったのだと思います。お釈迦様の説かれた教えは、虚空に遍満し、それは無数の仏の世界を造り、今も法を説いている、その全体なる世界を毘盧遮那如来とみて、無数の仏の世界の中心に存在するものと想定されたのだと言えましょう。


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正見ということ

2025年02月21日 16時42分24秒 | 仏教に関する様々なお話
正見ということ


二月二十一日、寒い中早朝よりご参詣ありがとうございます。沢山の添え護摩を書いて下さり、今月も大きな護摩を焚かせていただきました。月一回、お薬師様にご供養の護摩の火で、ひと月の間に心にわだかったものをみんな焼き払ってもらって、きれいさっぱりさわやかな気分になっていただけたことと存じます。

今日は、正見ということについて少しお話申します。お釈迦様の教えに、八正道という、八つの聖なる中道の道という教えがあり、その第一番目に正見という教えがあります。正しい見解、見方ということですが、これは、物事をありのままに見るということで、何か見るとき、聞くとき、先入観なく、固定観念を持たずに、そのものをあるままに見る、事実のみ観察すると言うことです。

昔毎日新聞の佐藤健さんという有名な記者さんがおられまして、その方が臨済宗のお寺に入門する、掛塔という作法についてルポルタージュを書くために、自分が実際にそれを体験されたことがあります。玄関で数日、また部屋に入り数日、本当に入門の意志があるのか確かめられる期間が続きます。その間に様々な思い、怒り、後悔、葛藤が交錯するわけですが、部屋に通され数日して出されたお茶を飲み、小窓から庭を見た時、それまでの思いがすべてなくなり、ただただその庭の美しさに感動したと書いていました。何の思いもなく、ただありのままに庭を観れたということでしょう。

ですが、私たちがしがちなのは、何かものを見るときでも、何か話を聞いても、こういうものという先入観をもって見たり聞いたりしています。出来事や国やその指導者などにも、こういうこと、こういう国というような固定観念、印象を持って見たり聞いたりしているのではないでしょうか。頭に入っている情報の違いにより、皆一人一人同じものを見ても聞いても、みんな自分色に脚色して見ているということです。ありのままに真実を見るということからは、ほど遠い見方を、普段私たちはしているということです。

また、森章司さんという先生がある本に書いていたことですが、戦後間もなくのことで、みんな貧しく南京虫に悩まされていた時代の話ですが、ある人たちが、芦屋のお屋敷町に南京虫の駆除剤を売り歩いたことがあったのだそうです。新聞にも載っていたと思いますが、この度ハーバード大学と東大の共同研究で作られたものでと、亀の甲羅のような化学式を書いて説明すると飛ぶように売れたそうです。

ですが、大阪の長屋に行って同じように説明すると、ハーバードってなんや、東大がどうしたと言われ、南京虫を捕まえてきて試してくれと言われて、まったく売れずに逃げ帰ったのだという、そんな話があったとか。これなどは、正に芦屋の奥様たちの知識、先入観が禍して、そんな大学の研究によるものなら効果があるはずとだまされてしまった訳ですが、大阪の長屋の女将さんは、余計な知識、先入観もなく、その事実だけを見て見分けようとされたという一例です。

ところで、一月には、今年は巳の年で、蛇のように新たな飛躍の年にして欲しい、アメリカの大統領も代わって、世界も平和になり、豊かになっていくと申しました。そうしましたら、後から、何人かの方に、アメリカの新しい大統領はあまり良い人と思えないし、どうなってしまうか不安だと話されました。私の話に違和感があり、不審に思われたようです。

新しいアメリカの大統領に対する、先入観は成り上がりの不慣れな政治家、奇抜なことをする何をするか解らないというような、日本の新聞テレビからの偏った固定観念からそのような反応になったのではないかと思います。余計なことですが、彼はキリスト教保守派の福音派の熱狂的支持を集めるとても深い信仰心の持ち主と聞いています。

もちろん、私も事実だけを見なければならないわけですが。日本の首相も代わって三ヶ月四ヶ月経ちますが、アメリカの方では既にひと月の間に、比較にならないほどの変革を成し遂げられています。国民のためにならない財政の無駄を省き、戦争ばかりだった世界を平和に導こうとしています。

このように、何か人から言われたとき、何をこの人は言っているのかというような捉え方をされたなら、そこに、自分の思い込み、自分の認識こそ正しいという自我にとらわれていることを表してもいます。ああ、そうなんですかね、と言うような身軽な発想にしていくことで強固な自我からの解放が期待できるのではないかと思います。

そして、真実そのもののありようをありのままに見るということが、仏教者として私たちには必要なのですが、なかなか難しいことではあります。ですが、何事も因と縁、原因と条件によって、いま仮に成立している、存在している、と仏教では考えます。ですから常に変化している訳です。

なので、もとから、固定観念、先入観というものは成り立たないものなのだと理解して、何事もニュートラルに見ていく習慣を身につけることで正見としての見方を養っていく必要があるのかと思います。そうすることで、これからの世界の劇的な変化に対してもストレスなく受け入れることができていくのではないかと思います。

来月もお誘い合わせの上、沢山の皆様のご参詣をお待ちしています。ありがとうございました。


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いまに生きるー医王如来について

2025年02月17日 08時01分36秒 | 仏教に関する様々なお話
昨日の法事後の法話の主旨をわかりやすく説く
いまに生きるー医王如来について




こちらの本堂の正面に大きな扁額が掛けられていて、そこには醫王閣とあります。本尊が薬師如来ですから、お医者様の王様で藥師如来なのだから醫王とある訳ですが、もともと、と言ってもお釈迦様の時代までさかのぼれば、醫王とはお釈迦様ご本人を指していたとも言われています。

誰が行っても、右回りに三回回って正面に座り三礼して一言二言御挨拶されるだけで、どんなにつらい悩み苦しみを抱えていった人でも気持ちが和らぎ別に深刻な話をするまでもなく癒やされて満足して帰るのだとか。そんなお釈迦てすから、医王と言われたとも言えるわけですが、お釈迦様の説かれる教え、そのものが当時のお医者様の診断処方に則っていたからとも言われています。

お医者様は、まず患者の症状を診て、その原因を探り、処置したあとの状態を想像し、そのために処方処置されます。この四段階に則り、お釈迦様の説法も四段階を踏んでいたといいます。悟られてから最初に法輪を転ぜられたとき、そのことを初転法輪というのですが、そのとき、五人の修行者に向けてなされた説法を四聖諦といいます。

四聖諦とは、四つの聖なる真理と言う意味です。その内容は、心経にも、苦・集・滅・道と訳されていますが、解りやすく言えば、現実の真理、原因の真理、理想の真理、方法の真理となります。

現実の真理とは、この世の中の現実をよく見て下さいということ。みんな思い通りにならないことばかりでしょう。周りの人は思うように動いてはくれないし、自分の身体もしんどかったり痛いところがあったりと思うようにはならない、世の中も嫌なことばかり起こる、それを苦と言ったわけです。

原因の真理とは、その原因は何かと言うことで、自分がよくありたい、自分は正しい、思い通りであって欲しいという思いがあるからです。

理想の真理とは、何があっても、何がなくても何とも思わない、動じない、考え込まない、必要なことはさっとわかり対処できる。悩むことなく、困ることなく、苦しむことがないことです。

方法の真理とは、悪いことをせず、周りのためになることをして、今に生きる。今という瞬間の、していること、すべきことに気をつけて、そのことだけに生きることです。

私たちはあれこれ悩み苦しむのは過去にあったことを思い、人のしたこと、しなかったことを憤り、怒ったり、文句を言ったり、自分の過去の行いや言ったことに後悔したり、落ち込んだり、周りの評価や風評を心配したり、また未来にやってくることに心躍らせたり、逆に不安になったり。

これらはすべて過去や未来のことに過ぎず、その思いのようになるものではありません。それなのにあれこれ思い、考えてくたびれてしまって、現実のことが疎かになってはいないでしょうか。

みんな幸せでありますようにと祈り、夢いっぱいの希望通りになるように願うわけですが、現実は願い通りになることはなく、たとえかなったとしてもその現実はさらに厳しい過酷なものであったりします。何か挫折があればこんなはずではなかったと後悔してみたり。

ですが、もとから人生とは苦しみ多いものだと、娑婆という言葉の意味が忍土、耐え忍ぶべき場所という意味から考えれば、人生とは思い通りにならない、いつも大変な厳しい中で忍耐をしいられるものなのだとの前提で生きていたら、逆にになにかよいことがあったときにそんなこともあるのだと心から喜べたりということもあるでしょう。

悟られた方は考えないのだと聞いたことがあります。必要なことは瞬時に答えが分かるので只今に生きられるのだそうです。私たちも人生とは思い通りにならないものと心得て、今の瞬間に生きることで思い悩まない人生を送りたいものです。



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(再掲載)平成27年・越智淳仁先生・教学研修会講義に学ぶ

2025年01月29日 07時23分11秒 | 仏教に関する様々なお話
平成27年2/26越智淳仁先生・教学研修会講義に学ぶ




昨日大覚寺派中国教区の教学研修会が催され、高野山大学名誉教授越智淳仁先生による密教の視点から般若心経の核心に迫る講義を受けた。平成16年に大法輪閣から出版された「密教瞑想から読む般若心経」に基づいた話ではあったが、その話の端々にはほぼ半世紀にわたり研究研鑽なされなければ得られない奥深い話がちりばめられ、誠に有意義な時間であった。お釈迦様から密教に至る教えの中から現代にも通じる教えの要点を二時間半に凝縮してわかりやすく解説して下さり、書物を渉猟してもたどり得ない得難い話の数々であった。

はじめに、日本での般若心経の功徳について話があった。心経にはいくつもの訳があり、玄奘訳の前に支謙、鳩摩羅什の訳があるが、それらは般若波羅蜜呪経、般若波羅蜜多大明呪経といった。心を入れた般若心経を翻訳したのが玄奘三蔵であるが、彼が聖典を求めて西域を通ってインドへ歩を進めるときに、魑魅魍魎に出くわして唱えたのは観音経であった。しかし、観音経は効き目なく、そこで般若心経をサンスクリットで唱えると、たちまちにそれらは退散したという。つまり心経には、怨霊を封じる功徳がある。

耳無し芳一の話の中で、平家の怨霊の前で夜ごと琵琶を弾く芳一の身を案じ書かれたという経文は何かと言われるが、今日では心経であったと分かってきた。怨霊から身を守る効能がある。また死者の枕経の際に、東北地方では千巻心経を唱える風習があり、死者の罪障がすべて消えてなくなると信じられている。村中の人が集まり一晩中心経を唱えるという。

ところで、信には二つあり、純粋に神仏がありがたいという信仰としての信があり、知識に裏付けされた信仰としての信がある。後者は僧侶にとって不可欠であるけれども、一般の人々による純粋な信仰心は大切にする必要がある。大日経の中にも、一般の人々の信の中に仏はあり、最高のものであって、それをこそ礼拝すべしとある。

紀元前後に八千頌般若経ができ、心経は四世記頃に出来たと言われている。

次に心経の経題についての話があり、心経の経題の仏説とはどうしてつけられたか。心経には小本と大本があり、大本にあるように、お釈迦様の瞑想中の加持力によって、それが頭頂に入った舎利弗と口に入った観音菩薩とが問答する形式になっている。つまり心経はすべてお釈迦様のムネにある悟りの境地を舎利弗に質問させ観音菩薩に説明させたのが心経であるので、仏説とされた。

摩訶は、大・多・勝の意で、勝れたもの。般若は智慧、波羅蜜多はパーラミタ彼岸に渡ることとされるが、密教としては、叡智の完成を成し遂げた女神、偉大なる般若仏母を指す。

心経の心は、胸、体の中心、心臓のことである。法身大日如来というが、法身とは、法は教え、説法、身はかたまり、本体のこと。初期仏教では、お釈迦様の悟りの集合体のことであった。心経の心は、フリーダヤというサンスクリットを訳した言葉で、中心という意味ではあるが、お釈迦様の教えの中心、それは心(ムネ)にあるものである。そこから口に出るものが説法であり、法身説法はお釈迦様の時代からあった言葉である。

釈迦滅後、お釈迦様の身体は荼毘に付されたけれども、法身は三劫に法界に遍満していると考えられ、一つのかたまりとなって、それは身口意の教えとなり、三種の曼荼羅として象徴される。お釈迦様の滅後、大智度論中の仏伝によれば、ムネにあった法身は、法界に遍満して、それはシッダルタ義成就菩薩とサルヴァルタシッディ一切義成就菩薩が生み出される。シッダールタは、お釈迦様の出家前のお名前で、父王がこれで願いが叶ったと慶び名付けた名前である。サルヴァルタシッディは、すべての国民の願いが叶ったという意味で、金剛頂経に説かれる五相成身観では、この一切義成就菩薩が悟り大日如来になる。釈迦と大日は同じか別かとの議論があるが、お釈迦様と大日如来は一緒のものと見て間違いない。

仏教では心に二つあり、チッタとフリーダヤであり、頭でものを考えるチッタに対し、フリーダヤはムネに感じるもののことである。心経中にある、心呪とは、真言のことだが、般若心経の種子チクマンのあるところがフリーダヤ・ムネであり、それが心真言であり、その心真言について説くお経が般若心経であるとするのが弘法大師の心経解釈である。通常はこの経題にある心とは真髄や中心との意味から、心経は般若経六百巻のエッセンスを説くものだとするが、密教ではそのようには解さない。

経、スートラは、貝葉による最初期の経典は長い貝葉(棕櫚に似たターラの葉に鉄筆で文字を彫った、幅7~8センチ、長さ60センチ)の左右の中央に穴を開け糸を通して閉じたものである。そこで中国ではスートラを経、つまり縦糸と呼んだのである。しかし、世界で最古の貝葉と言われる法隆寺に残る貝葉の中の心経にはスートラの文字がない。それは心経とは経ではなく一つの陀羅尼、瞑想法としてあったからである。ところで、弘法大師の『般若心経秘鍵』には、心経は14行とある。近年西安の青龍寺から出土した石仏の裏に心経が書かれてあり、それは19文字14行となっている。

また、心経の解釈には、空とは何か、色即是空とは何かということがつきものではあるが、空をいくら探し回っても分からないものであり、悟りとは何かと探し回り探し回るとき、とらえられずに、一歩後退したらそこにあったという話もある。「おさなごの しだいしだいに 智慧つきて 仏に遠くなるぞ 悲しき」という古歌にあるように頭の中で考えて到達できるものではなく、それは自ら静かに修する瞑想の中に見いだされるものであるという。

かつて吉野に旅した一休禅師が、山伏から短刀を突きつけられ、空とはいずこにありやと問われたとき、この胸にありと答えたところ、刀を振りかざされ、「春ごとに さくや吉野の 山桜 木を割りて見よ 花のありかを」と古歌を口ずさんだという。空とは探し求めるものにあらずということであろう。

そして、弘法大師の『般若心経秘鍵』に関する解説がなされた。

「チクマンの真言を種子とす」後に述べるように、心経は密教の瞑想法として大師は解釈を進めるにあたって、初めからその主尊である文殊菩薩と般若菩薩の種子について述べられている。文殊菩薩と般若菩薩は共に共通の種子として、チクとマンをインドの般若心経系の瞑想法に用いていたという。弘法大師が唐に留学した際には漢訳されたもので心経の瞑想法にはマンを種子とするものはなかったという。しかし、恵果和尚に入門する前に、インドの学僧・般若三蔵についてサンスクリットを学ばれたときにおそらく耳学問として、マンを種子とするインドの般若経系の瞑想法について学ばれていたであろうとのことであった。

「それ仏法遙かにあらず心中にして即ち近し」悟りとは心の外、遙か彼方にあるとされてきた。しかし、お釈迦様は成道前に四魔を降伏する。その四魔とは、心悩ます煩悩魔、身心を苦しめる陰魔、死の恐怖をもたらす死魔、善行を妨げる天子魔のことであり、それは本来の清らかな心を覆っている魔であるのだから、それは心中で四魔を降伏して悟りを得たことに他ならない。

心経の大意として、「大般若波羅蜜多心経といっぱ即ちこれ大般若菩薩の大心真言三魔地法門なり」とあり、心経とは般若菩薩の偉大なムネにある真言の瞑想の教えであるという。行者のムネにある般若仏母の心真言を説き、般若仏母の曼荼羅を観想し瞑想し悟りを得る教えこそが心経であるとする。

秘鍵は心経を五つに分けて、弘法大師による独特の解釈を加えていく。

「観自在菩薩から度一切苦厄まで」が①人法総通分であり、行者観音菩薩とその般若波羅蜜多の真理の教えについてまとめて示した部分のことである。

「色不異空から無所得故まで」が②分別諸乗分であり、この中に五つの内容がある。「色不異空から亦復如是まで」が華厳、「是諸法空相から不増不減まで」が三論、「是故空中無色から無意識界まで」が法相、「無無明から無老死尽まで」が二乗(声聞縁覚)のうち縁覚、「無苦集滅道」が声聞、「無智から無所得故まで」が天台の各々の教えにより導く悟りの境地が示されているとする。それらは、二乗を除いてそれぞれ、普賢菩薩、文殊菩薩、弥勒菩薩、観自在菩薩という金剛界曼荼羅中台八葉院の四菩薩に該当し、それら悟りの境地を表したものであるとする。

「菩提薩埵から得阿耨多羅三藐三菩提まで」が③行人得益分であり、この心経から得られる利益について、先に述べた華厳、三論、法相、縁覚、声聞、天台の六つに、真言の行者を併せ修行者に七つの別があり、教えの違いによってそれらは四つに分けられるが、そうして悟りの因をもともと持っている菩薩が般若波羅蜜多の瞑想法によって、悟りを得て、煩悩の火が消え悟りの涅槃に入る利益が示される。

「故知般若波羅蜜多から真実不虚まで」が④総帰持明分であり、心経の悟りの境地を説く。大神呪は声聞の真言、大明呪は縁覚の真言、無上呪は大乗菩薩の真言、無等等呪は密教の菩薩の真言の名前を指しており、それらはその本質として真実にして虚しからず、作用として唱えればすべての苦しみが除かれるので、自ずから悟りの境地はそれぞれの真言に含まれているとする。

「故説般若波羅蜜多呪から菩提薩婆訶まで」が⑤秘蔵真言分であり、最後の真言の部分を指す。最初のギャーテイは声聞が修行して得た悟りの果を賞賛するもので、第二のギャーテイは縁覚、ハーラーギャーテイは大乗の、ハラソウギャーテイは、密教の瞑想で得たマンダラの悟りの世界を賞賛し顕現させる真言であるという。そして最後のボージソワカは、声聞から密教の行者に至るすべての者達が究極の悟りに入った悟りを表すとされる。そしてこの真言の部分こそが最も心経中で大切な中心であり、この真言だけ唱えても功徳あり何度も唱え祈念すべきものであるという。出来れば下にあるように日本なまりではなくインドのサンスクリットの発音で唱えることがのぞましい。

なお、般若菩薩とは、般若経の本尊であり、智慧を本誓とし諸仏が悟りを得る際に必要とする般若の力そのもののこと。諸仏を生み出すとして仏母という。最後に般若心経は瞑想であると述べてきたが、参考までに、先生の著作の中にある「般若心経瞑想法在家用次第」の中から、要点を抜き書くと、まず般若仏母のマンダラの諸尊へ帰依し、般若仏母を観想し供養して、懺悔し、五大願を唱え、四無量心観、そして空性を学ぶとして、「オーン・ガテー・ガテー・パーラガテー・パーラサンガテー・ボーディ・スヴァーハー」と二十一遍唱えて、「すべての存在は、肉体・感覚・心に浮かぶ像・意志・認識の五つ五蘊が合わさって仮の姿をとる存在であり、実体はない」と想う。それから般若仏母を中尊に東に釈迦牟尼、南に舎利弗、西に観音、北に阿難陀を配したマンダラを観想し、月輪観、本尊般若仏母の加持、それから種子を、「オーン・マン・スヴァーハー」と百八遍唱え、最後に心経一巻を唱え、マンダラ諸尊にもとの住所にお帰りいただき終了するというもの。在家用といえどもかなり煩瑣な内容に思える。

以上、昨日の講義の際に筆記したメモと先生の著作「密教瞑想から読む般若心経」を参考に昨日の講義の感激をここに記してみた。間違いもあるかもしれないがその責は浅学非才の筆者にあることを記しておきたい。



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雲照律師の『仏教大原則』に学ぶ十善の教え

2025年01月03日 06時45分05秒 | 仏教に関する様々なお話
令和七年 六大新報新春増大特集号掲載
雲照律師の『仏教大原則』に学ぶ十善の教え




そもそも、私どもが「仏前勤行次第」などでお唱えする十善戒とは、『阿含経』では十善業道といい、道徳の徳目として善悪の基準を示され、大乗の教えが興起しては、『般若経』、『十地経』において大乗仏教徒の実践規範とされた教えであるという。

すなわち、『大品般若』「大乗品」では、六波羅蜜は菩薩の修すべき大乗(魔訶衍)であるとし、その中の戒波羅蜜は、無所得空の立場で自ら十善道を行じ、また他に十善道を教えることであるとされた。

また、『十地経』「離垢地」では、やはり十善道を戒として捉え、世間の道徳つまり人天乗から菩薩乗までを含むすべての善を包摂するものであるとする。そして、十不善道は三悪道の因となり、衆生が輪廻から解脱し無上涅槃に安住するためには十善を護持し慈悲を増長せしめるべきであると説く。

高祖大師は、『十住心論』巻第二「愚童持斎住心」において、十善業道は人間界と天界に生まれる因であり、声聞乗、縁覚乗、菩薩乗の者も含め、誰もが修習すべきであると説かれた。

さらに、前世における中下品の十善の果報により王となり、正法をもって国を治める王が自ら慈悲謙譲の心をもって十善を修すれば、諸天歓喜し、風雨は時に順い、五穀成じて災難起こらず、国土楽しむと説かれ、勝れた正しい政治さえも十善を基とされた。

江戸時代には、慈雲尊者(一七一八ー一八〇四)によって、十善道は「人となる道」として数多の人々に宣布されるが、その発端は、明忍律師による春日の神託にある「戒は是れ十善」に基づいているとされ、これが尊者の正法思想の源泉であるという。

安永二(一七七三)年桃園帝后恭礼門院、後花園帝御生母開明門院が、尊者より十善戒を受けられ、十善戒法語が開講される。翌年四月まで十回の講義がなされ、そのかな法語を『十善法語』として刊行し、広く世に知られることとなる。

「大小顕密の諸戒を束ねて十善とす。諸善万行、何ものかこの中に収めざらん」といわれ、十善は、出家、在家の戒を総合する根本戒であり、あるいは一切の戒律がこれによって生ずる主戒とされた。

さらに尊者は、真言の枠を越え通仏教的な観点から「正法律」を提唱し、他宗出身の持戒堅固な僧を共住せしめたという。

そんなこともあってか、この慈雲尊者の説く十善の教えは、次の明治の混迷を窮めた時代に日本仏教が初めて直面した法難に際して、各宗の諸大徳が注目することになる。浄土宗の福田行誡師、曹洞宗の吉岡信行師、大内青巒師、また在家仏教者の山岡鉄舟氏らが鼓吹している。

中でも、慈雲尊者の正法律を継承する釋雲照律師(一八二七ー一九〇九)は、明治二十二年、真言宗をはなれ通仏教の立場から国民道徳の復興のために、皇室から政財界にいたる当時わが国一流の諸氏を篤信会員とする「十善会」を結成されている。そこでは、十善を柱とする国民教化により、欧化思想蔓延する世の中に社会秩序をもたらすことを念願された。

雲照律師は、明治二十六年初版の『仏教大原則』(経世書院)において十善戒を平易に詳述されている。

そこで、十善とは本来いかなる教えか、身分や名声高き信徒にも説かれたであろう内容を律師の著作から学んでみたい。

まず、仏教の大原則は、三世因果善悪応報の真理にあるとする。無我なる真理の中にあれども、凡夫なるが故に我ありととらわれ、我慢、我欲に耽る善行なき者に対し、善を行ずれば必ず善果を得、悪を行ずれば必ず悪果を招くのは天地自然の制裁であり、それは三世にも亘る原因結果の真理に基づくものである。それが故に十善を護持するのは真正なる道徳であるとして各項目が説かれていく。

はじめに、十善に止善と行善とがあるという。止善とは悪を止めてなさざるを言い、行善とは善を勉めて行うことを言うとある。

 第一慈悲不殺生戒 
人類に対して殺傷残害しないばかりか、大小微細の生類一切を殺害しないことが止善である。

行善は、人の危難を救い、病者を療養し施薬する。鳥獣魚亀などを放生し、養育すること。

これは自然の理に照らし、自分の良心に訴えて心楽しさを覚えるものであれば、後生もその良心において楽しく感ずるのは必然であろう。

これに反して、残酷暴虐をなす者は内には良心の呵責に苦痛を感じ、外には世の法律の制裁刑罰を受けるのは言をまたない。深くこれを誡め、道徳の最も根本なる素地であるとする。

 第二高行不偸盗戒 
社会人類の財産所有物を略奪、窃盗をなさないのみならず、他者の名誉を奪ったり、権利を損害するような行為を誡め、他の動物やあらゆる生類の所有する物、巣窟にいたるまで侵さざることを止善とする。

行善は、貧窮せる者を助け救い、生業を支え、仏寺を建て、学舎を開き、道路橋梁などを修築架設し、また禽獣虫魚に飼料や餌を施与し、巣穴池沼を造り与えて安穏無畏の環境を整備すること。

この二善並び行ずるときは、身も心も快活となり、すべてのことが皆好転し、わずかたりとも怨み嘆くことなく、心楽しく感じる。

 第三浄潔不邪婬戒 
自分の妻以外の婦女を犯すような不潔不正な行為のみならず、たとえ妻といえども、非時(病や産前産後、斎戒時)非所(顕露の所、高貴の人の所、不安の所など)非量(節度あり)非支(二根の外)について情欲を恣にしないこと、これを止善とする。

行善は、男女に別あり、常に品行清潔にすること。また布薩をなし斎戒を持する場合には清浄なる梵行を修し、一日一夜を限り出家の淨行に倣うこと。

人間界は三界中の欲界なれば男女の情欲は人の天性であるから止むべくもない道であり、正しく行うならば人界の本質と言えるが、良家の人々は口にすることさえ恥ずかしきことと弁えるべきである。 

 第四正直不妄語戒 
自分が見ていないことを見たと言い、見たことを見ないと言い、知らないことを知ると言い、知るを知らないという、虚実を転倒して言うことを妄語という。不妄語とは正直にして偽りなき真実を語ること。ただ口に妄語しないことだけでなく、氏素性、学歴経歴などを偽る、逆にそう装いながら口では否定して他を欺くなどの行為などを畏れ慎むことも不妄語の止善という。

行善とは、仏祖の金言でないことをあえて言わず、聖賢の格言でなければ誦せず、善悪をより分けなければならないような言行なく、人をよいことに導き、やさしく真実を語り、他者に賛同され賞賛されるような言葉を語ること。

世の人の中には商業上、社交上多少の妄語がなければ不都合をきたすとする向きもあるが、目前の表面的なる交際にのみ拘るものであって、永遠不変の親密なる交誼の実相を知らぬものと言えよう。

 第五尊尚不綺語戒 
綺とは、いつわり飾ることであり、道義上なすべきでないこととの意味である。綺語とは、世にいわゆる「たわごと」軽口の類いを言う。よって滑稽、狂詩、狂歌、狂言などをなさず、言葉を慎み守ることを止善とする。

これに反して、その語り、質実正直にして作法あり、謹厳にして誠実にして温厚なるを行善の相とする。

世の人は、綺語や落語の類いを以て無比の快楽となして、交際上欠くべからざるものと心得る者があるけれども、これまた粗野な人のすることであって、すぐれた人格者のすべきことではない。

 第六柔順不悪口戒 
無礼な言葉で他を罵倒することを悪口という。悪口の卑劣なるを知りて慎み守る、これを止善とする。

恭しく相手に謙遜し温かい優しい言葉で話し、慈しみ尊敬することを行善とする。

相手の有り様をあからさまに言うことさえ悪口となるが、父母や上長者に向かって上慢侮蔑な言葉を吐くなどの類いを最たるものと言えよう。誰も悪口雑言を聞いて愉快を感じることはないので深く慎むべきである。

 第七交友不両舌戒 
両舌とは、言舌をもって両人、両家の間、あるいは仲間の親交を仲違いさせることを言う。この両舌の悪なることを知り用心して他の親交を破るようなことを言わないことが止善となる。

もし両家、両人あるいは人々に不和あるときに自らその中に入り友愛真実の言葉を用いて互いに和合させることを行善の相とする。

人は他人と不和あるときは心に必ず不愉快を感じるものであり、学識人格勝れた人こそ他者に対する思いやりが深いものである。だから(近思録に言うように)自らの善をもって人を善に導くべきである。

他の人たちの不和を見て、心に快く思うのは不道徳の至りであり、和合せる者たちを不和合にしたり、親密なる者たちを不和にしたりするのは、卑劣非道の極と言うべきものである。この交友不両舌戒を守り、失うことなき者は、良心が常に光を放ち、天地の神にも何らはじることなく、愉快なることこの上ない。

 第八知足不貪欲戒 
ここまで明らかにしてきた身と口の七善、初めの殺、盗、婬の三つは身業について守る戒であり、次の妄語、綺語、悪口、両舌の四戒は口業についての誡めである。以下の貪、瞋、邪見の三つは意業について制する戒である。

この三戒は無形の精神上におけるものであるから表面上外見よりすれば顕著な罪なきように見えるけれども、道徳上は実に重要重大であり、しかもこれを守ることは難しい。人がもし一分これを護持するときはその功績著しく大なるものがある。

何故かと言えば、一切の善悪業を発動することはその精神を本とするので、もしも精神が善良不邪であれば一切の言動は善ならざることがなく、少しでも不道徳でよこしまな心あれば、一切の言行は邪悪なものとなるからである。

そのためには、自らの心に欺かれないことが肝要である。よって、道を学ぶとは、自ら身体の内側に向かって、正しいことと邪なことを厳しく調べて明らかにすることと言えようか。

そこで、貪欲とは、五官に触れるところの五塵、六欲の境界、および男女、金銭財宝などに執著を起こし欲求することである。これに対し、不貪欲とは、およそこれらの諸物はみな実体なく無常にして泡沫、幻影、電光、朝露のごとくと心得、一つも貪著すべきものではないと達観して欲求しないことであり、これをこの戒の止善とする。

資財は人の世に立つための具となるものではあるが、これに執著するときは様々な障りがあり、不道徳の原因ともなる。男女は家の本、国の本と雖も、これに執著するときは家を亡ぼし、国を亡ぼす基となる。

これは、火はよく物を温め発育せしむるとはいえ、もしこれに触れれば火傷を負い、水はよく物を潤して生長せしむるとはいえ、もしこれに溺れるときは命を失うに至るが如しである。これ不貪欲の戒相にして、古今国家存亡の多くは、この貪欲を発端としている。どうして慎まないことがあろうか。

この行善とは、自分の財産に対する物惜しみや執著を離れて、専ら慈悲不貪の心を培養し、自らの力に応じて施行をなし、また他者の財施慈善を見て讃美して不貪の善行に随喜する、これを行善の相とする。

 第九忍辱不瞋恚戒 
意に違える境遇、情況に憤り懊悩して心を起こすのを瞋恚と言う。この瞋に、順理の瞋と違理の瞋があり、違理の瞋とは怒るべきでない事柄について怒ることであり、順理の瞋とは自分に非がなく他者に非理、非道があって怒ることを言う。されど、この二つともに道徳に背くことに変わりなく、よく謹慎して怒らざるを止善とする。

この行善とは、慈悲喜捨の四無量心をもって一切衆生を愁い哀れむことを言う。慈に衆生縁の慈、法縁の慈、無縁の慈の三種あるが、ここでは衆生縁の慈についてのみ述べる。一切の衆生は、みな自分の前生の父母なりと観じて、これに接するに慈悲親愛の心をもって、決して瞋恚を起こすことなく、怨みに報いるに徳をもってすることなどを衆生縁の慈と言い、これを行善とする。

この世の中を見るに、すべては皆因果の理に則っており、たとえば慈しみなき父親に遇い、また孝心なき子をもつのは、自分が前世に不孝不忠の罪悪をなした因果であると思い諦め、過去の悪業を懺悔して他の人に慈心をもって対すべきである。このような受け取り方をするならば天下に敵はなくなるであろう。

古来、一時の瞋によりその身を亡ぼし、親にまで迷惑が及ぶことは多くの人が知ることではあるが、このことを了解して護持する人はまれである。かえって、時に、忿怒せずは気概なく男子にあらずとして忿怒瞋恚を起こすことを勇気胆力の如く考える者があるのは甚だしき間違いである。

憤兵は必ず敗れるという。真実の勇気は慈悲忍辱の心より起こるものであり、決して忿恚の怒気より出るものではない。世の中の勇を好む人は最も深く慎むべきである。

 第十正智不邪見戒 
邪とは、不正の義であり、正しい道理に合わない見識をみな邪見という。この戒はいわゆる教養ある人々が最も慎み守るべきものである。というのも、この邪見の偏った見方は、無学の人には少なく、学者や智者に多い。身分の高い上流の人はよく心して理に適った要道を探求すべきである。

世の中の通説や偏見など誤った知識をもって物事の真理を憶測するときは、悉く邪見に陥るであろう。深くこの我見偏見先入見の憶測判断を改めて、天命を畏れ慎む、これを止善とする。

天地万物はみな無我無常であり、一つとして我が意の如くあるものはない。すべての現象は、善悪業の報果により刹那にも変化せざることなく、電光、朝露の如く一つも定まり留まるものはない。この三世因果応報なる真理を理解し信じ、諸仏諸菩薩を敬い信仰し、一切衆生を憐れみて、我を張らず争わず、金剛石の如く堅く正見に安住するのを行善の相とする。

世に学者知識人を自認し、人からもまた賢人などと認められているような人においても、この正しい智見なく、邪見に陥る人が甚だ多い。

人もしこの偏った迷った邪見を持するときはただ生死解脱の安心を得られないばかりか、処世においても、重大な艱難に遭遇するときには心が動揺攪乱するであろう。

(論語に)徳の薄い品性の乏しい人は困窮すると自暴自棄になり悪事を行うと言うがごとくである。何故ならば、この因果応報の真理を信じることなく正見正智がないからである。

普通一般人の見解が邪見であったとしても危害を天下に及ぼすことはないけれども、国家の枢機を握り、億兆の生命を司るような人の、その見解がもしも偏り邪なものであったとしたら、その害は些少では済まないであろう。

邪見の相は露顕しなければ外見からは解らないものである。その心性が正であるか邪であるかによって、他の九戒の善悪を規定するものでもあるので、以上述べたる諸戒中で最も深く畏れ敬い、心して護持すべきである。

以上、やや煩瑣に過ぎた感はあるが律師の言葉をそのまま現代語訳させていただいた。十善戒は、ここに縷々記したように、止善と行善とがあり、悪をなさないことは勿論のこと、その上に善を修することが本義である。

以下、十善戒の各項目の解説に続く、雲照律師の教説を要点のみではあるが現代語訳にて綴らせていただく。

「十善の教えは、知識ある者も無き者も貴き者もそうでない者も、男女も選ばず、一切の世間を導くものであり、三世因果応報の道理を理解し、人々をこの理法に準じて、その思想信条を矯正せしめ、言行を改め、何があろうと手放すことなく、知らず知らずに自らの道徳の域にまで高めていくべき基準尺度である」

「いま今生において、その境遇の善し悪し、苦と感じ楽と感じる現象の受け取り方は、みな千差万別であり、各々相違はあれども、その所以とは、過去世においてなされた善悪の行為による業因の相違によるのである」

「十界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏)が何によって成立するのかと言えば、一切衆生の善悪の行為による応報の集積せるものが原因となり、その結果として顕れたものなのである」

「たとえ劣った心にあったとしても、勉めて十善を修め、この戒による善をもって万善の基礎として、坐禅・誦経し、真言を唱え念仏し、日夜勤めるならば、自心の仏性を開顕して諸仏の境界にも入るであろう」

「すべて作られし原因によって結果あり。自行と化他を説く一切の教えは、みな身口意の三業によるのであって、それはすなわち十善業道に外ならない。故に十善十悪三世因果応報の真理をもって仏教の大原則とするのである」

(参考文献) 
平川彰著作集第七『浄土思想と大乗戒』、弘法大師空海全集第一巻『秘密曼荼羅十住心論』、岡村圭真著作集第二『慈雲尊者その生涯と思想』


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簡略化の弊害

2024年12月22日 08時50分00秒 | 様々な出来事について
簡略化の弊害




御歳暮の季節である。お中元御歳暮というのは、もともと室町時代に始まった習慣で、親元にその季節に家の神様をお迎えするための御供えを実家に持ち寄ることがもとだという。そうした習慣が他家にもお裾分けしてお世話になった感謝の気持ちから物を送る仕来りに発展したものらしい。

毎年、こちらに来て25年、盆と暮れに車で1時間かけて御中元御歳暮をお届けしているお寺様がある。初めは敷居が高いというのか、いつも怒られるのではないかというような気持ちもあり、玄関先で置いて帰ろうというなどと思いつつ車を走らせたものだが、先様も忙しい時期でもあり、お会いできないこともあり、それでも毎年二回欠かすことなく通ってきた。

いつの頃からか、連絡をしてから来なさいと言われ、そうした頃からだろうか、好きなお寺の話、仏教の話、本山の話、昔話に花が咲くようになった。行くことがとても楽しみになり、コロナの時期にも迷惑がられながらもお伺いした。先週も遅くなったことを詫びつつ奥の間に通され話し始めた。

今年の行事の話、美術館での特別展の話、他のお寺の御開帳に関してなど話し始めたらあれもこれも、気がつくと2時間が経過していた。慌てて失礼したようなことではあるが、お話のすべてが勉強になる、誠に貴重な時間を過ごさせてもらった。

ところで、コロナ騒動の頃、何でも簡略化、休止、キャンセル、廃止の波が襲ったことがある。未だにその波の影響か、お祭りなどは徐々に元に戻ってきているようには感じるが、旧に復さないものも多くあると感じる。お中元御歳暮の類いもそうかもしれないし、仏事もその一つで、葬儀法事がコロナ前からではあるが、小さく小さくという風習が当たり前になってしまっている。

田舎は隣保と言って、集落の組内で、葬儀やお祭りなど互助する取り組みがなされてきた。しかし、そんな当たり前のことも、今では何の通知もなく、お隣のことであっても、「家族葬で行いました」と回覧板を見て知るような時代となってしまった。良い、悪いの話ではなく、そうして人と人の関係が薄れていくことの意味を考えなくてはいけないのではないかと思う。

日本人が現代にあってもなお、先祖を大切にする数少ない文明社会の一つであると聞いたことがある。今日迄、一つの共同体として、世界で唯一古代から一つの国として存続してこられた礎にそれがあったのではないか。人と人との関係、繋がりの大切さを思う、その大本に親があり先祖があり、皇室があった。それが戦後教育の改変によって、家や親、家族の育みが遠ざけられてしまった。

そうした延長線の上に、様々なキャンセルの大波の余波から、人と人の関係の大本が、いまだに疎かにされている。コロナの時期、それまでしてきた葬儀をせずに火葬だけして済ませてしまった家々がある。それらの家の未だそんなにお歳でもない当主や若い奥様が突然に身罷ることがあると聞く。突然の訃報に多くの近しい人が戸惑い、近親者は自らなしてきたことに思い至る。偶々、偶然のことかもしれない。しかし、先祖がずっと伝えてきた習慣や教えを蔑ろにすることの怖さを感じざるを得ない。

私たちは一人では生きられない。つねに、すべての生きとし生けるものの恩恵を受けつつ生かされている。家族でも、親族でも、師弟でも、地域の方々とも、人と人の関係は何があっても、忘れてはいけない、疎かにしてはいけないことなのだと思う。命の大切さなどと唱えていたのはいつのことであったか。舌も乾かぬ間に、何でも簡単に、簡略にしたらいい、しないで済ました家もあるなどという理屈でなされることの意味を知らねばいけないのではないかと思う。


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